僕は冷静に考える。まず言えることは、近くに弓道場がない。一番近くてもここからだと一時間以上かかる。それなのに先輩は射るための場所に向かおうとしている。
 先輩の発した言葉の真意を考えていると、大きな家の目の前で先輩は足を止めた。
「ここ、私の家なの」
 目の前に屹立する建物に、開いた口が塞がらなかった。豪邸と形容できる立派な家が目の前に広がっている。ここまで大きな家を僕は見たことがなかった。
「もしかして先輩……社長令嬢なんですか?」
「ええ。そうね」
 あっさりと答えた先輩に、僕は驚きを通り越して笑うしかなかった。
「こっちよ」
 先輩に連れられて敷地内を進む。見えてきたのは小さな道場だった。目の前の安土には二つの的が設えてある。
「弓道場……」
「真弓君と練習してみたくて。ここなら誰の邪魔も入らないし、集中できるかなって思って」
 少し頬を赤らめながら話す先輩の意味深な言葉と家の大きさに、僕はとにかく圧倒されていた。そもそも敷地内に弓道場があるなんて、誰が想像できただろうか。こんないい環境を持っている先輩を憎く思ってしまう自分がいる。
「真弓君?」
「……あっ、すみません」
 気づいたら目の前に先輩の顔があった。間近で見る屈託のない笑顔に、僕の心が支配されそうになる。
「びっくりしました。家に道場があるなんて」
「お父さんが弓道好きなの。それで、私も弓道やりたいって言ったら建ててくれたの。いつでも練習できるようにって」
「す……すごい」
 もはや笑うことすらもできなかった。敷地の広さ、大きな家に弓道場の完備。恵まれた人間に僕は嫉妬を覚える。今の男子弓道部には、喉から手が出るほど欲しい場所だと思う。
「さあ、練習しましょう。真弓君の射形、もう一度見たかったの」
 笑みを見せた先輩は、道場に設えてある個室へと消えていった。僕は一人きりになった道場でジャージに着替え、持参していたゴム弓を引いて先輩を待つ。
 静寂に満ちた道場が妙に気になって仕方がなかった。最近の練習では、誰かしらの話し声が聞こえていたからかもしれない。小鳥の囀りが聞こえるほど静かなこの空間は、大会の時に味わえる雰囲気に近いと思った。
「お待たせ」
 引き戸が開き、声のする方に視線を向ける。個室から現れた人に、僕は思考の全てを奪われた。