翌日。
 あのマンション工事物件の不動産登記簿謄本から前所有者である阿賀沢弟夫妻の連絡先を調べ、晴高が彼らに連絡をとった。
 連絡の内容は、『物件を調査していたところ、前所有者のものと思しき持ち物がでてきたので確認したい』にした。その持ち物が『壊れたスマホ』で、『銀行の名前があったので、その銀行に引き渡してもよいか』とも伝えてあった。
 すると、すぐに会いたいという連絡が返ってくる。
 彼らにとっても、わざわざ壊して埋めたはずのスマホが今頃になって出てくるのはマズイと感じたのだろう。
 会う場所は八坂不動産管理の会議室。
 約束の日時に現れたのは、五十代半ばと思しき短く刈り込んだゴマ塩頭の男性と、同年代の厚化粧の女性だった。女性が通った場所は、つんと強い香水の匂いが残った。
 彼らを会議室へ案内するのは晴高。千夏は一番最後について歩きながら、隣にいる元気の手を握る。じんわりとした温かさが伝わってきた。
「……大丈夫?」
 そう問いかけると、元気はこくんと頷いて小さく笑った。
「ああ。大丈夫」
 元気にとって、彼らは生前自分が担当した仕事の相手でもあり、加害者でもある。元気の顔はこわばってはいたが、ぎゅっと千夏の手を握り返してきた。
 長テーブルを二つくっつけた席の奥へ阿賀沢夫婦を座らせ、手前に晴高と千夏の二人が座った。元気もその隣にいるのだが、彼らには視えてはいないようだ。
 男性は交換した名刺から阿賀沢弟、本名・阿賀沢(あがさわ)良二(りょうじ)であることは確認できた。女性の方は良二の妻、咲江(さきえ)だ。
 二人とも浩司の記憶の中で見た人物と同じだった。
 お互いに当たり障りのない挨拶を交わした後、まず晴高が話を切り出す。
「本日お呼び立てしたのは、先日お電話でもお伝えしましたが、このスマホの件です」
 晴高は透明なビニール袋に入ったあのスマホをテーブルの上に置いた。
 一瞬だけだが、阿賀沢夫妻の表情が険しくなったのを千夏は見逃さなかった。
 良二がスマホへ手を伸ばすが、彼の手が触れる寸前で晴高はそれをヒョイっと取り上げる。良二は怪訝そうに晴高を見たが、晴高は相変わらずの無表情のままスマホの裏に貼られた銀行のシールを見せながら言った。
「このスマホに見覚えはございますでしょうか?」
「あ、それは……」
 良二の視線がさまよう。どう答えれば怪しまれないか考えを巡らせているのだろう。
「そ、それは。うちに来てた銀行マンがうちで落としてったものなんだよ。いつか返さなきゃいけないなと思ってたんだが、まさかそんなところにあったなんて」
 銀行マンとは、高村元気のことだろう。
 次は千夏が口を開く。
「その方の連絡先はご存知でしょうか? なんでしたら私どもの方でお返ししておきますが」
 良二は弱ったように半笑いを浮かべて、首に手を当て小首を傾げた。
「いやぁ、覚えてねぇな。もう随分前のことだしな。途中で担当者も変わったんで。そこの銀行とはうちもまだ取引あっから、あとでうちの方から返しておきますよ」
 良二がそのスマホを晴高の手から取ろうとした。口調の柔らかさとは裏腹に、その手は素早い。しかし、それより早く晴高がスマホをテーブルの下へと仕舞ってしまったので、良二の手は空を切った。
 良二は、忌々しげに晴高を睨むが、晴高は涼しい顔のまま。
「申し訳ありませんが、これは今すぐにはお渡しできません」
「なんだって?」
 良二の声に怒気が滲む。
 それまでヘラヘラと薄っぺらい笑顔を浮かべていたのが一転、凄むように晴高を睨んできた。
「このスマホは元々あなた方の土地だったところから発見されたものですから、念のため確認する必要があっただけです。ただここに書かれている名前は銀行の名前ですので、そちらにも確認は取らせていただきます。それまでこちらで一時保管いたします」
 淡々と告げる晴高。
「なんだって!? それを渡すために呼び出したんじゃねぇのかよ!!」
 良二は声を荒げ、晴高の胸倉を掴む。千夏は、晴高と良二のやりとりをはらはらしながら見ていた。
「あ、あんたっ」
 咲江も慌てた様子で良二の腕を掴んで止めようとする。良二はまだ晴高のことを睨みつけたままだったが、しぶしぶといった様子で手を離すとどかっと椅子に腰を下ろした……はずだったのだが、彼が腰を下ろしたところに椅子はなかった。いつの間にか椅子は後ろにずれていたのだ。
 千夏の目には、良二が立ち上がったときに彼の後ろにまわった元気が椅子を引いたのが視えていた。これも千夏が考えた作戦通り。
 後ろに倒れて腰を打ち付けた良二は尻をさすりながら、目を白黒させていた。
 晴高は眼鏡を直しながら、冷静な口調で彼に言う。
「本日お越しいただいたのはスマホの件だけではありません。私たちは、あの神田の土地の調査を行っております。あの土地では怪奇現象が頻発して、マンション建設工事がもう一年以上止まっていることはご存じですか」
「か、怪奇現象だって……何言ってんだ。馬鹿にしてんのか!?」
「いいえ。馬鹿にしてなんかいません。私たちは特殊物件対策班と申します。別名、幽霊物件対策班。弊社や関連会社が抱えている問題物件のうち、幽霊が関与している物件を調査し問題解決をするのが仕事です。ちなみに、私は僧籍も持っています」
 そんな浮世離れした話を、晴高はニコリともせず無表情のまま語る。
「ば、馬鹿らしいっ! おら、帰るぞ!」
 良二は咲江の腕を掴むと、立ち上がって会議室の外へと大股で歩いていこうとした。しかし、会議室のドアの手前で彼は躓いて床に倒れこむ。これも、元気が良二の足に自分の足をひっかけたのだ。
「あの物件は霊現象が頻発しています。工事車両の原因不明の故障、工事担当者の急病。そして、なぜか敷地内に落ちていたこのスマホ。霊障はアナタがたにも起きているのではありませんか? このままにしておけば、もっと大きな不幸が降りかかるかもしれませんよ」
 と、晴高は畳みかけるように胡散臭いことを言う。
 そのとき、誰も座っていないパイプ椅子が数脚、ガタガタとひとりでに動き出した。大きく動いた後、そのまま後ろにぱたんと倒れる。
 誰も触っていないのに勝手に動く椅子を見た良二は顔を青ざめさせた。千夏から見てもわかるほどの、青ざめよう。
 彼らの背後には、元気が微妙な苦笑を浮かべて立っている。霊障には違いない。全部、幽霊である元気がやっているのだから。彼らだって二人も殺しているのだ。恨みを買う自覚なら充分すぎるほどあるだろう。彼らを怖がらせることができれば、下準備は終了だ。今度は千夏が話の主導権を引き継ぐ。
 とはいえ、殺人のことを千夏たちが知っていることは気付かせないようにするために、彼らに聞かせる話は少し加工することにした。
「失礼ですが、阿賀沢様。あの土地にいるのは、やはり阿賀沢様御由来の霊かと思います。おそらくご先祖様の霊なのではないでしょうか。私も多少霊感があるのですが、あの土地で霊障を起こしていた霊は『野犬が掘り起こしてくれた。あと少しで出られる。そうすれば戻れる』と仰っていました。何のことなのかは私にはわかりませんが、もしかしたら阿賀沢様は何か心当たりございませんでしょうか」
 千夏に問われ、良二はさっきまでの威勢が嘘のように焦点の合わない目で虚空をぼんやり見ながら、ぶるぶると首を横に振った。咲江も小刻みに体を震わせている。
 さらに千夏は畳みかけた。
「これだけの霊障ですから、一刻の猶予もないかと思われます。このままですと私共も物件のマンション建設が進みません。しかし、それ以上に阿賀沢様にとっても放置しておくのは大変危険かと思われますので、こうしてお伝えいたしました」
 阿賀沢夫妻は「墓参りにでも行ってみます」と言うと、もう晴高の手にある元気のスマホには目もくれず、二人して青い顔をしたままそそくさと会議室を去っていった。
 彼らが帰ったあと、先ほど倒した椅子を自分で片付けながら元気は、
「俺もあいつらについてって、もっと脅してこようか?」
 と提案してきた。しかし晴高は頭を縦に振らなかった。
「いや。今はいいだろ。この程度の脅しでも動くかもしれん。それに、お前は極力、単独であの二人と接触しないほうがいい」
 千夏も、それがいいと何度もうなずく。
 元気があの二人と接触するのは、正直とても怖い。彼らは元気を殺した張本人かもしれないのだ。今は冷静を保っている元気であっても、いつ冷静さを失うかわからない。そうなると、彼らはともかくとして元気の身が心配だ。もう、今の元気には戻れなくなってしまうかもしれない。そう思うと、たまらなく怖かった。
「さてと。とはいえ、俺たちも行かなきゃな。あいつらが動き出すまで、見張るか」
 と晴高。そう、種は蒔いた。あとは、彼らがどうでるか、だ。