旦那さまの過保護っぷりが発揮され、私は冷めた目で柊夜さんを見やる。彼は当然とでも言いたげに自信たっぷりだ。
「おいらも行くにゃん! カマイタチの気配を辿っていくにゃ」
頼もしく胸を叩いたヤシャネコのあとに続き、私たちは玄関を出た。
マンションの外には、近くに橋のかかる河原がある。天気がよいので、川沿いの遊歩道にはのんびりと散歩を楽しむ人が行き交っていた。
「こっちだにゃん!」
駆けていくヤシャネコを追いかけて、私はあとを追おうとした。そこへすかさず柊夜さんが私の腕を取る。
「待て、あかり。走ってはいけない。俺と一緒にゆっくり行くんだ」
「あ……そうですね。わかりました」
お腹に赤ちゃんがいるので、無理はいけない。
私は言われたとおり、柊夜さんの腕に掴まりながら遊歩道を歩いていった。
柊夜さんが私を気遣うのはあくまでも後継者を得るためなのに、優しくされると思い違いをしそうになり困ってしまう。
ややあって、木立が並んでいる川辺にヤシャネコの姿を見つけた。
「ヤシャネコ、どう? 見つかった?」
問いかけると、振り向いたヤシャネコはきらりと黄金色の瞳を煌めかせる。
「あそこにゃ。鳴き声が聞こえるにゃ」
耳を澄ませると、ピキュピキュ……という小さな鳴き声が聞こえてくる。それは林の一角から響いていた。
「この声は……?」
「行ってみよう。そっと近づくんだ」
そろそろと、声のするほうへみんなで近づいてみる。
すると木の根元の茂みに、もぞりと動く小さなものを発見した。
おそるおそる覗いてみる。そこには褐色の毛に覆われたとても小さな動物が三匹、身を寄せ合うようにしている。胴と尻尾が長くて耳は小さく、ぎゅっと目を閉じている。まだ目が開いていないということは、生後十日ほどだろう。
「わあ……可愛い。もしかしてこの子たち、イタチの赤ちゃんじゃない?」
私は歓喜の声を上げた。イタチの赤ちゃんたちは、掌に乗れてしまうくらい小さい。この子たちが、ピキュピキュと鳴いていたのだ。
なんて可愛らしいんだろう。
思わず手を伸ばした私に、柊夜さんが鋭い声を上げた。
「触るんじゃない。親が近くにいるはずだ。それにこれはただのイタチではない。あやかしの、カマイタチの子だ」
私は慌てて手を引いた。
そういえば野生動物の赤ちゃんに人間が触って匂いがついてしまうと、親が子どもを見捨ててしまうことがあるという。可愛いからといって無闇に撫でてはいけなかった。
「ということは……さっき私に会いに来た、あのカマイタチの子どもたちでしょうか?」
「そのようだな。ほら、見ろ」
柊夜さんが顎で指し示した先に目を向ける。
少し離れた川縁には、先程マンションで遭遇したカマイタチが呆然とした体で立っていた。
「あ……あぁ……鬼神さま……」
ぶるぶると震えているカマイタチは、ちょうど巣に戻ってきたところだろうか。手に持っていた小さな魚が、ぽとりと落ちる。
柊夜さんは、さりげなく私の前に出て、カマイタチから守るように立ちはだかった。
「おまえが、俺の花嫁を傷つけ、赤子を喰らおうとしたカマイタチか?」
威圧的な低い声が紡ぎ出される。
首を竦めたカマイタチは、おそるおそる柊夜さんを見上げた。
「……さようにございます。わたしは、鬼神の子を喰らおうとしました」
柊夜さんの言ったとおりのことを認めるカマイタチに、思わず私は声を荒らげた。
「どうしてそんなことを言うの⁉ カマイタチはそんなことしなかったじゃない!」
カマイタチは私を襲ったわけじゃない。ただお腹に飛びついただけだ。それから、鬼神の花嫁としての未熟さを私に説いた。もし本当に赤ちゃんを食べる気があったのなら、いくらでも機会はあったはず。
けれどカマイタチは力なく首を左右に振った。
「初めはそのつもりでした……。でも、花嫁さまはお腹の子を襲おうとしたわたしを笑顔で抱き上げてくれました。そうしたらわたしは……自分も子がいる身なのに、なんてことをしようとしていたのだろうと我に返ったのです」
しん、と河原に沈黙が下りた。
その静けさの中に、カマイタチの赤ちゃんたちの無邪気な鳴き声が響く。
「でも……どうして? 私の赤ちゃんを食べてカマイタチが強いあやかしになって……そうしたら、この子たちはどうするの?」
鬼神の赤子を喰らえば強大な力が手に入るらしいが、カマイタチは殺戮を好むようには見えない。彼女がやるべきことは、赤ちゃんが成長するために乳をやり、少し大きくなったら食べ物を運んでくるという育児だ。それは今のままでも充分に可能ではないだろうか。
「この子たちのためなんです……。この河原は食べ物が豊富で過ごしやすいのですが、ほかの強いあやかしから狙われやすいのです。赤子はごちそうですから、この子たちが大きくなるまで、わたしが守らなければなりません。もっとわたしが強くならないと、いなくなった父親の分まで。そう思っていたところ、鬼神の赤子の匂いが漂ってきて……つい……」
告白したカマイタチは、がくりと項垂れた。
彼女が迷うような態度を見せていたのは、そういった事情があったからなのだ。
ひとりで子育てするのは大変なことだろう。しかも外敵から赤ちゃんを守らなければならない。強大なあやかしに変化すれば、それが容易だと考えるのも自然なことだ。
私はカマイタチに同情した。
けれど柊夜さんは厳しい声音を出す。
「どんな事情があろうとも、俺の子を喰らおうとした罪を許すわけにはいかない。おまえと、この赤子たちには罰を与える」
冷酷な台詞を吐いた柊夜さんを信じられない思いで見つめる。
赤ちゃんたちは何も知らないのに罰を与えるだなんて、ひどすぎる。
「待ってください、柊夜さん! 赤ちゃんたちには何も罪はありません!」
驚愕したカマイタチは赤ちゃんのもとへ駆け、小さな体に覆い被さる。
すっと腕を上げた柊夜さんは、人差し指で空間に何かの図形を描いた。
慌てた私は彼の腕を押さえるが、図形は完成してしまう。
五芒星の青い光が、ぼうっと浮き上がる。
それは周囲に広がると、ふいに消えた。
わずか数瞬のできごとだった。
何も起きなかったので、私とカマイタチは瞬きを繰り返す。
赤ちゃんたちは何事もなかったように、すやすやと無垢な寝顔を見せている。
「え……今のは……?」
事態を見守っていたヤシャネコは、のんびりとした声を上げた。
「心配ないにゃ。夜叉さまは結界を張ったにゃん」
「結界……?」
ひとつ頷いた柊夜さんは腕を下ろした。
「強力なあやかしがこの結界に触れれば弾かれるだろう。これで知らぬうちに赤子が喰われるという事態は免れるはずだ。ただし小動物程度のあやかしには効かないぞ」
鬼神の結界に守られた巣は、外敵の侵入を防ぐのだ。
柊夜さんは、カマイタチの赤ちゃんを守ってくれるんだ……。
私の胸に喜びが湧く。
「これが、おまえたちへの罰だ」
低く呟いた柊夜さんは険しい表情を崩さない。
カマイタチは赤ちゃんを抱きしめながら、ぽろぽろと涙を零した。
「あ……ありがとうございました! もう決して花嫁さまを襲ったりいたしません」
よかった。罰を与えると言うからどうなることかと思ったけれど、柊夜さんは初めからカマイタチやその赤ちゃんたちに危害を加えるつもりはなかった。
柊夜さんは、優しい鬼神なんだ……。
「おいらも行くにゃん! カマイタチの気配を辿っていくにゃ」
頼もしく胸を叩いたヤシャネコのあとに続き、私たちは玄関を出た。
マンションの外には、近くに橋のかかる河原がある。天気がよいので、川沿いの遊歩道にはのんびりと散歩を楽しむ人が行き交っていた。
「こっちだにゃん!」
駆けていくヤシャネコを追いかけて、私はあとを追おうとした。そこへすかさず柊夜さんが私の腕を取る。
「待て、あかり。走ってはいけない。俺と一緒にゆっくり行くんだ」
「あ……そうですね。わかりました」
お腹に赤ちゃんがいるので、無理はいけない。
私は言われたとおり、柊夜さんの腕に掴まりながら遊歩道を歩いていった。
柊夜さんが私を気遣うのはあくまでも後継者を得るためなのに、優しくされると思い違いをしそうになり困ってしまう。
ややあって、木立が並んでいる川辺にヤシャネコの姿を見つけた。
「ヤシャネコ、どう? 見つかった?」
問いかけると、振り向いたヤシャネコはきらりと黄金色の瞳を煌めかせる。
「あそこにゃ。鳴き声が聞こえるにゃ」
耳を澄ませると、ピキュピキュ……という小さな鳴き声が聞こえてくる。それは林の一角から響いていた。
「この声は……?」
「行ってみよう。そっと近づくんだ」
そろそろと、声のするほうへみんなで近づいてみる。
すると木の根元の茂みに、もぞりと動く小さなものを発見した。
おそるおそる覗いてみる。そこには褐色の毛に覆われたとても小さな動物が三匹、身を寄せ合うようにしている。胴と尻尾が長くて耳は小さく、ぎゅっと目を閉じている。まだ目が開いていないということは、生後十日ほどだろう。
「わあ……可愛い。もしかしてこの子たち、イタチの赤ちゃんじゃない?」
私は歓喜の声を上げた。イタチの赤ちゃんたちは、掌に乗れてしまうくらい小さい。この子たちが、ピキュピキュと鳴いていたのだ。
なんて可愛らしいんだろう。
思わず手を伸ばした私に、柊夜さんが鋭い声を上げた。
「触るんじゃない。親が近くにいるはずだ。それにこれはただのイタチではない。あやかしの、カマイタチの子だ」
私は慌てて手を引いた。
そういえば野生動物の赤ちゃんに人間が触って匂いがついてしまうと、親が子どもを見捨ててしまうことがあるという。可愛いからといって無闇に撫でてはいけなかった。
「ということは……さっき私に会いに来た、あのカマイタチの子どもたちでしょうか?」
「そのようだな。ほら、見ろ」
柊夜さんが顎で指し示した先に目を向ける。
少し離れた川縁には、先程マンションで遭遇したカマイタチが呆然とした体で立っていた。
「あ……あぁ……鬼神さま……」
ぶるぶると震えているカマイタチは、ちょうど巣に戻ってきたところだろうか。手に持っていた小さな魚が、ぽとりと落ちる。
柊夜さんは、さりげなく私の前に出て、カマイタチから守るように立ちはだかった。
「おまえが、俺の花嫁を傷つけ、赤子を喰らおうとしたカマイタチか?」
威圧的な低い声が紡ぎ出される。
首を竦めたカマイタチは、おそるおそる柊夜さんを見上げた。
「……さようにございます。わたしは、鬼神の子を喰らおうとしました」
柊夜さんの言ったとおりのことを認めるカマイタチに、思わず私は声を荒らげた。
「どうしてそんなことを言うの⁉ カマイタチはそんなことしなかったじゃない!」
カマイタチは私を襲ったわけじゃない。ただお腹に飛びついただけだ。それから、鬼神の花嫁としての未熟さを私に説いた。もし本当に赤ちゃんを食べる気があったのなら、いくらでも機会はあったはず。
けれどカマイタチは力なく首を左右に振った。
「初めはそのつもりでした……。でも、花嫁さまはお腹の子を襲おうとしたわたしを笑顔で抱き上げてくれました。そうしたらわたしは……自分も子がいる身なのに、なんてことをしようとしていたのだろうと我に返ったのです」
しん、と河原に沈黙が下りた。
その静けさの中に、カマイタチの赤ちゃんたちの無邪気な鳴き声が響く。
「でも……どうして? 私の赤ちゃんを食べてカマイタチが強いあやかしになって……そうしたら、この子たちはどうするの?」
鬼神の赤子を喰らえば強大な力が手に入るらしいが、カマイタチは殺戮を好むようには見えない。彼女がやるべきことは、赤ちゃんが成長するために乳をやり、少し大きくなったら食べ物を運んでくるという育児だ。それは今のままでも充分に可能ではないだろうか。
「この子たちのためなんです……。この河原は食べ物が豊富で過ごしやすいのですが、ほかの強いあやかしから狙われやすいのです。赤子はごちそうですから、この子たちが大きくなるまで、わたしが守らなければなりません。もっとわたしが強くならないと、いなくなった父親の分まで。そう思っていたところ、鬼神の赤子の匂いが漂ってきて……つい……」
告白したカマイタチは、がくりと項垂れた。
彼女が迷うような態度を見せていたのは、そういった事情があったからなのだ。
ひとりで子育てするのは大変なことだろう。しかも外敵から赤ちゃんを守らなければならない。強大なあやかしに変化すれば、それが容易だと考えるのも自然なことだ。
私はカマイタチに同情した。
けれど柊夜さんは厳しい声音を出す。
「どんな事情があろうとも、俺の子を喰らおうとした罪を許すわけにはいかない。おまえと、この赤子たちには罰を与える」
冷酷な台詞を吐いた柊夜さんを信じられない思いで見つめる。
赤ちゃんたちは何も知らないのに罰を与えるだなんて、ひどすぎる。
「待ってください、柊夜さん! 赤ちゃんたちには何も罪はありません!」
驚愕したカマイタチは赤ちゃんのもとへ駆け、小さな体に覆い被さる。
すっと腕を上げた柊夜さんは、人差し指で空間に何かの図形を描いた。
慌てた私は彼の腕を押さえるが、図形は完成してしまう。
五芒星の青い光が、ぼうっと浮き上がる。
それは周囲に広がると、ふいに消えた。
わずか数瞬のできごとだった。
何も起きなかったので、私とカマイタチは瞬きを繰り返す。
赤ちゃんたちは何事もなかったように、すやすやと無垢な寝顔を見せている。
「え……今のは……?」
事態を見守っていたヤシャネコは、のんびりとした声を上げた。
「心配ないにゃ。夜叉さまは結界を張ったにゃん」
「結界……?」
ひとつ頷いた柊夜さんは腕を下ろした。
「強力なあやかしがこの結界に触れれば弾かれるだろう。これで知らぬうちに赤子が喰われるという事態は免れるはずだ。ただし小動物程度のあやかしには効かないぞ」
鬼神の結界に守られた巣は、外敵の侵入を防ぐのだ。
柊夜さんは、カマイタチの赤ちゃんを守ってくれるんだ……。
私の胸に喜びが湧く。
「これが、おまえたちへの罰だ」
低く呟いた柊夜さんは険しい表情を崩さない。
カマイタチは赤ちゃんを抱きしめながら、ぽろぽろと涙を零した。
「あ……ありがとうございました! もう決して花嫁さまを襲ったりいたしません」
よかった。罰を与えると言うからどうなることかと思ったけれど、柊夜さんは初めからカマイタチやその赤ちゃんたちに危害を加えるつもりはなかった。
柊夜さんは、優しい鬼神なんだ……。



