朝の講義の時間が迫る。
沙織がデータ分析室の時計を見て周囲を見渡す。LINEを開いても私からの連絡はない。立ち上がって生活環境学部の建物の入り口を覗いてみる。人気はなかった。
データ分析室前に戻ると、中の様子を伺う宏紀がいた。
「宏紀君!」
勢い任せに振り返る。
「あ、沙織ちゃん……おはよう」
「おはよう……未砂が来てないんだけど、何か聞いてる?」
「……何も聞いてないけど」
「そうか……入らないの?」
「あ、入る……」
宏紀は俯きながら入る。
七海の姿が目に入る沙織。当然真也も近くにいる。沙織はさりげなく宏紀の表情を伺う。宏紀の視線は遠くにいて居場所が確認できない。
「宏紀君、どこ座る? 席もう結構埋まってきているけど……」
「本当だね……」
人数が多い食品栄養学科、全学生が入ると空きスペースがない。
「私の隣に来る? 未砂が来てないし。未砂なら違う人の隣になってもなんとかなるかもだし……」
「それは未砂に悪いな……」
「たぶん、来ないと思うよ。連絡も何もなかったから」
「ありがとう」
「今日の概要をまとめて、来週の講義までに提出してください。みなさん復習してくれると思うんです。何て言ったって、誇り高き食品栄養のみなさんですから。でも課題として出します。いつもの特設サイトに提出してください」
ファイルをかばんにしまう沙織とは対照的に、パソコンを立ち上げたままの宏紀がいる。
「ランチは行かないの?」
「ああ……僕は、ここでレポート仕上げようかなって」
沙織と二人では気まずいのかどこか歯切れが悪い。
「そっか……すごいね、すぐに取り組むなんて」
「いや……すぐ、忘れちゃうから、今やろうって」
愛想笑いが目立つ宏紀に、沙織はそれ以上言わなかった。前方を見ると真也が七海と荷物をまとめて、宏紀や沙織を待っているんだろう。
ぼんやり真也に視線を送っていると、瞬間的に真也と視線が重なる。気まずくて宏紀に視線を向けた。釘を打ったようにパソコンに視線を固定している。
真也が沙織と宏紀のもとへ近づいてきた。沙織に変な緊張が走る。宏紀はパソコンに視線を近づけた。まるで身を隠すように。
「宏紀、お昼行かないの?」
力みで手が震えている。それでも必死で視線を打ち直す。
「……行かない。先に食べてて」
「なんで? みんなでいつも行ってるのに」
一人はみ出して輪を崩す。それが真也はどこか不満げだった。
「……」
宏紀はひとつひとつの行動に理由は必要か、と言わんばかりに作業に集中する。
沈黙は沙織を窮屈にさせる。不穏な空気が一気の広まる。
「宏紀、どうかした?」
真也は宏紀に視線を固定して言った。
「……何が?」
「いや、なんか悩んでるみたいだって」
『悩み』という言葉を耳にした瞬間、宏紀の目の前には七海とグラウンド近くで話した時のことを思い出す。
「別に……大丈夫」
あくまでも視線は外さない。
「本当? 話聞けるけど……」
「いや、大丈夫」
明らかに宏紀から疎ましく振る舞われて言葉を失う。
「今日は、レポート仕上げるみたいだよ。忘れちゃうんだって。あはは」
沙織がフォローするように言った。
「そうなんだ……それにしても感じ悪いよな」
真也の目が吊り上がって、声からただならぬ気配を感じ取って七海は真也のそばについた。
「……」
「レポート書いているのに全然進んでないね」
畳み掛けるように言う真也を無視し続けている。
「聞いてんのかよ!」
真也は宏紀の肩を突き飛ばした。パソコンへの集中力は一瞬にして分散してファイルに入ったプリントが床に散らばった。
宏紀は立ち上がって真也を睨みつけた。
真也も宏紀を睨み返す。
「何なんだよその態度! こっちは心配して言ってるんだよ!」
「うるせぇな! お前に関係ないだろ!」
「何だと!」
真也が宏紀の胸倉を掴んだ。
「ちょっと二人ともやめてよ!」
七海が仲裁に入った。
沙織は宏紀の腕を掴んで真也から引き離そうとする。
興奮して詰め寄る宏紀が今にも爆発しそうだった。
「友達だから何かできることはって考えてたのに何なんだよ!」
「友達……」
唇を震わせて言葉を噛み砕いているように見える。
「そうだよ……お前がそう言ってくれたように、俺もそうしようって思ってたのに……」
その時のこと、宏紀は覚えているだろうか。
「……」
七海は宏紀を引き離した。沙織も釣られて移動した。
再び宏紀は真也を視界に捉える。
「お前に俺の気持ちは分からない……」
そう言い残して力なく
「宏紀待ってよ」
追いかけて来てくれる七海を無視している。宏紀はどんな気持ちなんだろう。
「宏紀!」
宏紀は立ち止まったけど、後ろを振り返ることはない。
「何?」
「ごめんね……私が変なこと言ったから」
「七海のせいじゃないよ……」
七海に謝られても、宏紀は虚しくなるだけだろう。
「……宏紀、どうしたの?」
宏紀は何も言えないだろう。宏紀はいったい何度口を閉ざせば暗闇から抜け出せるんだろうか。誰にも分からない。分からないから辛いんだ。
「何もない……」
そう言い残して、宏紀は足早に歩いて行った。
沙織がデータ分析室の時計を見て周囲を見渡す。LINEを開いても私からの連絡はない。立ち上がって生活環境学部の建物の入り口を覗いてみる。人気はなかった。
データ分析室前に戻ると、中の様子を伺う宏紀がいた。
「宏紀君!」
勢い任せに振り返る。
「あ、沙織ちゃん……おはよう」
「おはよう……未砂が来てないんだけど、何か聞いてる?」
「……何も聞いてないけど」
「そうか……入らないの?」
「あ、入る……」
宏紀は俯きながら入る。
七海の姿が目に入る沙織。当然真也も近くにいる。沙織はさりげなく宏紀の表情を伺う。宏紀の視線は遠くにいて居場所が確認できない。
「宏紀君、どこ座る? 席もう結構埋まってきているけど……」
「本当だね……」
人数が多い食品栄養学科、全学生が入ると空きスペースがない。
「私の隣に来る? 未砂が来てないし。未砂なら違う人の隣になってもなんとかなるかもだし……」
「それは未砂に悪いな……」
「たぶん、来ないと思うよ。連絡も何もなかったから」
「ありがとう」
「今日の概要をまとめて、来週の講義までに提出してください。みなさん復習してくれると思うんです。何て言ったって、誇り高き食品栄養のみなさんですから。でも課題として出します。いつもの特設サイトに提出してください」
ファイルをかばんにしまう沙織とは対照的に、パソコンを立ち上げたままの宏紀がいる。
「ランチは行かないの?」
「ああ……僕は、ここでレポート仕上げようかなって」
沙織と二人では気まずいのかどこか歯切れが悪い。
「そっか……すごいね、すぐに取り組むなんて」
「いや……すぐ、忘れちゃうから、今やろうって」
愛想笑いが目立つ宏紀に、沙織はそれ以上言わなかった。前方を見ると真也が七海と荷物をまとめて、宏紀や沙織を待っているんだろう。
ぼんやり真也に視線を送っていると、瞬間的に真也と視線が重なる。気まずくて宏紀に視線を向けた。釘を打ったようにパソコンに視線を固定している。
真也が沙織と宏紀のもとへ近づいてきた。沙織に変な緊張が走る。宏紀はパソコンに視線を近づけた。まるで身を隠すように。
「宏紀、お昼行かないの?」
力みで手が震えている。それでも必死で視線を打ち直す。
「……行かない。先に食べてて」
「なんで? みんなでいつも行ってるのに」
一人はみ出して輪を崩す。それが真也はどこか不満げだった。
「……」
宏紀はひとつひとつの行動に理由は必要か、と言わんばかりに作業に集中する。
沈黙は沙織を窮屈にさせる。不穏な空気が一気の広まる。
「宏紀、どうかした?」
真也は宏紀に視線を固定して言った。
「……何が?」
「いや、なんか悩んでるみたいだって」
『悩み』という言葉を耳にした瞬間、宏紀の目の前には七海とグラウンド近くで話した時のことを思い出す。
「別に……大丈夫」
あくまでも視線は外さない。
「本当? 話聞けるけど……」
「いや、大丈夫」
明らかに宏紀から疎ましく振る舞われて言葉を失う。
「今日は、レポート仕上げるみたいだよ。忘れちゃうんだって。あはは」
沙織がフォローするように言った。
「そうなんだ……それにしても感じ悪いよな」
真也の目が吊り上がって、声からただならぬ気配を感じ取って七海は真也のそばについた。
「……」
「レポート書いているのに全然進んでないね」
畳み掛けるように言う真也を無視し続けている。
「聞いてんのかよ!」
真也は宏紀の肩を突き飛ばした。パソコンへの集中力は一瞬にして分散してファイルに入ったプリントが床に散らばった。
宏紀は立ち上がって真也を睨みつけた。
真也も宏紀を睨み返す。
「何なんだよその態度! こっちは心配して言ってるんだよ!」
「うるせぇな! お前に関係ないだろ!」
「何だと!」
真也が宏紀の胸倉を掴んだ。
「ちょっと二人ともやめてよ!」
七海が仲裁に入った。
沙織は宏紀の腕を掴んで真也から引き離そうとする。
興奮して詰め寄る宏紀が今にも爆発しそうだった。
「友達だから何かできることはって考えてたのに何なんだよ!」
「友達……」
唇を震わせて言葉を噛み砕いているように見える。
「そうだよ……お前がそう言ってくれたように、俺もそうしようって思ってたのに……」
その時のこと、宏紀は覚えているだろうか。
「……」
七海は宏紀を引き離した。沙織も釣られて移動した。
再び宏紀は真也を視界に捉える。
「お前に俺の気持ちは分からない……」
そう言い残して力なく
「宏紀待ってよ」
追いかけて来てくれる七海を無視している。宏紀はどんな気持ちなんだろう。
「宏紀!」
宏紀は立ち止まったけど、後ろを振り返ることはない。
「何?」
「ごめんね……私が変なこと言ったから」
「七海のせいじゃないよ……」
七海に謝られても、宏紀は虚しくなるだけだろう。
「……宏紀、どうしたの?」
宏紀は何も言えないだろう。宏紀はいったい何度口を閉ざせば暗闇から抜け出せるんだろうか。誰にも分からない。分からないから辛いんだ。
「何もない……」
そう言い残して、宏紀は足早に歩いて行った。


