「赤谷君。お腹空いたでしょう? 美味しく出来たよ。カレー温め直して大盛にしておいたから食べて」
 
 慎吾がいたのは、キャンプファイヤーをしている校庭の隅。そこにあるベンチに腰かけていた。
 廃校を宿にするに当たり、遊具は取り外され木々はほとんどがない。その代わり、芝生や街灯がおしゃれに配置されている。
 
「……花木が来るとは思わなかった」
 
「だろうね。赤谷君と翠子さんを見ていたらお節介焼きたくなったの。あ、私に気にしないで食べて」
 
 慎吾は何も言わず、ラップをかけられたカレーやサラダ。それに、ペットボトルのお茶を碧理から受け取った。
 黙々と食べ始めた慎吾の隣に碧理が座り、空を見上げる。
 
「綺麗だね。こんなにもたくさんの星を見たのは初めてかも」
「この辺は緑も多いし空気も澄んでいるからな」
「カレー美味しい?」
「ああ、美味い。翠子は大丈夫だったか? 泣いていただろ?」
 
 慎吾も責任を感じているようだ。せっかくの美味しいはずのカレーなのに、眉間に皺を寄せながら食べている。
 
「そうだね。ねぇ、赤谷君は何で翠子さんと別れたいの? それと、高校入ってから不良になった訳を教えて」
 
 碧理の言葉に慎吾は咽る。
 
 
 普段から大人しい印象の碧理がストレートに聞いてきたことに驚いたらしい。
 
「誰にも話したことないのに、花木に話すのか?」
 
「そんなに仲良くない私だから話せるんじゃないの? ほら、この旅行が終われば、また日常に戻るよ。赤谷君とはクラスも違うし基本的に会わないじゃない。誰にも言わないって誓うから聞いてあげる」
 
「何だよ、その上から目線」
 
 凛として響く碧理の声は、夏の夜空へと消えていく。
 
「さっきの二人の会話聞いていたらさ。昔、両親が喧嘩している時のこと思い出したんだ。それぞれが言いたいことを言わなくて、結局、修復不可能になって別れたの。声に出さないと伝わらないよ。人の心はよめないから」
 
 看護師だった碧理の母は、夜勤もあり休みも不規則だった。そのせいで、サラリーマンの父、拓真とすれ違いの生活の日々。
 そんな日々が続くと、ズレが生じた。
 
 一時はそれぞれ主張をぶつけ合い妥協点を探っていたが、いつからか二人共、何も言わなくなった。ギスギスした家庭は更に不和を起こす。
 
 お互いが言いたいこと言わず妥協しながら暮らし、我慢し冷戦状態が続いた。そんな日々は長くは続かず、砂の城のようにゆっくりと崩壊した。
 
「だから、赤谷君も翠子さんのことが好きなら素直になりなよ。後悔してからじゃ遅いよ。時間は戻らないから」
 
 両親が離婚した時、何も出来なかったことが碧理の心に傷を残した。
 碧理の親権を手放すほど母親は精神が不安定になり、休職しなければならないほど脆くなった。そんな母親が立ち直ったと知らされたのは八年前。
 
「母親と会ってるのか?」
「一年に数回ね。会話は弾まないけど、やっぱり会えると嬉しいかな。赤谷は……後悔をしないでね」
 
 そう碧理が伝えると、慎吾が考え込む。
 あんなにも大盛にしたカレーは、いつの間にか空になっていた。
 
「……俺さ、誰にも言ってないけど塾行ってるんだ。……姉貴からお金借りて」
 
「塾? 意外……。でも、お姉さんにお金借りたってことは、親に言ってないの? 赤谷君、お姉さんいたんだ?」
 
「ああ。キャビンアテンダントなんだ。親父達は学歴主義だから大学行けって煩いから、進路に口出されると面倒だし姉貴にお願いした。俺さ、高校卒業したら、ワーホリか青年海外協力隊に参加したくて英語勉強してんの」
 
 ポツリポツリと慎吾が話し出す。
 ついでというように、スマホから姉と一緒に写っている画像も一緒に。
 犬も飼っているらしく、幸せそうだ。

 中学生の時、両親の知人で、海外で井戸造りを手伝っている日本人に会ったと言う。その人と話して世界が広がり、自分も挑戦したいと思ったと。
 
「それなら大学行ってからでも良いんじゃない? えっと、青年海外協力隊って二十歳からでしょ?」
 
 碧理がすぐにスマホを操作して調べ始める。
 
「そうだけど、早く行ってみたいって言うか。正直、翠子と離れたかった。お互いがお互いに依存し過ぎている。このままじゃ、俺達はお互いの未来を奪ってしまうと感じたからな」
 
 同じ年とは思えないほど慎吾が大人びて見えた。
 将来のことを考え、そして行動している。
 確かに、翠子は慎吾がいないと不安そうで、始終ぴったりと傍にいる。対する慎吾も、目を離さず翠子を気にしていた。
 そこにお互いがいるのが当たり前のように。
 
「じゃあ、どうして高校になってからグレたの?」
 
「失礼だな。噂みたいに喧嘩してないぞ。それに、ちょっと学校サボって写真家のおっさんの家に入り浸ったり、そこに来る大人達に混じって過ごしていただけだ」
 
「どこで出会うのよ、そんな人に。あ、そっか。写真部だったね。その縁?」
 
「ああ、個展があって、その時に会った。こんな世界があるんだって衝撃を覚えたんだ。俺の世界がとてつもなく小さく感じた。本当は、その写真家に付いて働きたいけど許してくれなくてさ。なら、新しい物に触れて成長したいと思った」
 
 慎吾の話を聞いている限り、その写真家は偏屈な上に変わり者らしい。だが腕は良くその世界では有名だと言う。
 
「つまり、その写真家の弟子になるために入り浸っていたら、写真家の友達に感化されてしまったと」
 
 それは出席日数も足りなくなるだろう。それに、授業もわからなくなる。何よりも、大人の世界に嵌った慎吾は外見も感化された。
 悪い方へと。それが悪循環を生んだ結果、今に至ると。
 
「まあ、そうだな。これが、自分が一番やりたいことかなって思ってさ」
 
「熱く語るのは良いけど、翠子さんには伝えなよ。誤解してたじゃない。赤谷君が問題行動起こしたのは自分のせいだって」
 
「あいつに言うと、付いて来るって言いそうでさ」
 
 どうやら慎吾は物凄く自意識過剰らしい。
 とことん、翠子が自分を好きだと思っている。
 
「あのさ。確かに翠子さんは赤谷君のこと好きだって公言しているけど、さっき翠子さん、会社継ぐために頑張るって宣言していたから、赤谷君と行動を共にすることはないと思うよ」
 
 ばっさりと切り捨ててやると、慎吾の顔つきが変わった。
 
「でも、あいつは俺に傍にいて欲しいって……」
 
「それは本当だと思うけど。二人が同じ進路行く訳ないじゃん。あんなに賢い翠子さんならわかっているって。てかさ、どこでこじれたかわかんないけど、二人で話し合ってよ」
 
「それが難しいんだ」
 
 そう言うと、なぜか慎吾は項垂れた。
 
「なんで?」
 
「翠子を前にすると何も言えなくなって。翠子の両親からは特に何も言われていないんだ。ただ、付き合っていることを話しただけで」
 
「えっ? そうなの? 反対されたとかは?」
 
「特にない」
 
 意外な展開に、碧理が驚く。
 厳格そうな翠子の両親は、慎吾との付き合いを公認しているらしい。それすらも翠子は知らないと言う。
 
「何で翠子さんに言わないのよ?」
 
「さっきも言っただろ? お互いが影響を受けすぎて悪い方向へいっているって。このままじゃ、翠子も俺もダメになる。好きだけど……大人になりきれていない今は、一緒にいられない」
 
 辛そうに慎吾は夜空を見る。
 満天の星に、願いを込めるように目を閉じた。
 
「上手く伝えることが出来ないなら、はい、これ」
 
 碧理が鞄から取り出したのは、赤いB五のノート。それを不思議そうに見ている慎吾にボールペンと一緒に押し付けた。
 
「なんだよ、これ?」
 
「そのノートに、今、私に言ったことを全部書いて渡すのよ。口で伝えられないなら書いて渡せば良いじゃない。上手く書かなくても意味が伝わるだけでいいから、文章が無理なら箇条書きにすれば簡単だよ」
 
 慎吾は、碧理とノートを何度も見比べる。
 そんな慎吾を横目に、碧理は食器が乗っているお盆を手に持ち立ち上がった。
 
「じゃあ、私、行くから」
「俺が自分でやるよ」
「大丈夫。ほら、待ってるみたいだから。ゆっくりどうぞ」
 
 碧理が視線を向けた先には、翠子と蒼太の姿。どうやら気になったようで、様子を見に来たらしい。
 
「えっ、いつからいたんだ? 今までの会話、聞かれてたり……」
「ああ、それはないから。二人共今、来たよ。じゃあ、頑張って」
 
 歩き出した翠子とすれ違い様、碧理は「頑張って」と声をかけた。それに翠子はゆっくりと頷いた。
 
 
「持つよ。お疲れ様」
 
 蒼太が当たり前のように、碧理が持っていたお盆を受け取る。
 
「ありがとう」
 
「ところで、花木さん、いつの間に鞄とノート持って行ったの?」
 
「こっちに来る前に荷物取りに行ったの。だって、二人がすれ違っているのがわかっていたから、書いた方が早いと思ったの」
 
「経験談?」
 
「うん。その通り」
 
 碧理は、両親が離婚後、祖父母の家に預けられた。その時に、自分の気持ちが上手く伝わらず泣いていた時に祖母が教えてくれたのだ。
 
 自分の心がわからなくなったら、迷ったら紙に書けと。そしたら落ちついて解決方法が見えて来ると。
 だから、碧理は実行した。
 
 
 あの二人が最善の道を選ぶようにと祈りながら。