尚季と玲香はそれぞれの休みが合う日に落ち合い、近場から動物霊の元飼い主の状況を探ることにした。
一番最初は、カメ吉の元飼い主で、相模幼稚園の三園先生を探すことになった。三園は毎朝、園の浅い池にいるカメ吉の甲羅や水搔き、尾などに異常がないかを調べて、世話をしてくれたらしい。その優しい先生に、ある日公園の池に置き去りにされて、死ぬまで待ち続けたという。
尚季と玲香が相模幼稚園を検索してみると、賃貸マンションに変わっていた。仕方が無いので、現地に赴き、聞き込みをするうちに、偶然通りかかった小学生の男の子が、そこから近いコーポへと案内してくれた。
お礼を言って男の子と別れ、尚季と玲香はどきどきしながら、インターフォンを押すと、ドアから恰幅のいい中年女性が顔を覗かせた。
途端に、カメ吉の霊が、ご主人様だと大騒ぎをする。三園にどう話をつけようか考えていたのを邪魔されて、尚季は思わずカメ吉静かにしろと言ってしまった。
三園が一瞬目を見開き、辺りに目を走らせる。当然何も見つけられず、不審感を顕わにしながら、どうしてカメ吉の名前を出したのかを尚季に聞いた。
最初に疑いを抱かれては、人は心を開きにくくなる。ましてや動物の霊がいるなんてことを、信じる人がどれほどいるだろうか?気持ち悪がられて、ドアを閉められるか、帰れと怒鳴られるかもしれない。尚季はそれを覚悟で、一生懸命これまでのことを三園に語った。最初は信じなかった先生も、カメ吉と先生しか知らない、朝の身体のチェックのことや、先生がカメ吉に話しかけた内容を聞くうちに、尚季の言葉を信じるようになった。
「カメ吉があなたの肩にいるのですか? 」
「はい。本当です。先生が来てくれないとずっと泣いていました。成仏させるために、先生がカメ吉を嫌いで捨てたんじゃないということを確認したかったのです」
悪い思い出を話されれば、霊達を余計傷つけ、悪霊になる可能性がある。嫌いで捨てたんじゃないことを確認しに来たと言えば、元飼い主が良い思い出話をするのではないかと尚季は踏んだ。だが、そんな根回しもこの先生には必要なかったようだ。
三園は、見えないはずのカメ吉を何とか見ようと、尚季の肩に目を凝らすうちに、目に一杯の涙をたたえ、静かに語りかけた。
「カメ吉、ごめんね。待っていてくれたのね。あそこの幼稚園がボヤを出してね、古い建物だったから、今の防火基準に適さないことが分かって、建て直しを迫られたの。でも資金繰りが厳しくて、園を閉めることが決まって、動物は貰い手がないものは殺処分されることに決まったの」
思い出すだけで辛かったのか、三園は眉根を寄せて身を震わせた。
「飼育しているカメを自然の池に放しちゃいけないことは知っていたけれど、殺すなんてできなかった。カメ吉を引き取りたかったけれど、こんな狭いコーポでは、あなたを入れるための水槽を置けなくて、公園の池に放したの。それなのに、ずっと待っていたなんて」
三園の目にも、カメ吉の目にも涙が溢れた。声は聞こえても、霊が見えない尚季に、玲香が状況を伝える。尚季は肩に手をやり、カメ吉に乗るように言った。わずかに重みを感じる手を三園の方へ差し出すと、カメ吉はぐんと首を上に伸ばして、涙声でご主人様と呼びかけた。
『捨てられたんじゃなかった。ご主人さまは、僕を救うために逃がしてくれたんだ。ご主人様ありがとう』
カメ吉の言葉を、尚季が三園に伝えると、先生は見えないカメ吉の背をまるでそこにいるようにそっと撫でた。ポタッと涙が落ちて甲羅にかかったのを、カメ吉は幸せの潤いだと、心地よさげに目を閉じて打たれている。
その様子を話していた玲香があっと叫び、ちびすけがブルっと羽を震わせる。急に手の平が軽くなり、ありがとうという声が上空から降ってきた。カメ吉は天に召されたのだった。
カメ吉から始まった、動物霊たちの飼い主巡りは、うまく行けば週に二人、うまく行かない時はまるで手掛かりがつかめず、そうこうするうちに四か月が経ち、クリスマスがやってきた。
ペットサロンにはマルが戻ってきた。豊島婦人の話では、威圧的だった教祖の人柄がころりと変わり、慈愛に満ちた説法をするようになったとか。
以前マルに言ったこととは反対の勧めをする教祖に、物怖じしない豊島夫人がどうして考えを変えたかを尋ねたら、悪い物に操られていた気がすると正直に話され、謝られたそうだ。
例え一時期おかしかったとはいえ、自分の非を認め、以前より真剣になって信者のことを考える教祖を、信者たちは見放さなかったらしい。
宗教に傾倒する信者たちの多くが、高齢だったことから、心の寄ろどこを失うのを恐れたのもある。悟りを開いた教祖でさえ、悪気に取り憑かれるというなら、もっと信仰に励み、より良い最期を迎えられるようにしようと結束を固めたそうだ。
とりあえず良い結果になったことを、玲香と一緒に宮司にも話すことができ、尚季は肩の荷を下ろしたような気持ちになった。
ペットサロンの方も、社交的な豊島の口利きや、動物霊たちの為に、一生懸命奔走する尚季に感謝の気持ちを抱く霊たちの加護もあり、【王様の耳】は、あっという間にペットで一杯になった。
尚季の元でエクササイズに励んだマルは、ダイエットに成功して、今では散歩の時にお腹が地面につくこともない。来なくなるかと思いきや、マルが【王様の耳】を気に入っていることを知っている豊島夫人は、どこかに出かける時には、必ずマルを尚季に預けてくれる。
「じゃあ、兎耳山先生、マルゲリータをお願いします。二時間くらいで帰ってくるつもりなので、いつものコースでお願いね」
「はい、了解しました。行ってらっしゃい。お気をつけて」
豊島婦人が庭を横切り、門を閉める音が聞こえた途端、マルがジャグジー入るとはしゃぎだした。
「うさ耳~。帽子とってちびちゃん見せて~」
「はいよ。マルゲリータ。ピョ~ンだぞ」
帽子を取った拍子に飛び出すうさ耳はいつも通りだが、マルが異様に驚いて振っていた尻尾をピンと垂直に立てた。
「何だ?今更何を驚いてるんだ?」
「だって、うさ耳がマルゲリータって呼ぶんだもん」
「そんなに、驚くなよ。ダイエット成功したらフルネームで呼んでやるっていったろ? 俺のことも兎耳山先生と呼ぶんだぞ」
「いやだ。うさ耳がいい。私も慣れたしマルでいいよ。ねぇ、それより、ちびちゃん元気がないんじゃない?」
「えっ? そうか? いつも通り耳に包まってるけど、普通だと思うけどな」
毎日ちびすけを見ているので、ひょっとしたら少しずつの変化を見落としているのかもしれないと心配になった尚季が、どこか悪いのかとちびすけに訊ねる。だが、ちびすけはブンブン首を振った。
「なおたん、心配しなくて大丈夫キュル。僕、今とっても幸せキュルル。なおたんの希望叶えるお手伝いしてるから」
「ほんとか? 無理するなよ。あっ、寒いと思ったら雪だ」
庭にちらほら白いものがたゆたっている。ジャグジーに入る気満々だったマルは、窓のに走って行き、右に左に方向を変える雪につられて動きながら、飛び掛かるチャンスを狙っている。
「マル、窓の傍は冷えるから、こっちにおいで。早くジャグジーに入れよ」
雪に心残りがあるのか、何度も後ろを振り返りながらやってきて、マルが尚季の手に前足を乗せる。尚季はよしよしと頭を撫でて、マルをジャグジーに入れてやった。
「はぁ、気持ちいい~。ねぇうさ耳、【幸福な王子】って童話知ってる? 」
「ああ、金銀宝石で綺麗に装飾された銅像の王子が、ツバメに頼んで貧しい人達に、自分の宝飾を剥がして持っていくように頼む話だろ?ラストは何だったか忘れちゃったけどさ、すごい自己犠牲愛だよな」
「ラストが泣けるんだよ~。この間ママが読んでくれたんだ。そういえば、このサロンは名前に王様がつくし、つばめのちびちゃんもいるから、うさ耳は【幸福な王様】だね」
「ハハハ違いない。読み聞かせをしてくれるなんて、豊島夫人はいいご主人さまなんだな」幸せそうにうんと頷くマルを見て、ちびすけも負けじと自慢する。
「なおたんの方がいいご主人さまキュル」
湯気のせいか、テレなのか、頬を熱く感じた尚季は、自分は本当に幸せの王様だと思った。
そして季節が巡って桜の花が薄桃色の花びらを広げ、見るものを柔らかく包む春がやってきた。
尚季に憑いた動物霊たちは、尚季と玲香とちびすけの努力のかいがあって、あと一匹を残すのみとなった。
すべてが幸せになったわけではないけれど、飼い主がペットを愛していたことを知り、最期の冷たい仕打ちを帳消しにして成仏していった霊もいた。
今日訪ねる先の奥さんは新しいもの好きらしく、最初こそ、手に入れたものを目に入れても痛くないほどかわいがるが、次に目が行くと、完全に前のものから興味を失くしてしまう人らしい。
新しい子猫が仲間入りしたためにお役目御免になり、構って欲しいと泣きながら病死した猫は、飼い主の愛情を奪ったあの時の子猫が、霊となって飼い主の肩にいるのに気が付いた。
玲香も肩にいる霊に気が付き、尚季にそっと告げる。尚季は猫のことには触れず、訪れた理由をペットサロン【王様の耳】の宣伝だと偽った。
元飼い主は、暇を持て余していたのか、尚季を相手に自分は動物好きで、沢山のペットを飼ったことがあると自慢を始めた。自慢ばかりで、さすがに切り上げたくなり、尚季がとっさに浮かんだ猫限定スペシャルプログラムの説明をすると、奥さんは今は猫を一匹も買っていないと言う。
「今は飼ってらっしゃらないということは、昔は猫を飼ってらっしゃったんですか? 」
「ええ、二匹飼っていたわ。最初の子は焼きもち焼きで、他の子をかわいがろうとすると邪魔をするような、とても根性の悪い子だったの。もう一匹は十分手をかけてあげたのに、欲深いのか、私が忙しい時に限って何度も仮病を使って、もっと構ってもらおうとするようなわがままな子だったの。だから本当の病気の時に、また嘘だと思って医者に連れていかなかったら、死んじゃったの。猫は面倒くさいから、もうたくさんよ」
突然、シャーッと唸り声をあげ、二匹の猫の霊が毛を逆立てた。
周りの空気が途端に冷えて行く。尚季には猫の姿は見えないが、ビリビリと張り詰めた空気を感じて、これはやばいんじゃないかと玲香に視線で問う。何か策を講じるのではと思った尚季の当ては外れ、うんざりした様子の玲香が、もう帰ろうと言った。
仕方なく、キャンペーンの対象は猫だけなので残念ですと断りを入れて、尚季たちはその家を後にした。
「何だか肩が軽っ軽になったんだけど、猫霊どうしてる?」
帽子の隙間から覗いていたちびすけが、尚季の肩に降りてきた。
「なおたんから、おばたんに飛び移ったキュル」
「ええっ?それ、まずいんじゃないか?悪霊になったってことだろう?あのおばさんはどうなるんだ? 」
「体調悪くなったり、悪いことが起きたりするんじゃない? 」
突き放したような玲香に腹が立ち、尚季がどうして祓わなかったんだと気色ばむ。それを上回る勢いで、玲香は文句を言いながら尚季に詰め寄った。
「あのね、私はあんな身勝手なおばさんのために、無料でお祓いをする気なんかないわよ。おかしなことが起きたら、自分のしたことを反省して、うちの神社にこればいいのよ。特別高い料金を設定して懲らしめてやるんだから」
首を竦めた尚季が、女って怖いなと呟いた。
「なぁ、ちびすけ、今回は殆どが成仏したから、残った奴らがまとまって、前みたいに悪さをすることはないんだよな?」
うんと頷くちびすけが心もとなく感じて、尚季が不思議に思いながらちびすけを見ると、泣いているように黒く潤んだ真っ黒な瞳が、尚季を真っすぐに見つめ返す。
「あれっ?ちびすけ、俺の目がおかしいのかな? 身体の色が薄くないか?」
「違うわ、尚季くん。私にもちびちゃんが透けてみえる」
ちびすけは、首をきゅっと伸ばして、尚季のくちびるにくちばしを当てた。
「なおたん、お別れの時が来たキュル」
「な、何を言ってるんだ? ちびすけ。お別れなんて冗談言うなよ! 」
「冗談無いキュル。なおたん、石に願いかけたキュルル。僕と僕のパパ、ママの気持ち知りたいって。パパ、ママ無いし、なおたんうさ耳要らない言うから、僕、動物の声沢山聞けばいい言ったキュル。なおたん、沢山聞いたから、うさ耳やっと取れるキュル」
「黙れ! お前がいなくなるなんて聞いてない! 」
「うさ耳、僕の魂のかけらでできてるキュル」
「要らないなんて思わない。ずっとついてたっていい。頼むよ。傍にいてくれ」
尚季が必死でちびすけを引き留めようとするが、ちびすけの身体がどんどん透けていく。耐えられなくなった玲香が、声をあげて泣き始めた。
「かけた願いは変えられないキュル。僕なおたんの願い叶えるお手伝いできたキュル。うさ耳無くなるけど、これからも動物の心聞いてあげてキュルル」
「ちびすけがいてくれたら、ずっとペットサロンで動物の声をきく。だから行かないでくれ! 」
ちびすけは、もう一度尚季の頬に身体をすりつけると、すっと上を向いた。
「なおたん、僕忘れない。なおたんのこと大好きキュル。さよ…な…」
ちびすけは消えた。
右も左も、前も後ろも、空も見たけれど、どこにもいない。
上を向いた拍子に、中折れ帽が外れた。慌てて頭を押さえたが、そこにはもう、うさ耳は無かった。
「ちびすけ~~~~っ」
尚季の声に反応して、返事をするかわいい声を必死で聞き取ろうとしたけれど、尚季の耳にも、玲香の耳にも、探し求める声は届かなかった。
なあ、みんな。最初に俺が頼んだことを覚えているか?
俺のうさ耳が取れるように祈ってくれと頼んだことを、別の願いに変えてくれ。男に二言は無いと言うが、どうか撤回させてくれ。
「いつか、ちびすけが俺の元に帰ってくるように、どうか、どうかお願いだ。みんなで祈ってくれ」
一番最初は、カメ吉の元飼い主で、相模幼稚園の三園先生を探すことになった。三園は毎朝、園の浅い池にいるカメ吉の甲羅や水搔き、尾などに異常がないかを調べて、世話をしてくれたらしい。その優しい先生に、ある日公園の池に置き去りにされて、死ぬまで待ち続けたという。
尚季と玲香が相模幼稚園を検索してみると、賃貸マンションに変わっていた。仕方が無いので、現地に赴き、聞き込みをするうちに、偶然通りかかった小学生の男の子が、そこから近いコーポへと案内してくれた。
お礼を言って男の子と別れ、尚季と玲香はどきどきしながら、インターフォンを押すと、ドアから恰幅のいい中年女性が顔を覗かせた。
途端に、カメ吉の霊が、ご主人様だと大騒ぎをする。三園にどう話をつけようか考えていたのを邪魔されて、尚季は思わずカメ吉静かにしろと言ってしまった。
三園が一瞬目を見開き、辺りに目を走らせる。当然何も見つけられず、不審感を顕わにしながら、どうしてカメ吉の名前を出したのかを尚季に聞いた。
最初に疑いを抱かれては、人は心を開きにくくなる。ましてや動物の霊がいるなんてことを、信じる人がどれほどいるだろうか?気持ち悪がられて、ドアを閉められるか、帰れと怒鳴られるかもしれない。尚季はそれを覚悟で、一生懸命これまでのことを三園に語った。最初は信じなかった先生も、カメ吉と先生しか知らない、朝の身体のチェックのことや、先生がカメ吉に話しかけた内容を聞くうちに、尚季の言葉を信じるようになった。
「カメ吉があなたの肩にいるのですか? 」
「はい。本当です。先生が来てくれないとずっと泣いていました。成仏させるために、先生がカメ吉を嫌いで捨てたんじゃないということを確認したかったのです」
悪い思い出を話されれば、霊達を余計傷つけ、悪霊になる可能性がある。嫌いで捨てたんじゃないことを確認しに来たと言えば、元飼い主が良い思い出話をするのではないかと尚季は踏んだ。だが、そんな根回しもこの先生には必要なかったようだ。
三園は、見えないはずのカメ吉を何とか見ようと、尚季の肩に目を凝らすうちに、目に一杯の涙をたたえ、静かに語りかけた。
「カメ吉、ごめんね。待っていてくれたのね。あそこの幼稚園がボヤを出してね、古い建物だったから、今の防火基準に適さないことが分かって、建て直しを迫られたの。でも資金繰りが厳しくて、園を閉めることが決まって、動物は貰い手がないものは殺処分されることに決まったの」
思い出すだけで辛かったのか、三園は眉根を寄せて身を震わせた。
「飼育しているカメを自然の池に放しちゃいけないことは知っていたけれど、殺すなんてできなかった。カメ吉を引き取りたかったけれど、こんな狭いコーポでは、あなたを入れるための水槽を置けなくて、公園の池に放したの。それなのに、ずっと待っていたなんて」
三園の目にも、カメ吉の目にも涙が溢れた。声は聞こえても、霊が見えない尚季に、玲香が状況を伝える。尚季は肩に手をやり、カメ吉に乗るように言った。わずかに重みを感じる手を三園の方へ差し出すと、カメ吉はぐんと首を上に伸ばして、涙声でご主人様と呼びかけた。
『捨てられたんじゃなかった。ご主人さまは、僕を救うために逃がしてくれたんだ。ご主人様ありがとう』
カメ吉の言葉を、尚季が三園に伝えると、先生は見えないカメ吉の背をまるでそこにいるようにそっと撫でた。ポタッと涙が落ちて甲羅にかかったのを、カメ吉は幸せの潤いだと、心地よさげに目を閉じて打たれている。
その様子を話していた玲香があっと叫び、ちびすけがブルっと羽を震わせる。急に手の平が軽くなり、ありがとうという声が上空から降ってきた。カメ吉は天に召されたのだった。
カメ吉から始まった、動物霊たちの飼い主巡りは、うまく行けば週に二人、うまく行かない時はまるで手掛かりがつかめず、そうこうするうちに四か月が経ち、クリスマスがやってきた。
ペットサロンにはマルが戻ってきた。豊島婦人の話では、威圧的だった教祖の人柄がころりと変わり、慈愛に満ちた説法をするようになったとか。
以前マルに言ったこととは反対の勧めをする教祖に、物怖じしない豊島夫人がどうして考えを変えたかを尋ねたら、悪い物に操られていた気がすると正直に話され、謝られたそうだ。
例え一時期おかしかったとはいえ、自分の非を認め、以前より真剣になって信者のことを考える教祖を、信者たちは見放さなかったらしい。
宗教に傾倒する信者たちの多くが、高齢だったことから、心の寄ろどこを失うのを恐れたのもある。悟りを開いた教祖でさえ、悪気に取り憑かれるというなら、もっと信仰に励み、より良い最期を迎えられるようにしようと結束を固めたそうだ。
とりあえず良い結果になったことを、玲香と一緒に宮司にも話すことができ、尚季は肩の荷を下ろしたような気持ちになった。
ペットサロンの方も、社交的な豊島の口利きや、動物霊たちの為に、一生懸命奔走する尚季に感謝の気持ちを抱く霊たちの加護もあり、【王様の耳】は、あっという間にペットで一杯になった。
尚季の元でエクササイズに励んだマルは、ダイエットに成功して、今では散歩の時にお腹が地面につくこともない。来なくなるかと思いきや、マルが【王様の耳】を気に入っていることを知っている豊島夫人は、どこかに出かける時には、必ずマルを尚季に預けてくれる。
「じゃあ、兎耳山先生、マルゲリータをお願いします。二時間くらいで帰ってくるつもりなので、いつものコースでお願いね」
「はい、了解しました。行ってらっしゃい。お気をつけて」
豊島婦人が庭を横切り、門を閉める音が聞こえた途端、マルがジャグジー入るとはしゃぎだした。
「うさ耳~。帽子とってちびちゃん見せて~」
「はいよ。マルゲリータ。ピョ~ンだぞ」
帽子を取った拍子に飛び出すうさ耳はいつも通りだが、マルが異様に驚いて振っていた尻尾をピンと垂直に立てた。
「何だ?今更何を驚いてるんだ?」
「だって、うさ耳がマルゲリータって呼ぶんだもん」
「そんなに、驚くなよ。ダイエット成功したらフルネームで呼んでやるっていったろ? 俺のことも兎耳山先生と呼ぶんだぞ」
「いやだ。うさ耳がいい。私も慣れたしマルでいいよ。ねぇ、それより、ちびちゃん元気がないんじゃない?」
「えっ? そうか? いつも通り耳に包まってるけど、普通だと思うけどな」
毎日ちびすけを見ているので、ひょっとしたら少しずつの変化を見落としているのかもしれないと心配になった尚季が、どこか悪いのかとちびすけに訊ねる。だが、ちびすけはブンブン首を振った。
「なおたん、心配しなくて大丈夫キュル。僕、今とっても幸せキュルル。なおたんの希望叶えるお手伝いしてるから」
「ほんとか? 無理するなよ。あっ、寒いと思ったら雪だ」
庭にちらほら白いものがたゆたっている。ジャグジーに入る気満々だったマルは、窓のに走って行き、右に左に方向を変える雪につられて動きながら、飛び掛かるチャンスを狙っている。
「マル、窓の傍は冷えるから、こっちにおいで。早くジャグジーに入れよ」
雪に心残りがあるのか、何度も後ろを振り返りながらやってきて、マルが尚季の手に前足を乗せる。尚季はよしよしと頭を撫でて、マルをジャグジーに入れてやった。
「はぁ、気持ちいい~。ねぇうさ耳、【幸福な王子】って童話知ってる? 」
「ああ、金銀宝石で綺麗に装飾された銅像の王子が、ツバメに頼んで貧しい人達に、自分の宝飾を剥がして持っていくように頼む話だろ?ラストは何だったか忘れちゃったけどさ、すごい自己犠牲愛だよな」
「ラストが泣けるんだよ~。この間ママが読んでくれたんだ。そういえば、このサロンは名前に王様がつくし、つばめのちびちゃんもいるから、うさ耳は【幸福な王様】だね」
「ハハハ違いない。読み聞かせをしてくれるなんて、豊島夫人はいいご主人さまなんだな」幸せそうにうんと頷くマルを見て、ちびすけも負けじと自慢する。
「なおたんの方がいいご主人さまキュル」
湯気のせいか、テレなのか、頬を熱く感じた尚季は、自分は本当に幸せの王様だと思った。
そして季節が巡って桜の花が薄桃色の花びらを広げ、見るものを柔らかく包む春がやってきた。
尚季に憑いた動物霊たちは、尚季と玲香とちびすけの努力のかいがあって、あと一匹を残すのみとなった。
すべてが幸せになったわけではないけれど、飼い主がペットを愛していたことを知り、最期の冷たい仕打ちを帳消しにして成仏していった霊もいた。
今日訪ねる先の奥さんは新しいもの好きらしく、最初こそ、手に入れたものを目に入れても痛くないほどかわいがるが、次に目が行くと、完全に前のものから興味を失くしてしまう人らしい。
新しい子猫が仲間入りしたためにお役目御免になり、構って欲しいと泣きながら病死した猫は、飼い主の愛情を奪ったあの時の子猫が、霊となって飼い主の肩にいるのに気が付いた。
玲香も肩にいる霊に気が付き、尚季にそっと告げる。尚季は猫のことには触れず、訪れた理由をペットサロン【王様の耳】の宣伝だと偽った。
元飼い主は、暇を持て余していたのか、尚季を相手に自分は動物好きで、沢山のペットを飼ったことがあると自慢を始めた。自慢ばかりで、さすがに切り上げたくなり、尚季がとっさに浮かんだ猫限定スペシャルプログラムの説明をすると、奥さんは今は猫を一匹も買っていないと言う。
「今は飼ってらっしゃらないということは、昔は猫を飼ってらっしゃったんですか? 」
「ええ、二匹飼っていたわ。最初の子は焼きもち焼きで、他の子をかわいがろうとすると邪魔をするような、とても根性の悪い子だったの。もう一匹は十分手をかけてあげたのに、欲深いのか、私が忙しい時に限って何度も仮病を使って、もっと構ってもらおうとするようなわがままな子だったの。だから本当の病気の時に、また嘘だと思って医者に連れていかなかったら、死んじゃったの。猫は面倒くさいから、もうたくさんよ」
突然、シャーッと唸り声をあげ、二匹の猫の霊が毛を逆立てた。
周りの空気が途端に冷えて行く。尚季には猫の姿は見えないが、ビリビリと張り詰めた空気を感じて、これはやばいんじゃないかと玲香に視線で問う。何か策を講じるのではと思った尚季の当ては外れ、うんざりした様子の玲香が、もう帰ろうと言った。
仕方なく、キャンペーンの対象は猫だけなので残念ですと断りを入れて、尚季たちはその家を後にした。
「何だか肩が軽っ軽になったんだけど、猫霊どうしてる?」
帽子の隙間から覗いていたちびすけが、尚季の肩に降りてきた。
「なおたんから、おばたんに飛び移ったキュル」
「ええっ?それ、まずいんじゃないか?悪霊になったってことだろう?あのおばさんはどうなるんだ? 」
「体調悪くなったり、悪いことが起きたりするんじゃない? 」
突き放したような玲香に腹が立ち、尚季がどうして祓わなかったんだと気色ばむ。それを上回る勢いで、玲香は文句を言いながら尚季に詰め寄った。
「あのね、私はあんな身勝手なおばさんのために、無料でお祓いをする気なんかないわよ。おかしなことが起きたら、自分のしたことを反省して、うちの神社にこればいいのよ。特別高い料金を設定して懲らしめてやるんだから」
首を竦めた尚季が、女って怖いなと呟いた。
「なぁ、ちびすけ、今回は殆どが成仏したから、残った奴らがまとまって、前みたいに悪さをすることはないんだよな?」
うんと頷くちびすけが心もとなく感じて、尚季が不思議に思いながらちびすけを見ると、泣いているように黒く潤んだ真っ黒な瞳が、尚季を真っすぐに見つめ返す。
「あれっ?ちびすけ、俺の目がおかしいのかな? 身体の色が薄くないか?」
「違うわ、尚季くん。私にもちびちゃんが透けてみえる」
ちびすけは、首をきゅっと伸ばして、尚季のくちびるにくちばしを当てた。
「なおたん、お別れの時が来たキュル」
「な、何を言ってるんだ? ちびすけ。お別れなんて冗談言うなよ! 」
「冗談無いキュル。なおたん、石に願いかけたキュルル。僕と僕のパパ、ママの気持ち知りたいって。パパ、ママ無いし、なおたんうさ耳要らない言うから、僕、動物の声沢山聞けばいい言ったキュル。なおたん、沢山聞いたから、うさ耳やっと取れるキュル」
「黙れ! お前がいなくなるなんて聞いてない! 」
「うさ耳、僕の魂のかけらでできてるキュル」
「要らないなんて思わない。ずっとついてたっていい。頼むよ。傍にいてくれ」
尚季が必死でちびすけを引き留めようとするが、ちびすけの身体がどんどん透けていく。耐えられなくなった玲香が、声をあげて泣き始めた。
「かけた願いは変えられないキュル。僕なおたんの願い叶えるお手伝いできたキュル。うさ耳無くなるけど、これからも動物の心聞いてあげてキュルル」
「ちびすけがいてくれたら、ずっとペットサロンで動物の声をきく。だから行かないでくれ! 」
ちびすけは、もう一度尚季の頬に身体をすりつけると、すっと上を向いた。
「なおたん、僕忘れない。なおたんのこと大好きキュル。さよ…な…」
ちびすけは消えた。
右も左も、前も後ろも、空も見たけれど、どこにもいない。
上を向いた拍子に、中折れ帽が外れた。慌てて頭を押さえたが、そこにはもう、うさ耳は無かった。
「ちびすけ~~~~っ」
尚季の声に反応して、返事をするかわいい声を必死で聞き取ろうとしたけれど、尚季の耳にも、玲香の耳にも、探し求める声は届かなかった。
なあ、みんな。最初に俺が頼んだことを覚えているか?
俺のうさ耳が取れるように祈ってくれと頼んだことを、別の願いに変えてくれ。男に二言は無いと言うが、どうか撤回させてくれ。
「いつか、ちびすけが俺の元に帰ってくるように、どうか、どうかお願いだ。みんなで祈ってくれ」