僕が弓道を続ける理由

 瞬間、大勢のため息が聞こえてきた。前射場を見ると、岩月の中の人が外したようだった。ここを中てていれば皆中で、道場内が再度華やかになるところだった。
 僕は目の前に視線を戻す。古林の様子が気になった。しかしそんな僕の心配は無駄に終わることが直ぐにわかった。古林はため息に動じることなく、引分けに入っていた。綺麗な射形を維持したまま、ゆっくりと均等に弓を引いている。
 会に入った瞬間、僕は一つの確信を持てた。古林は絶対に外さないという確信を。
 パンッ。
 最後まで形のぶれなかった古林が皆中を成し遂げた。橘の時みたいな盛り上がりはなかったけど、まばらな拍手が古林を称えていた。
 パンッ。
 僕が物見を入れた瞬間、立て続けに音が響いた。岩月の落、神津が当然のように四射目を中てた。古林の時とはけた違いの拍手に道場内が包まれる。
 その歓声の中、僕はゆっくりと引分けに入る。道場が徐々に静寂を取り戻す。
 皆の視線が僕に注がれている気がした。以前は見られても何も思うことがなかった。見られていても、いなくても、中てるのが当然だったから。
 でも、今は違う。早気になってから、チームで弓道をやる本当の意味を知ることができた。たとえ会がなくても試合に出ている以上、一緒に戦っているチームの為にすべきことがあるはず。
 この一射を外すと、岩月Bチームと同中となり、競射によって順位を決めなくてはならない。この試合での負けは無くなった。三位以上を保つことができる。でも、競射で負ける可能性は十分にある。僕達は競射の練習なんて一回も行っていない。あらゆる不安を掻き消すためにも、僕はこの一射で決めないといけない。
 会に入る。いつも以上に無心になれた気がした。今日一番の静寂に包まれながら、詰合い、伸合いを意識しつつ均等に伸びていく。その後に訪れる自然の離れのために。
「一!」
「えっ」
 突然聞こえた甲高い声に反応して、無理やり離れてしまった。それでも弓手の押しが良かったのか、放った矢は的に一直線に向かっている。
中ってくれ。
 強く願った矢は、男子弓道部の思いが詰まっている。
 皆でここまで繋いできた。
 最後の僕の役目。落の役目は。
 チームの窮地を救うことなんだ。
 パンッ。
 最後の一射は見事に的を貫いた。爽快な音が道場に響き渡る。
「よしっ!」
 退場口の方から古林が叫ぶ。いつもは冷静な古林も、この一射には興奮を隠しきれなかったみたいだ。
 少し遅れて、拍手の音が道場内に響き渡る。その音を聞いて、ようやく僕は皆中を出していたことに気づいた。当然、岩月の時と同様の拍手とはいかなかった。だけど久しぶりの皆中は、とても気持ちよかった。
 弓倒しを終え、退場する為に足踏みを戻し直立する。そして右足を踏み出そうとしたとき、先程聞こえた声が脳裏で再生される。
 ――一!
 僕のことを一と呼ぶ人は、父さんを覗いて二人しかいない。
 直立したまま顔だけを観客に向ける。視線の先には、満面の笑みを浮かべた幼馴染がいた。
「凛……」
 あの時もそうだった。
 新人戦の一射目。凛の初めての試合。そこで見せた満面の笑みを今、同じ道場で晒している。凛は本当に変わらない。試合をしている時でも、応援をしている時でも。
 退場口に向かうと、高瀬が笑みを浮かべて僕を迎えてくれた。
「真弓君。本当にありがとう」
「いや、僕は当然のことをしたまでだよ」
 当然のこと。昔は当たり前だった。でも、今と昔ではその重みが全く違う。
「これで男子弓道部はなくならないよね」
「うん。そのはずだけど」
「お前ら。よくやったな」
 ずかずかと歩いてきた的場先生は、僕の肩をポンッと軽く叩く。
「高瀬が一射目を外したときはどうなることかと思ったけど、無駄な心配だったようだな」
「俺は一射目をはずしました。だけど古林君、真弓君と繋いでくれたので。二射目は気持ちが楽になりました」
 高瀬の結果は羽分けだった。弓を握ってまだ三ヶ月。正直、高瀬も弓道の才能があるのではないかと僕は思う。
「それに古林。お前はすごいな。完璧だ」
「たまたまです。中だったし、気軽に引くことができました」
 ぶれることのない古林がいたからこそ、今回の立はまわったと言っても過言ではない。実際にチームが崩れないように、真ん中から僕達を支えてくれていたのだから。
「そして、真弓。最後は見事だった。俺の高校時代を思い出す射だった」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
「それに、ほれ。最後の立の会。計ってやったぞ」
 差し出されたノートには予選と同様、数字が記されている。
「これは……」
 僕は自分の目を疑いたくなった。
「一射目は二秒台だったけど、二射目と三射目は三秒前半、四射目に至っては三秒後半まで保っている。このまま続けていけば、会を取り戻せる日も近いんじゃないか」
「そ、そんな簡単じゃないですよ」
 咄嗟に的場先生の言葉を否定した。
 それでも僕は確かな手ごたえを、今日の試合で掴んだ気がした。
「でも、最後の一射は少し不自然な離れだったな」
「うん。古林君の言う通り。最後の一本は、少し違った離れだった」
「少し違った?」
 高瀬が首を傾げている。
「うん。少しだけね。でも、矢は的を射ぬいた。この事実は変わらないよ」
 射場へと視線を移す。目の前では女子の決勝が始まっていた。落に雨宮先輩がいる。女子も無事、決勝の立に臨むことができている。
 先輩にもお礼を言わないといけない。周りに仲間がいることに気づかせてくれた。それだけではない。くじけそうになったときに、たくさんの励ましの言葉をかけてくれた。そんな先輩に僕は応える射を見せることができたと思う。荒削りなところもあるけど、確かに成長できている。目の前の高瀬と古林と一緒に。最高のチームを見せることができた。僕達は四月から始まる関東大会予選に向け、ようやく舵を取りはじめた。
 練習試合は無事に終わりを迎えた。結局、岩月が男女アベック優勝を勝ち取った。男子の一位は東武農業第三Aチームと同中だったため競射となった。結果、岩月Aチームが競り勝った。女子は草越Aチームが二位と大健闘。最後は雨宮先輩が皆中で締めて、二位という成績を納めた。
「それにしても、楓先輩の射、素敵だったね」
「うん、僕もそう思うよ」
 帰り道。僕の隣で凛は笑顔を見せている。
「男子もよかったよね。藤宮先生の驚いた顔、私初めて見た」
「僕も初めて見た。まさか藤宮先生があそこまで豹変するとは思ってもみなかった」
 男子弓道部を散々馬鹿にしていた藤宮先生は試合後、僕達に向け頭を下げてきた。そして、僕が中学時代に全国大会優勝したことがあることを、知らなかったと告げてきた。
「それに『これからは道場で私達の指導をして下さい』だもんね。藤宮先生もようやく一のすごさに気づいたって感じ」
「僕は……すごくないよ」
 僕はすごくない。すごいのは高瀬や古林だ。僕は自分の力だけでは、今の場所を取り戻すことはできなかった。
「まーた暗くなるような発言して。今日くらい喜びなさいよ」
 バシッと背中を叩いてきた凛は、いつもと変わらず元気に笑顔を咲かせていた。
 ブーブー。
 携帯が鳴った。ポケットから取り出して画面に表示された名前を見る。
「誰?」
「大前さん。休日に通ってた道場で、教えていた後輩」
「そうなんだ。早く出てあげなよ」
「うん。ゴメン」
 凛に断りを入れ、電話に出た。
「もしもし」
『先輩。私です』
「こんばんは」
『先輩、今日の結果どうでしたか?』
「今日の結果?」
『とぼけても無駄ですよ。真矢先生から聞きました。今日の試合で上位に入らないと、先輩達が弓道をできないって』
 心配させないために、大前にはずっと今日のことを隠してきた。
「ごめん。言ってなかったよね」
『全くです。何でも話してくれると思ってたのに』
 ぶつくさと小言を呟く大前は、まるで今隣に居る凛みたいだ。
「無事に弓道できることになったよ」
『本当ですか!』 
「うん。首の皮一枚つながった」
『おめでとうございます!』
「ありがとう」
 素直な言葉が口から出てきた。大前に言われて、弓道を続けられることをより実感する。
『実はもう一つ。先輩にどうしても伝えたいことがあって……』
「伝えたいこと?」
『はい……』
 大前の息遣いが少し粗くなった。微かに震えている気もする。
「大前さん?」
『今日、練習で会を保つことができました。四射ともです』
 耳に入ってきた言葉に、直ぐに反応することができなかった。大前は確かに言った。会を保つことができたと。
『先輩?』
 しばらく何も話さずにいた僕に、大前が問いかけてくる。
 少し身震いした。本当に早気が治るとは思ってもみなかったから。でも、大前ならいつか治る気がしていた。重い病気も治せるくらい、大前の意志は強靭だったから。
「おめでとう。本当に」
『はい。先輩のおかげです。自分の練習もあったと思うのに、今まで付き合ってくれて。本当に感謝しています』
「今度、大前さんの形を見に行ってもいいかな?」
『何言ってるんですか先輩。当然です。これからも見にきて……あっ……』
 大前は言葉を濁した。僕の言った意味を理解したんだろう。
「これから僕達は、自分の道場で練習するよ」
 僕達はもう通う必要がなくなった。それは同時に、大前に教えることがなくなることを意味する。
『そうですよね。もう……会えないですよね』
「そんなことないよ。たまに遊びに行く。だって、僕の母校なんだからさ」
『先輩……』
 大前はそのまま黙ってしまった。何を言うべきか僕はわからなかった。それでも、一つだけ言えることがあった。
「僕は大前さんから多くのことを学んだ。本当に感謝してる。僕もあと一歩の所まで来ることができたんだ。だから大前さんみたいに、必ず早気を治してみせるよ」
 僕一人が早気に苦しんでいるのではない。全国で弓道をしている人の中には、同じように早気に苦しんでいる人は必ずいる。
 大前と出会えていなければ、視野を広くすることができなかった。自分だけ殻に閉じこもったまま、何もせずにいるだけだった。でも、大前と話をすることで解決できることがあると知ることができた。人に話すと、こんなにも楽になれるんだって知れた。
『先輩ならできます。絶対に。頑張ってください』
「うん。ありがとう。また連絡する」
 電話を切った僕は通話時間の表示された画面を見る。思っていたよりも長い時間、電話していたみたいだ。
「ごめん。長々と話しちゃって」
「大丈夫。その、大前さんも早気だったんだね」
「うん。僕と一緒に、早気の克服に取り組んでたんだ」
「そっか」
 ため息を吐いた凛は、僕の一歩先を歩いて行く。
「あのさ、一はどうして弓道続けているの?」
 突然の問いに、僕は足を止めた。
 弓道を再開してから、早気や男子弓道部のことしか考えていなかった。そこに舞い降りてきた悩み。練習試合前、凛に似たようなことを言われた。
 ――これからの男子弓道部について。あと……一自身について。
 僕が弓道を続けようと決意した理由。きっかけではなく、本当の理由。
「翔兄ちゃんのおかげで、弓道というスポーツを知ることができた。だけど、わからないんだ」
「わからない?」
「うん……弓道を続けている理由がわからないんだ」
 口から放たれた言葉に偽りはなかった。
 わからない。僕はまだ見つけられていない。今は目の前の壁を必死に超えているだけ。目指すべきものがなくなった先も、弓道を続けたいと思っているのだろうか。
「そっか」
 哀愁に満ちた表情で、凛は小さく呟いた。
 あの時と同じ。練習試合前に聞かれた時と似たような雰囲気。このまま黙っていればいいのかもしれない。先延ばしにして答えが出るのを待てば、時間が解決してくれるかもしれない。
「小学校五年生の頃のこと、覚えてる?」
 沈黙を切り裂くように、凛の声が耳に響いた。
「……覚えてない……」
 小学校五年生。翔兄ちゃんに弓道を初めて教わった時期だ。それでも僕は、凛が何を言いたいのか理解できない。
 僕の反応を見るなり、凛はため息を吐く。
「質問変えるね。私が弓道始めたのは何故でしょう」
「何故って……翔兄ちゃんが好きだから?」
 翔兄ちゃんが大好きで、その陰を追いかけて弓道を始めた。僕の推測は決して間違ってはいないと思う。僕だって、始めたきっかけは翔兄ちゃんだった。翔兄ちゃんに憧れないわけがない。近くにいれば、誰もが弓道をやりたくなっていたと思う。
 視線を凛へと向ける。凛の目元が、少しだけ光っていた。
「……一は、何もわかっていない……何も」
 そっと囁いた凛は僕に背を向けると、逃げるように去って行った。
 何もわかっていない。
 凛の言葉が重くのしかかってくる。自分のことすら理解できていないのに、凛のことを理解している気でいた。翔兄ちゃんへの気持ちが、凛を動かしているんだと思っていた。
 でもそれは違った。凛の目から零れ落ちた一筋の涙が、僕にそう語り掛けてくる。普段見せたことがない凛の表情に、僕は胸を締めつけられるほど苦しさを覚えた。
 春休みになった。四月に行われる関東大会予選に向け、僕達はひたすら練習に励んでいる。
 練習試合以降、男子弓道部はようやく女子と一緒に練習することを許された。道場に足を運ぶと、僕達のことを待っていたように、女子弓道部の人達が温かく迎えてくれた。以前は嫌われていた男子弓道部にとって、驚かずにはいられない出来事だった。
 こうして道場で不便なく練習できるのも、今の環境を整えてくれた人がいたからだ。
 女子弓道部部長の雨宮先輩。僕達のことをはじめから理解してくれて、味方になってくれた人。先輩には感謝してもしきれないくらいの恩がある。
「それじゃ、今日も立を組んで練習しましょう」
「「はい」」
 雨宮先輩の声に、周囲の女子が声を揃えて返事を返す。
「関東大会に向けて新しいチームを組んだから、黒板を見てから立に入ってね」
 雨宮先輩の声に反応した皆が、ぞろぞろと黒板の前に集まる。
「私、Bチームに上がってる!」
「Dチームか……」
「よしっ! Aチーム」
 道場にある黒板には、部員の名前が書かれたマグネットが貼られている。三人一組で成績順にAチームからEチームに分けられていた。春休みの練習の間、このマグネットの位置が毎日変わる。そして、春休み最後の練習を終えた段階でのマグネットの位置が、四月の関東大会予選のチームとなる。
「俺達は女子の後だね」
「うん」
 高瀬の笑みに僕は頷く。女子陣の後に、男子Aチームとして僕達の名前が書いてあった。
「ごめんね。男子のマグネット、まだ準備できてないんだ」
 二年生の先輩と思われる人が、咄嗟に声をかけてくれた。僕達に気をつかってくれたのかもしれない。
「はい。マグネット、楽しみに待ってますね」
 高瀬が笑みを浮かべ、先輩の配慮に応える。周囲にいた先輩達は、高瀬の爽やかな笑顔に頬を赤く染めていた。
 僕は再度黒板を見る。僕達の名前は、マグネットではなくてチョークで書かれていた。それでも、道場の黒板にしっかりと名前が刻まれている。
 翔兄ちゃんの練習していた道場で、ようやく男子弓道部が動きだす。
 そう思うだけで、僕は十分満足できていた。

 春休みの練習も今日で終わり、明日からは新学期を迎える。学年が一つ上がり、上級生になった僕達男子弓道部は、数週間後に控えた関東大会予選に向け、順調に練習を積み重ねていた。個の練習に加え、チームの練習。そして女子の形を見て、いいところを自分のものにする。見取りの時間が新たに増えたことにより、技術的に不足していた部分を補えるようになった。
「真弓君。この後って暇かな?」
 部活終わりの道場で道具の整備をしていると、雨宮先輩が話しかけてきた。
「道場の施錠があるくらいで、暇ですけど」
「そう。今日一緒に帰れるかしら?」
「いいですよ」
 僕の返事を聞くと、先輩は笑みを浮かべて、そのまま女子更衣室に入っていった。
 先輩の家にある道場に行くのかなと思った僕は、先に高瀬と古林を帰らせた。二人には先輩の家に道場があることや、一緒に練習したことがあるといった情報は一言も話していない。言うべきか一時期迷ったこともあったけど、これは言わないでいいことだと僕は判断した。
 道場が静寂に包まれる。先程まで差し込んでいた日差しもなくなり、徐々に夜の帳が下りはじめている。いつの間にか道場にいるのは、僕と更衣室にいる先輩だけになっていた。
 中学生の時は、いつも最後まで一人で道場に残っていた。静けさに浸れる場所が好きだったこともあり、しきりに一人になれる空間を追い求めていた時期があった。
 でも、最近は高瀬や古林といつも一緒にいる。
 だからかもしれない。こうして一人でいると、懐かしい気持ちが蘇ってくる。
「お待たせ」
 引き戸が開き、先輩が更衣室から出てきた。
「帰りましょうか」
「ちょっと待ってくれる?」
「えっ……」
「ここでお話したいことがあって」
 シャッターを閉め、帰る準備をしようと思っていた僕は、先輩の一言に思わず手を止めた。
「ここでですか?」
「うん」
「……わかりました」
 僕は先輩の方に歩み寄り、腰を下ろした。先輩もその場に腰を下ろす。
「男子の調子はどうなの?」
 身構えていた僕は、先輩の質問に拍子抜けしてしまう。
「順調ですよ。関東大会予選に向け、頑張っていますから」
「私達と一緒ね」
 先輩は微笑むと、大きく両手を広げて伸びをした。先輩の無邪気な姿に、自分の表情が緩んでいるのがわかる。
「あの、ありがとうございます」
「急にどうしたの?」
「今の環境で練習できるのも、先輩のおかげなので」
「私は何もしてないわ」
 落ち着いた声音で先輩は語る。先輩の醸し出す雰囲気が、僕の気持ちを楽にさせてくれる。
「そんなことないです。先輩が僕達のことを道場内で話してくれたこと、凛から聞きました。先輩の働きかけがなかったら、こんなに早く環境が整っていなかったと思います」
「私は当然のことをしただけ。いいと思ったことを言っただけよ」
 先輩はおごることなく、自分の信念を最後まで貫いている。僕には持っていないことだ。
「あの、先輩が話したいことって何ですか?」
「えっと……」
 先輩は俯いたまま、考え込む素振りを見せている。言いにくいことなのか、僕と目を合わせてくれない。
 しばらく沈黙が続く。静寂に包まれている道場が、余計に空気を重くしているようだ。
「真弓君は、私のことどう思う?」
「えっ?」
「最近の私、変わったかな?」
 返答すべき言葉が見つからなかった。先輩は何を望んでいるのだろうか。
「先輩は出会った時からずっと変わらないですよ。優しくて、綺麗で。みんなの憧れではないでしょうか」
 素直な言葉が口から放たれた。先輩に対しての思い。知り合ってから、まだ数ヶ月しか経っていない。それでも、先輩の優しさは十分に伝わってきた。迷いがなくて、自分の信念を貫くことができるのが、先輩だと僕は思っている。
「……そう……」
 先輩の声音が徐々に弱くなっていく。俯いたまま放たれた言葉は掠れていた。
「先輩……」
 今度こそ先輩にかける言葉がなくなった。静謐な空気が僕に重くのしかかってくる。
 どうして顔を上げてくれないのか。どうして掠れた声で話しているのか。僕は間違ったことを言ったのか。
 ――真弓君は、私とは違うから。
 あの日、先輩は僕に向けて違うと言った。僕にあって、先輩にはないことがある。でも、僕はそれを見つけることができない。
「前にも言ったけど、真弓君は人を引き付ける射ができるよね。私にはそれがとてもうらやましかった。私は真弓君みたいな射はできないから」
「そんなことないです。この間の練習試合の最後の一本。緊張する中で、見事に中てた先輩はとても格好良かったです」
「それは、中てたからじゃないのかしら?」
 冷めた声が道場に響き渡る。静寂に包まれているせいか、いつも以上に先輩の声が大きく響いてくる。
「最後の一本を中てれば、嫌でも注目される。それが勝敗を決めるならなおさら。でも……」