夜叉の鬼神と身籠り政略結婚~花嫁は鬼の子を宿して~

 終章 出産 家族のはじまり

 病室のベッドに、ぐったりとその身を横たえる。
 陣痛が起きた私は柊夜さんに抱えられて、神世から現世まで戻り、毎月検診していた病院へと連れていかれた。
 ベッドの脇に目を向けると、そこに一緒に寝ているのは両腕を上げ、バンザイして熟睡している生後一日の赤ちゃん。
 私は無事に出産することができた。
 陣痛とお産のあまりの痛みに悶絶したけれど、産まれてしまえば体はけろりと楽になり、ほっと一安心である。
「よかった……産まれてきてくれて、ありがとう」
 すやすやと眠る赤ちゃんに小声で感謝を述べる。
 赤ちゃんは、男の子だった。
 ようやく我が子に会えたわけだけれど、産声を上げた赤ちゃんに対面して、私は青い蝶の謎を悟った。
 夢で出会い、闇の路から青い蝶を伴って私たちを幾度も助けてくれた男の子。
 彼は、我が子の成長した姿だったのだ。
 赤ちゃんの漆黒の髪、そして切れ上がった眦は柊夜さんにそっくりである。この子が成長すれば、あの男の子になることは目鼻立ちからわかった。
 そして、赤ちゃんが薄らと目を開けると、瞳の奥に紅い焔が宿っていた。
 彼はやはり、夜叉の血を色濃く受け継いでいる。
 この子の神気が、ハンカチの青い蝶に命を吹き込んでいたのだ。
 青い蝶はいわば、この子のしもべだった。
「ずっと一緒にいたもんね……」
 誰よりも傍にいたこの子が、私たちを窮地から救ってくれたのだった。
 我が子の無垢な寝顔を眺めていると、病室に柊夜さんが入室してきた。
「あかり、起きていたのか。赤ん坊が寝ているときに自分も休まないと、寝る暇がないぞ」
 すっかり傷が治っている柊夜さんは、何事もなかったかのようにスーツを着込み、両手に大荷物を携えてきた。
 神世では鬼神の真の姿を現し、怪我を負っていた彼だが、傷の治癒が早いのだという。
「だって可愛くて、ずっと見ちゃうんです」
 私の着替えや赤ちゃんのオムツが入った荷物を脇に置くと、柊夜さんは眠っている我が子の顔を覗き込んだ。
「小生意気そうな顔立ちだな。……昔の俺によく似ている」
「やっぱり? 成長したら、もっと柊夜さんにそっくりになりますよ」
「それはそれで困るんだが。あかりに似て、何も考えていないような、ほわほわした顔になればいい」
「それって褒めてませんよね……」
「褒めているが?」
 平然としてパイプ椅子に腰を下ろした柊夜さんは、眼鏡のブリッジを押し上げる。
「ところで、子どもの名前なんだが……」
「いい案、出ました? 画数とか考えたら、迷っちゃいますよね」
 産まれる前から決めておくべきだったのかもしれないが、様々なことがあり、結局今まで赤ちゃんの名前を決定していなかった。
 夜叉の後継者なので、『夜』という一字を入れようかと私が提案したら、柊夜さんに却下されてしまい、そこから話が進んでいない。
 柊夜さんとしては、必ずしも後継者に据えるとは限らないという気持ちかららしい。
「画数のことだが、名字が決まっていないと、名前も選べないだろう」
「そうですね。星野と鬼山じゃ、かなり印象が変わるかも……」
「そこでだ。『鬼山』に統一しようじゃないか」
「え? 統一するんですか?」
 瞬いていると、柊夜さんは鞄から二枚の用紙を取り出した。
 そこには、『婚姻届』『出生届』と、それぞれ記載されている。
「入籍しよう。きみが鬼山あかりになるんだ」
「え……婚姻届と出生届を同時に提出するんですか⁉」
「妊娠のときからだが、順序どおりにいかず申し訳ない。だが俺はやはりきみのことが好きであるし、夜叉の花嫁として俺についてきてくれるのは、きみしかいない。それを永劫の牢獄まで追ってきてくれたことで再認識した」
「柊夜さん……」
 じんとしたものが胸に迫る。
 私が、柊夜さんの本当の花嫁になれるなんて。
 もう、かりそめ夫婦ではないのだ。
 紆余曲折あったけれど、私たちはとうとう家族になるのだ。
 お父さんとお母さんがいて、赤ちゃんがいる。ずっと家族一緒に暮らしていける。その理想の幸せを、私は柊夜さんとともに抱えていける。
 眼鏡を外した柊夜さんは、真紅の双眸をまっすぐに私に向けた。
「俺はずっと、いずれきみに去られると考えていた。だがきみは俺が思う以上に、肝の据わった女だったようだ」
「……それ、褒めてないですよね」
「褒めている。最高にね。改めて惚れ直したよ」
 くすりと笑んだ私は、冷静に述べる旦那さまにプロポーズの返事をする。
「私たち、家族になりましょうね」
「ああ、もちろんだ。必ず幸せにするよ」
 その会話に参加するかのように、赤ちゃんが「ほぇあ」と泣き声を上げる。
「あっ、そろそろおっぱいの時間かも」
「なんだって。母乳は出るのか?」
「さっき初乳が出たんです。もうね、赤ちゃんにお乳を吸われると魂まで抜けちゃう感じしますよ」
「おい、盛大に泣き出したぞ。どうするんだ」
 慌てふためく柊夜さんは新米パパといった様相で、赤ちゃんの産着に触れておろおろしている。
 私は入院着のボタンを外して、膨らんだおっぱいを出した。
 もう柊夜さんの前だからといって恥ずかしがってなんかいられない。
 大泣きする赤ちゃんにとって、これは食事なのだから。
 抱き上げて、小さな口元に乳首を寄せる。ぴたりと泣きやんだ我が子は乳首に吸いつくと、すごい勢いで母乳を飲み込んでいく。
「ふう……これが数時間おきに、夜中も繰り返されます」
「なるほど……。赤子がいると大変だな。俺も育児を手伝おう。ヤシャネコをオムツ換えの練習台にしようとしたら逃げ回られたが、あいつも首を長くして、きみたちの退院を待ちわびている」
 はっとした私は、とあることに気がついた。
 今まではお腹の赤ちゃんの影響であやかしが見えていたけれど、出産したからには、私はあやかしが認識できなくなってしまったのではないだろうか。
「あ……私、もしかして、もうあやかしが見えないんじゃないでしょうか……?」
「数ヶ月は子の神気が胎内に残り続けているから、見えているだろう」
「そうなんですか。でも、そのあとは……?」
 柊夜さんと赤ちゃんが見えているのに、私だけが違う世界にいるなんて寂しい。
 不安を覚えた私に、柊夜さんは麗しい笑みを向ける。
「また懐妊すればいい。そうすれば、あやかしが明瞭に見えるようになる」
「えっ」
 出産したばかりだというのに、どうやら私はまた孕まされてしまうようだ。
 我が子を抱きながら、あはは、と笑い飛ばす。
「まったくもう。しょうがない旦那さまですね」
「こんな俺についてきてくれるきみは、世界一の夜叉の花嫁だ」
 ふたりの笑い声が重なり合う。
 お腹が満たされた私たちの赤ちゃんは、いつの間にか、すやすやと眠りについていた。