「ね、お父さん」
「……ん?」

 壁にもたれ目を閉じているお父さん。どうしようか、と迷う。けれど、ずっと聞きたいことがあった。

「お母さんって……どんな人だったの?」

 ゆっくりとお父さんの目が開き、なにか探すように宙をぼんやり見た。

「どうかしたのか?」
「ううん。そういうわけじゃないけど……。はじめて言うけどね、実はあんまり記憶に残ってないの。姿や雰囲気は思い出せても、顔や声はぼんやりとしか……。こんな娘、ひどいよね」
「いや」

 ゆっくりと首を横に振るお父さんが、頭をガシガシかいた。

「亜弥はまだ小学生になったばかりだったし、仕方ないさ。それにお父さんも、できるだけ思い出さないようにしてたから」
「仕事に没頭(ぼっとう)して忘れようとしてたんでしょ」
「げ。そこまで見抜かれてるのか」

 おどけた顔をするお父さんが、再度宙に視線をやった。

「お母さんはすばらしい人だった。自分の病気のことより、いつもいつもお父さんや亜弥のことばかり気にしていたよ」
「そうなんだ……」
「病気になってやせちゃったけど、昔のお母さんは丸々としててな。『太っちゃう』って言いながらも、いつもなにか食べてた」

 お父さんの口調がやさしい。

「お母さん、幸せだったのかな」

 愛する人を残して先に死ぬなんて、きっとつらかっただろうな。

 ――ガコン、ガコン。

 脱水作業に入った洗濯機がひときわ大きな音を立てて騒ぎ出す。

「幸せだったかどうかは、お父さんと亜弥次第だろうなぁ」
「私たち次第ってどういうこと?」

 ふう、と言葉にして息を吐くお父さん。

「ヘンな言いかただけど、お母さんはまだこのあたりにいる気がしてる。毎日、お父さんや亜弥を見てて心配してくれている。それくらい世話焼きだったし、やさしかったから」

 もう泣きそうになっているお父さんに、私はうなずく。お父さんの気持ちがわかる気がした。だからこそ、お父さんは必死でがんばっているのだろう。

「お父さんや亜弥が毎日幸せに生きていれば、お母さんだって幸せ。そう思っている。なあ、亜弥は今、幸せか?」
「……そう思うよ」