買い物袋を両手に私と沙織は私の家に辿り着いた。
 横浜で買い物をしてランチを食べてから、私の家に行くことになった。何もない私の地元で良ければという感じで沙織を案内した。宏紀も誘おうかと思ったけど、沙織が気を遣うだろうし、女の子の買い物に付き合わされるのは乗り気にならないと思ってやめておいた。入学式後のオリエンテーションで、私の地元、磯子を紹介するっていう約束がこんなに早く実現するとは思わなかった。
 私の近くに沙織がいて本当に良かった。私と沙織がナ行で良かった。
「たくさん買ったね」
 一つ一つ大事に確認するように、沙織が買った服を手に取っている。
 ショーパン、ワンピース、春用ジャケットに花柄のスカート。
 ここでファッションショーをしたくなった。モデルは沙織だけでいい。
 沙織は私に、『宏紀が好きそうな服』をテーマに選ぶって言って張り切っていた。でも恥ずかしすぎるから、『私に似合う服』で方向転換してもらった。でも中には宏紀向けのものが隠れているかもしれない。宏紀の好みの服を沙織が詳しく知っているわけではないと思うけど。知っていたら、どこで入手したのかすごく気になる。
「最近どう?」
 唐突に沙織が私に問いかけてきて、「最近?」と反応した。でも何のことかは分かっている。
「宏紀君と」
 買い物中も宏紀の話題は出たけど、その時はそれを煙に巻いて沙織のファッションに集中した。
「ああ……」
「未砂には色々な思いがあると思うけど」
 私は口を紡いで、何度も小刻みに頷いて今の気持ちを表現した。
 沙織はだいたい私の気持ちを理解してくれているようだ。でも、最近私の前に現れた宏紀の今は知る由もないだろう。
「何か……私が聞いて解決できることがあれば、聞くよ」
 解決はできないと思うけど、その言葉はすごく嬉しい。背筋に落ちた氷の雫は、宏紀のことを考えると蘇ってくる。これを拭き取ってくれる人は誰なんだろう。
「ありがとう……」
 その後の台詞が出てこなくて立ち止まる。この話をしても大丈夫なのか、そうじゃないのか、行く方向を迷っている。私が勝手に道筋を作って辿り着いたことだから真相は分からない。宏紀の今を考えると、辛くなってくるのもあるんだ。
「何もないなら、大丈夫だけど」
 沙織は黙り込む私を見てそう言ってくれた。沙織にいつも気を遣わせているような気がする。何もないことはない。誰かに相談したい気持ちはある。でもそれが正しい選択かは分からない。
「誰にも言わないでね」
「もちろん! これは私と未砂の間だけね」
 ベッドの上に座っていた私の隣に沙織が肩を寄せてきた。聞く姿勢を整えて、可愛い顔に少しだけ凛々しさを付け加えた。かわいくてそれだけで幸せになれそうだった。
「例えば、沙織に好きな人がいて、本当に大好きなのね」
 耳を近づけて沙織は、興味津々で私の話を聞いている。
「それで、その大好きな人と沙織の間で障害ができたとしたら、沙織はどうする?」
「障害?」
 定義が分からないと理解はできないだろう。言葉を変えてもう一度話しかけてみる。
「なんていうか、その人に気持ちを伝えられなくなってしまう出来事が起きたりとか」
「うーん……私なら伝えるかな。というか伝えたいな」
「そっか……」
 もちろんその意気があればいい。
「その障害がはっきり分からないと、何とも言えないけどね……」
 私が静寂を作ったのを見て沙織はそう言った。沙織も要点が見えなくて困惑している。信用していないようでバツが悪くなる。遠回しは良くない。
「何かあった? 知らぬ間に何かあった……感じ?」
 理解の途中で立ち止まっていた沙織が核心を突いた。
 沙織はかわいいのにズバッと聞ける見えない何かを恐れない強さがある。
「はっきりしていない話だから、言わないでおこうと思ったんだけど……」
「だから言いにくそうだったんだね。未砂、私のこと信用してない!」
「ごめん」
 沙織のほっぺたがぷくっと膨れてかわいい。沙織が冗談に変えてくれたから少し私も楽になれた。
「いいよ! それでどうしたの?」
「あくまでも例えばね」
 沙織は頷いて、その先のエピソードを待っている。
「沙織の友達が、沙織と同じ人を好きになったら、どうする?」
「要するに、私と未砂が同じ人を好きになったってことだよね?」
 沙織が頭の中で相関図を作成した。その見えない相関図を目にした私は何も言わずに頷いた。
「どうだろう……諦めちゃうかな。人間関係壊したくないし。未砂がすごく好きってことを知っているから」
 なんて優しいんだって思った。でも私がここまで好きをアピールしていたら沙織も自分の気持ちは出せないだろう。
「未砂はどうするの? もしもそうなったら?」
「諦めないと思う」
「もし私が友達の気持ちを知っても、その人を追いかけるんなら、その子と絶交するぐらいのつもりで告白すると思うよ。好きならそのぐらいの覚悟は決められるかなって。友達も男も、どちらも手にしようとは思わないかな」
「そうだよね……」
 自分の気持ちを貫き通すならそうなるだろう。
「友達として普通に接していくことは難しいよね。奪ったみたいな感じだし」
「そうだよね……」
 今までの話を総括すると、その状況によるっていうことだろう。一概に答えを出すことはできない。
 宏紀は七海が好きだと思う。これは間違いない。
 そして真也も七海が好きだと思う。
 宏紀が想いを寄せる七海ではなくて真也を優先したとすれば、宏紀にとって真也はどういう存在なのだろう。二人は友達かもしれないけど、長い付き合いのある友達じゃない。まだ出会って間もない。そんな浅い関係で宏紀の決断に影響を与えたとは思えない。
「でも、その状況になってみたいと分からないかな……色々考えちゃうし、冷静じゃなくなっちゃうし」
 沙織も交錯する複雑な気持ちを吐露するように様々な気持ちが滑り落ちてきた。
「うん……」
 宏紀も同じように冷静な判断ができなかっただけか。真也の気持ちを聞かされ、もしくは聞いてしまって真也とどう接していくのかを迫られた。もちろん時間は待ってくれない。
「それか、私たちってまだ大学生じゃない?」
「うん」
「また出会いを求めるかも。そんなに深く考えないのかもしれない。分からないけど、好きでも諦めるかもしれない。気まずい感じになるのも嫌だし」
 確かにそれもあり得る。でもそれなら宏紀のあの変化は説明がつかなくなる。それに宏紀の七海への気持ちはそんなに簡単なものではないと思う。
「未砂はどう?」
「え?」
「友達と縁を切ってでも、その好きな人を追いかけるの?」
「……宏紀なら」
「すごいね、未砂」
 そうできるのは宏紀だからだ。私を認めてくれた、受け入れてくれた宏紀だからこそだ。他の人は同じ気持ちを維持できるかは定かではない。
「どちらにしても、その状況次第だよ。何を一番に考えるかだよ」
「そうだよね」
 本人にとって何が大切なのかだ。
 それが宏紀の場合、友達だったのかもしれない。
 七海よりも真也を選択したっていうことだ。宏紀の素直な気持ちをかぶせて真也を選んだんだ。七海を諦めて真也を友達として応援するというなら、私はすごいことだと思う。自分の本心を隠して、ただうわべだけの関係になっていくんだ。そんな人間関係は作りたくない。
「私、宏紀は七海ちゃんのこと好きだと思うのね」
「うん」
「真也君も、好きだと思うんだよね」
「真也君が七海ちゃんを?」
 黙って私は頷いた。
「なんか分かる気がする。いつも話しているもんね……そういうことか。それで宏紀君が七海ちゃんを諦めちゃったってこと?」
「うん……推測ではあるんだけど、間違いないと思う」
「うーん」
 沙織がうなるように声をあげて考え事をしている。沙織も私と同じように辻褄の合わないところがあるのかもしれない。
「どうしたの?」
「宏紀君のことよく分からないけど、真也君に譲るかな……」
 沙織も同じところで壁にぶつかったみたいだ。
「私もそう思うけど、宏紀、優しいから。自分は手を引こうって思ったのかもしれない」
「するかな? そんな出会って間もない人に」
「私もそう思うけど……」
 宏紀を理解する過程で同じ道のりで石につまずいた。私だけじゃなかったことは安心した。
「さりげなく聞いてみたら?」
「聞くって?」
 大体何を聞くのかは分かるけど、沙織があまりにサラッと言いのけたから確認を取る。
「真也君とのことを」
 思っていた通りだった。
「うーん……」と私は少しだけ考え込んだ後、「できるかな……」
「でも今のままだと、宏紀君の今は分からないから……」
 沙織は意外にも思い切って言ってくれたみたいだ。確かに何も分からないまま、推測を触りながら宏紀と向き合うのは難しい。真実が見えない、分からないストレスってこんなにのしかかるんだ。
「怖くてできない」
 宏紀からしたら、触れられたくないことかもしれない。もしも本当に真也と七海の間で思い悩んでいるなら、傷を底辺からえぐることになる。宏紀だって男の子だ。女の子に知られなくない事実だってあるはずだから。それを考えると、私はブレーキをかけてしまう。
「宏紀君を助けるっていう感じで話しかけらいいんじゃない?」
「……助ける?」
 真実に迫り、傷口をえぐるのではなく、宏紀を助ける。
「うん。もし宏紀君がそういう状況にいるなら、だれにも相談できないと思うから……話を聞いてあげて、宏紀君を助けてあげたら? それならできそうじゃない?」
 確かに私が宏紀のそばにいたいって強く思うのは、宏紀に笑ってほしいから。人の緊張を解くように小さく笑ってくれる宏紀が大好きだ。
「それならできるかも……」
 つぶやく私でもどこか力強さを感じる。
「別に宏紀君のことを傷つけようと思って話しかけるわけじゃないし、一人で悩んでる時に声かけてくれたら宏紀君、嬉しいと思う。ねぇ、宏紀君の特別な人になれるチャンスかもよ」
 沙織は私の背中をさすりながらもポンと背中を押してきた。それは私を笑顔にさせた。
「そうなれたら最高」
「でしょ? じゃあ聞いてみよう。もし一人じゃ心細いなら、私もそばにいるから……」
「それじゃあ、宏紀が話し辛くない?」
 二人にじっと見られながら真相を話す宏紀を想像する。マジで気まずそうだ。
「だね……宏紀君に気付かなれない程度の距離にするわ」
「……でも私はそばにいてほしいかも」
 宏紀の気持ちを受け止めきれるかどうか、不安もある。
「まぁ、とりあえず、近くにはいるよ」
 宏紀を助ける。これは私の中では大きな言葉だった。誰かにパンクしそうになっている気持ちを吐き出すことで、楽になれるかもしれない。
 私は宏紀が大好きだけど、宏紀の想いを叶えてほしい気持ちもある。嫉妬心に苛まれながらも、宏紀のそばにいたいって思う私がいながらも。七海といた方が、宏紀は確実に幸せになれるから。
「ありがとう……沙織って、すごく頼りになるね」
「でしょ? 私ね、ふわふわしてるって言わるけど、そうでもないよ」
 凛々しい顔で私を見つめて胸を張る沙織。
 私が一人で考えていたら、もっと深い闇に足を踏み入れていたかもしれない。宏紀の今を知る人が私以外にいるこの安心感。もしかしたら宏紀も同じかもしれない。私の中に勇気が顔を出し始めている。不安な中でも、私はその勇気と手を握る。