「わたしたちは古代インド神話から受け継がれてきた神々の、末裔なんですよ。冠だけが残されて、本体は残り滓になってしまったの。わたしをごらんなさい。何の力もないただのおばあちゃんですよ。でもねえ、多聞天の冠を受け継いだからには、鬼神やあやかしたちをまとめなければならない。時には彼らに戦ってもらうこともあります。そうすることが、人との調和を保ちつつ、我々の一族が生き続ける唯一の方法ですからね」
おばあさまの言葉に、私は思い違いをしていたことを知らされた。
神様や鬼神は古代からずっと生き続けてきたというわけではないのだ。王様のように代替わりを重ねるものだった。
私のお腹にいる子も、人間である私の血を半分受け継ぐわけなので、純粋な鬼神ではないということになる。そのように人間と交わるうちに、神の力は徐々に失われてきたのだと思われた。
「柊夜はね、可哀想な子ですよ。彼は稀に見る強大な鬼神の力を受け継ぎました。それゆえ、両親に見放されてしまったのです」
「え……力の強い鬼神なのに、ですか?」
どういうことなのだろう。
柊夜さんの両親については初めて聞いたけれど、そのような事情があったとは全く知らなかった。
詳しく聞きたいけれど、柊夜さんは気まずげに視線をさまよわせているので、過去を蒸し返されたくはないのかもしれない。
ゆっくりと、おばあさまは頷いた。
「わたしたち神の末裔はもう、人間と変わらない者も多くなりました。一族の中には、あやかしが見えない者もおります。ですが柊夜は生まれつき……」
「おばあさま」
耐えきれないように、柊夜さんは制止の声を絞り出した。
室内に重苦しい沈黙が下りる。
ややあって、彼の押し殺したような声音が紡がれた。
「俺から、あかりに説明させてください」
「わかりました。そうするべきでしょう」
柊夜さんは私に向き直る。彼は眼鏡を外した。
夜叉の証である真紅の双眸が現れる。
眼鏡をかけているときは隠されているけれど、この血の滴るような瞳の色が、本来の柊夜さんの目なのだ。
「俺は太古の鬼神の血を色濃く受け継いだので、人間とはかけ離れた面がある。それは現代において力を失っていく一族の間では、異形に映ったんだ。そんな俺を恐れた両親は、おばあさまに俺の育成を一任した。それだけだ。おばあさまには感謝している。……だが、新たに産まれる赤子が俺と同じ道を辿るのかと思うと、躊躇する気持ちも胸の裡にある」
はっとした私はお腹に手をやる。
この子が産まれたら、おばあさまか一族の誰かに預けることになっている。柊夜さんのときと同じように。
「あ……でも、柊夜さんがおばあさまに預けられたのは、鬼神としての能力が高かったからですよね? この子が私と似て、ほとんど人間に近いような能力だとしたら……?」
「察するに、その赤子の能力値が低いことは考えられない。母体とあやかしが見える能力を共用できているくらいだからな。かといって、どの程度かといったことは産まれてみないとわからない」
「そうですか……」
私はゆるゆるとお腹をさすり続けた。
この子を、手放せるのだろうか。
契約としてはそうなっているが、迷いは消えない。
鬼神ならば、同族がいる環境で育ったほうが幸せかもしれない。おばあさまに任せておけば、何の憂いもないかもしれない。
でも、たとえ離れていても、この子は私の子ではないだろうか。
柊夜さんと喧嘩して、赤ちゃんを手放したくないと強く思ってはまた、この子の環境や立場を考えたらと思い悩んでしまう。
おばあさまは、ゆったりとした口調で私に語りかけた。
「あかりさんは、どうしたいのかしら? 産まれた子を自分で育てたいですか?」
「私は……」
どうしたいんだろう。
だって、柊夜さんとはかりそめ夫婦で、初めからそういう契約だった。
私の希望なんて、そこに介在する必要がなかった。
それに……私は初めから、家族を作ろうなんて思っていなかったのだ。
とある理由から、ずっとおひとりさまを貫こうと決めていたのだから。
だから未だにこの状況が信じられなかった。
即答できない私に、おばあさまは言葉を継ぐ。
「自分が産んだ愛しい人の子を育てたくないわけがありません。ただ、その子は夜叉の子です。人間ではありません。それゆえに、子と共にいることであかりさんの身に災いが降りかかる可能性もありえます。そのときに、後悔しないと言える決意があるとすれば、わたしは母子を無理に引き離すことはしませんよ」
「おばあさま……」
彼女の想いが身に染みる。
おばあさまは、私に選ばせてくれるんだ。
私の意志を尊重してくれる。
私なんか、ただの人間なのに。神の末裔であるおばあさまが、母親になる私の想いを汲んでくれるのだ。
「自分の手元で、この子を育てたいです」
後悔しない覚悟なんてまだないのに、毅然と顔を上げた私は、はっきり口にしていた。
この子に、柊夜さんと同じ寂しさを味わわせたくない。
柊夜さんが自分のことを話したくなかった理由のひとつに、寂しい思いをした過去を掘り返すのが切ないという気持ちがあったのではないだろうか。
彼の子どもには同じ思いをさせない。
この子は、母親の愛情をたっぷり与えて育てたい。
夜叉の子だから災いを呼ぶだなんて、そんなことは問題ではなかった。
出産してから、この子と引き離されるなんて、やっぱり嫌だ。
だって、私の赤ちゃんだから。私が産むのだから。
私は、この子を産む責任を放棄しない。
強い意志を持って述べた私を、おばあさまはじっと見つめた。彼女の瞳の縁が、赤く染まっている。
やがて、おばあさまは深く頷いた。
「そうするのがよろしいでしょう。ただ、子が産まれてから、あかりさんの考えが変わるかもしれませんね。そのときはいつでもわたしに相談にいらっしゃい」
おばあさまは、私が夜叉の赤ちゃんを自分の手元で育てることを認めてくれた。
ただし、彼女は私に対して全幅の信頼を置いたわけではないのだと同時に知らされる。
赤ちゃんが産まれたら、私が意見を翻すかもしれないと、おばあさまは予想しているんだ……。
そんなこと、あるわけない。
たとえどんな子でも、鬼の角や牙があっても、この子を愛せる。
私は笑顔で返事をした。
「はい! ありがとうございます」
柊夜さんは私とおばあさまのやり取りを、黙して聞いていた。
彼はどこか遠くを見るように、その目線は陽射しが零れた床の一点に注がれていた。
おばあさまの屋敷を辞した私たちは、郊外を車で走っていた。
車内では互いに無言だった。
様々な想いが交錯して、何から話せばよいのかわからない。
隣でハンドルを握る柊夜さんの顔をちらりと見やると、彼は眉を寄せて難しそうな顔をしていた。
自分の手元で、この子を育てたいと私が宣言したことに、不満なのかな……。
それはそうだろうと思う。
柊夜さんとは子どもが産まれてからどうするかなんて、全く相談していないのだから。
おばあさまの言葉に、私は思い違いをしていたことを知らされた。
神様や鬼神は古代からずっと生き続けてきたというわけではないのだ。王様のように代替わりを重ねるものだった。
私のお腹にいる子も、人間である私の血を半分受け継ぐわけなので、純粋な鬼神ではないということになる。そのように人間と交わるうちに、神の力は徐々に失われてきたのだと思われた。
「柊夜はね、可哀想な子ですよ。彼は稀に見る強大な鬼神の力を受け継ぎました。それゆえ、両親に見放されてしまったのです」
「え……力の強い鬼神なのに、ですか?」
どういうことなのだろう。
柊夜さんの両親については初めて聞いたけれど、そのような事情があったとは全く知らなかった。
詳しく聞きたいけれど、柊夜さんは気まずげに視線をさまよわせているので、過去を蒸し返されたくはないのかもしれない。
ゆっくりと、おばあさまは頷いた。
「わたしたち神の末裔はもう、人間と変わらない者も多くなりました。一族の中には、あやかしが見えない者もおります。ですが柊夜は生まれつき……」
「おばあさま」
耐えきれないように、柊夜さんは制止の声を絞り出した。
室内に重苦しい沈黙が下りる。
ややあって、彼の押し殺したような声音が紡がれた。
「俺から、あかりに説明させてください」
「わかりました。そうするべきでしょう」
柊夜さんは私に向き直る。彼は眼鏡を外した。
夜叉の証である真紅の双眸が現れる。
眼鏡をかけているときは隠されているけれど、この血の滴るような瞳の色が、本来の柊夜さんの目なのだ。
「俺は太古の鬼神の血を色濃く受け継いだので、人間とはかけ離れた面がある。それは現代において力を失っていく一族の間では、異形に映ったんだ。そんな俺を恐れた両親は、おばあさまに俺の育成を一任した。それだけだ。おばあさまには感謝している。……だが、新たに産まれる赤子が俺と同じ道を辿るのかと思うと、躊躇する気持ちも胸の裡にある」
はっとした私はお腹に手をやる。
この子が産まれたら、おばあさまか一族の誰かに預けることになっている。柊夜さんのときと同じように。
「あ……でも、柊夜さんがおばあさまに預けられたのは、鬼神としての能力が高かったからですよね? この子が私と似て、ほとんど人間に近いような能力だとしたら……?」
「察するに、その赤子の能力値が低いことは考えられない。母体とあやかしが見える能力を共用できているくらいだからな。かといって、どの程度かといったことは産まれてみないとわからない」
「そうですか……」
私はゆるゆるとお腹をさすり続けた。
この子を、手放せるのだろうか。
契約としてはそうなっているが、迷いは消えない。
鬼神ならば、同族がいる環境で育ったほうが幸せかもしれない。おばあさまに任せておけば、何の憂いもないかもしれない。
でも、たとえ離れていても、この子は私の子ではないだろうか。
柊夜さんと喧嘩して、赤ちゃんを手放したくないと強く思ってはまた、この子の環境や立場を考えたらと思い悩んでしまう。
おばあさまは、ゆったりとした口調で私に語りかけた。
「あかりさんは、どうしたいのかしら? 産まれた子を自分で育てたいですか?」
「私は……」
どうしたいんだろう。
だって、柊夜さんとはかりそめ夫婦で、初めからそういう契約だった。
私の希望なんて、そこに介在する必要がなかった。
それに……私は初めから、家族を作ろうなんて思っていなかったのだ。
とある理由から、ずっとおひとりさまを貫こうと決めていたのだから。
だから未だにこの状況が信じられなかった。
即答できない私に、おばあさまは言葉を継ぐ。
「自分が産んだ愛しい人の子を育てたくないわけがありません。ただ、その子は夜叉の子です。人間ではありません。それゆえに、子と共にいることであかりさんの身に災いが降りかかる可能性もありえます。そのときに、後悔しないと言える決意があるとすれば、わたしは母子を無理に引き離すことはしませんよ」
「おばあさま……」
彼女の想いが身に染みる。
おばあさまは、私に選ばせてくれるんだ。
私の意志を尊重してくれる。
私なんか、ただの人間なのに。神の末裔であるおばあさまが、母親になる私の想いを汲んでくれるのだ。
「自分の手元で、この子を育てたいです」
後悔しない覚悟なんてまだないのに、毅然と顔を上げた私は、はっきり口にしていた。
この子に、柊夜さんと同じ寂しさを味わわせたくない。
柊夜さんが自分のことを話したくなかった理由のひとつに、寂しい思いをした過去を掘り返すのが切ないという気持ちがあったのではないだろうか。
彼の子どもには同じ思いをさせない。
この子は、母親の愛情をたっぷり与えて育てたい。
夜叉の子だから災いを呼ぶだなんて、そんなことは問題ではなかった。
出産してから、この子と引き離されるなんて、やっぱり嫌だ。
だって、私の赤ちゃんだから。私が産むのだから。
私は、この子を産む責任を放棄しない。
強い意志を持って述べた私を、おばあさまはじっと見つめた。彼女の瞳の縁が、赤く染まっている。
やがて、おばあさまは深く頷いた。
「そうするのがよろしいでしょう。ただ、子が産まれてから、あかりさんの考えが変わるかもしれませんね。そのときはいつでもわたしに相談にいらっしゃい」
おばあさまは、私が夜叉の赤ちゃんを自分の手元で育てることを認めてくれた。
ただし、彼女は私に対して全幅の信頼を置いたわけではないのだと同時に知らされる。
赤ちゃんが産まれたら、私が意見を翻すかもしれないと、おばあさまは予想しているんだ……。
そんなこと、あるわけない。
たとえどんな子でも、鬼の角や牙があっても、この子を愛せる。
私は笑顔で返事をした。
「はい! ありがとうございます」
柊夜さんは私とおばあさまのやり取りを、黙して聞いていた。
彼はどこか遠くを見るように、その目線は陽射しが零れた床の一点に注がれていた。
おばあさまの屋敷を辞した私たちは、郊外を車で走っていた。
車内では互いに無言だった。
様々な想いが交錯して、何から話せばよいのかわからない。
隣でハンドルを握る柊夜さんの顔をちらりと見やると、彼は眉を寄せて難しそうな顔をしていた。
自分の手元で、この子を育てたいと私が宣言したことに、不満なのかな……。
それはそうだろうと思う。
柊夜さんとは子どもが産まれてからどうするかなんて、全く相談していないのだから。



