次は二年の後半だ。一年の時の発表は二年になっても付きまとい、私は「うまく話せない子、一年の頃の自己紹介で変な喋り方をしたやつ」として周知され距離を置かれていた。

 そんな時、クラスで中心にいる奴の作文が、夏に開かれた国が主催している高校生のコンクールか何かで賞を取ったのだ。

 その題材が私だった。

 私は自分が題材にされていたことを全く知らず、夏休み明け、先生が皆の前で発表し愕然とした。私はそれまで奴とは一度も話をしたことがなかったし、書いてもいいかなんて聞かれていなかった。

 呆然としていると、秋にスピーチコンテストがあり、そこで作文は国の偉い大臣とかの前で読むと担任が説明し、通例では作文を書いた本人が読むものだけれど、ここは私が読むべきだとみんなの前で言い放ったのだ。そうすることで、私と同じ悩みを持つ皆を元気づけられると笑って。

 そんなこと、出来るわけがない。何度首を横に振って、嫌だと言ってもなかったことにされて、なら始業式が始まる前に皆の前で読めばきっと大丈夫だと、この場には私の味方しかいないのだからと、そう言って先生は私を黒板の前に立たせ、読み上げるであろう作文を持たせた。

 顔を上げれば、好奇の目が一瞬にして私に集中した。皆そろえた様に唇に弧を描いているように見えて、二つ並んだ白目に丸い点がぎょろぎょろとこちらを覗いている。

 その光景を前にしたとき、心臓がばくばくして、足が震えて、背筋がとにかく寒くて、気が付いた時には胃液がせり上がってきて、どうしようもなくなった私は盛大に吐いた。

 吐いてはいて、先生が駆け寄って私の背中に手をまわした瞬間どんどん吐き気が止まらなくなって、皆が私のことを避けて教室の、黒板側とは正反対の方向に皆が寄って、校内を歩いていた先生たちが状況がおかしいことに気付いて、教室に入ってきた。

 後のことは、もう地獄としか言いようがない。ゲロまみれの私は入ってきた先生たちに運ばれて、保健室に連れていかれたあと病院に行った。その後は、悲しそうな顔をしたお母さんが迎えに来て、一緒に帰った。その夜、お父さんは私に部屋にいるよう言って、しばらくすると玄関のチャイムが鳴って、担任と、作文を書いた奴の声、そしてお父さんとお母さんの話声が聞こえた後、声を荒げる二人の声が聞こえた。

 担任の先生は、きっと私が誤解をしているから会わせてほしいという一点張り、最後にはお父さんが出ていくよう伝えて、担任たちは出て行った。

 そして次の日、私は学校を休んだ。

 お母さんもお父さんも、行きたくなったら行けばいいと言ってくれて、でもこのままだと高校の受験に響いてしまうことは自分が一番よく分かっていて、嫌だったけど始業式から一週間経った頃、学校に行かなければと朝起きて、制服を着て、教科書をもって、玄関を出ようとした瞬間、急激に吐き気が込み上げてきて、吐いた。

 何度吐いても吐き気は収まらなくて、玄関をぐちゃぐちゃにして、お母さんが背中をさすってくれても全然吐き気が収まらなくて、結局救急車で運ばれた。それからまた、一週間くらいたって、今度こそ大丈夫だと自分に言い聞かせて玄関の手すりを握ると、また駄目だった。

 それからは、もう学校に行くのは無理かもしれないという話になって、お母さんたちと学校が話し合いをして、三か月間私は家にいた。