あてもなく廊下を歩いていく。

 人の目を避けるように俯いて、うぇいうぇい言って馬鹿みたいに騒ぐ奴らが廊下を塞いでいるときは、道を変える。

 そうして歩いていると、美術室や化学室がある別棟のほうまで来ていた。

 廊下の窓を覗いて向かい側には私のいる教室が見え、廊下の前で男子たちが馬鹿みたいに騒いでいる様子が離れた距離からでも十分に分かる。

 くだらない。

 なのにくだらないそいつらを避けなければいけない自分にもやもやとしていると、金属のこすれる音が聞こえてきた。ちょうど廊下の向かい側から、保健室で出会った先輩が歩いてきている。先輩は今日もマスクをつけ、ただ歩いているだけなのに、テレビで見るモデルのように堂々とした雰囲気を感じた。

「ああ、君は」

 踵を返すには遅すぎて、気づかれまいと俯いていると、先輩は私に近付いてきた。。

「樋口さん。どうしたの、これから保健室へ行くの?」

「い、い、いや」

「そうか。じゃあ散歩か移動教室か何かかな」

「……はい」

 先輩は、考え込むようにして私を見る。

 気づかれたのだろうか……。お腹の奥がぐるぐるして気持ち悪くなってきた。今すぐ逃げ出したいのに動けないでいると、先輩は「うん、やっぱり私、君に名前を名乗ってないよね?」と私に問いかけてきた。

 今まで考えていたのは、名前を名乗っていないか、思い出そうとしていたから?

 疑問を浮かべている間にも、先輩は一人で頷きながら口を開く。

「私は君の名前を保健室の来訪者カードで知っているけど、私は名乗っていなかった。何となく何かしていないような気だったんだけど、そういうことか。私の名前は萩白咲、植物のはぎに、白色のしろ、そして咲くと書くんだ。よろしくね樋口さん」

 萩白先輩は私に手を差し出した。恐る恐る手を握ると、先輩はその柔らかな手をきゅっと力をこめる。そして繋いだ手を離すと目を細めた。

「じゃあ、私は図書室に用事があるから失礼するね。また保健室で会おう……と言うと、何だか君の体調不良を望んでいる意味合いになってしまうね……、まぁ、私はいつでも保健室にいるから、体調が悪くなったらいつでも来なよ。先生がいなくても私が引き継ぐから」

 ひらりと手を振って萩白先輩は去っていく。その後ろ姿も、堂々としている。

 先輩は、たぶん保健室登校だ。マスクをつけているから、身体が弱いのか、それとも……。

 そう考えて、不意に昔の記憶がよみがえった。暗い扉、悲しそうなお母さんとお父さんの顔、私を見る、担任の先生の、困ったように馬鹿にするような顔……。

 その顔をかき消すようにして頭を振ると、休み時間の終わりを知らせる鐘が鳴り、私はすぐに教室へと足を速めていった。