二日後の金曜日の昼過ぎ、玲香が【王様の耳】に息せき切ってやってきた。
「収穫あったわよ。神社の氏子さんの中に、女性介護士で伊藤さんって方がいるんだけど、脚の悪い七十歳のおばあさんを担当していて、光導にも付き添うらしいの。信者たちはペット同伴でくるみたいで、伊藤さんは脚の悪いおばあさんに代わって落ち着かない老猫を面倒みるうちに、一緒に集会に参加するようになったんですって」
 それがね、と玲香が眉をひそめたので、何かあることを感じて尚季が身を乗り出す。
 一人身のおばあさんが集会で話すことは、殆ど老猫の体調に関してなのだが、信者を導くはずの教祖の答えは、猫の身体に悪いことばかりを指示するらしい。変に思った伊藤さんは、親切心から、教祖のアドバイスは適切ではないことをおばあさんに伝えたところ、普段は温厚なおばあさんが激怒したというのだ。
 自分が間違っているとは思えず、教祖に操られているのではないかと心配になった伊藤さんは、神社の宮司である玲香の父に相談しにやってきた。
 宮司は玲香から【王様の耳】に来た光導の信者が、同じように教祖の間違いを指摘されて激怒した話を聞いていたので、玲香をその場に呼んで伊藤さんの話を聞かせてくれた。
 玲香は光導を探るために、伊藤さんを紹介者に仕立てあげ、中を見学させてもらう提案をしてみた。当然宮司は反対したが、何か怪しい気配があるか探るだけで、深追いはしないという玲香に折れて、尚季と一緒に行く条件で光導に行くことを許可したという。
「お父さんの信頼を裏切らないよう、何か会った時には、俺がしっかり玲香を護らなくっちゃな」
「うさ耳頭で言われてもねー。まだ、ちびちゃんの方が頼りになりそう」
「僕、なおたんと一緒に、れいたん護るキュル」
「ちびすけはほんと可愛いな。誰かと違って、ちゃんと俺を立ててくれるもんな~」
言い返そうとする玲香を遮って、尚季が紹介者の伊藤と玲香の関係を、教団にどう説明するのか訊いた。
「さすがに、お祓いで名の通った神社の娘と、氏子だとは言えないだろう」
「そんなこと言ったら、警戒されてしまうわ。伊藤さんは私の祖母のケアをしていて、祖母と一緒に伊藤さんの話しを聞くうちに、私が光導に興味を持ったという設定にしてあるの。電話さえ入れれば、いつでも見学に来ていいんですって」
「オッケー!抜かりないな。ちょうど今日の午後はペットの予約が入っていないんだ。飛び込み客が来ないうちに、さっそく探りに行こうぜ」
 
 そうして、二人と一羽は【王様の耳】からバスで二十分ほど行ったところにある光導にやってきた。
 小高い山の上にある光導の本堂は、回りをぐるりと雑木林に囲まれて建物自体は見えないが、木々の間を上っていく石段の入り口には、立派な石門が設けられている。その上に建っている不可思議な像を見て、尚季と玲香は眉をしかめた。
「なんだこれ?顔が狐で、耳がたぬき、身体がとかげで、尻尾が猫?ミックスされた想像上のキモキモ生物って感じだな」
 尚季の声につられ、ちびすけが中折れ帽を少し持ち上げて顔を出す。キモキモ生物を見た途端、ギャッと鳴いて帽子の中に引っ込んでしまった。
「なおたん、怖いキュル。おうちに帰るキュルル」
「いや、いや、ここまで来て逃げ帰ったら、二度と出直す気なんて起きないと思う。玲香行けるか?」
「もちろんよ!でも、危ないと思ったら、ダッシュするからね」
 二人と一羽は意を決して石門をくぐり、鬱蒼と生い茂る木を縫うように、上へと続く石の階段を一歩一歩上って行く。頂上付近で突然目の前の緑が開け、デデ~~ンと現れたのは、朱塗りの円柱と白い壁、緑色の瓦を載せた平安神宮にある應天門(おうてんもん)のような建物で、一行の度肝を抜いた。
「うわっ、すげ~派手!」
「威圧感半端ないわ!」
 尚季と玲香が建物を見上げて唖然としていると、建物の扉が音も無くスライドして、中から白装束を着た四十代くらいの女性が現れた。
「どちら様ですか? ここは光導の本殿ですが、先ほどお電話を下さった方でしょうか? 」
「そ、そうです。えっと、ここに通っている介護士の伊藤さんから、教祖さまのお話しを聞いて興味を持ったのですが、見学させていただくことは可能でしょうか?」
「確認してまいりますので少々お待ちください」
 白装束の女性は、現れた時と同じように、扉をそっと閉めて姿を消したが、すぐに戻ってきて、尚季と玲香を扉の中に招き入れた。
 辺りを見回すと、広い玄関土間の正面には大きく光導と墨で書かれた掛け軸がかかっていて、その両側には何焼きかは分からないが、高そうな大壺に枝や花が生けられている。大方信者から搾り取った大金をつぎ込んで造ったのだろうと尚季は鼻を鳴らした。
 玲香に肘でつつかれて、尚季は本来の偵察を思い出し、慌てて咳で嫌悪の気持ちを誤魔化したが、バレなかっただろうかと冷や汗をかいた。
 上がりかまちに並べられたスリッパに足を入れ、掛け軸の前を右に折れて、磨き上げられた木の廊下を女性の後ろからついて行く。廊下を中ほどまで進み、左側にある襖の前で立ち止まった白装束の女性が声をかけると、中から低く地を這う様な声が入れと命じた。
 尚季と玲香は不安気に顔を見合わせたが、二人の前で襖がスッと引かれて、目の前に畳の大広間が現れる。目を引いたのは、奥の一段高くなった板間に鎮座する高御座(たかみくら)だ。
 天皇の即位式に使われる天蓋の付いた椅子を、更に仰々しくしたものにでっぷりとした巨体が陣取っている。尚季たちが教祖と思われる人物の顔を見た途端、大きな顔にある切れ長の目から、鋭い眼光が放たれた。
 一瞬、尚季たちの身体が金縛りにあったように動かなくなり、背筋がぞっと粟立って、息をするのもままならなくなる。尚季が身体にまとわりつく悪気を跳ね返すように力を込めると、何とか束縛が解けて動けるようになった。横を見れば、青ざめた顔で教祖を見つめる玲香が小刻みに震えている。
「玲香、大丈夫か?」
「何あれ?人間じゃないものが沢山取り憑いているわ」
「何だって?」
 玲香の震えに同調するように中折れ帽がカタカタと揺れ始める。中でちびすけが震えているのが分かり、安心させるために尚季が帽子に手をやった時、それまで無言で二人を睨みつけていた教祖が口を開いた。
「お前、帽子に何を隠している?それにその女は何者だ? 私の姿が見えるようだな?」 
 これはやばいと横眼で合図を送り合い、尚季と玲香が身を翻して入ってきた襖へと駆けだす。が、襖の前には、先ほどの女性と白装束姿の二人の男性が、両手を開いて出口を塞いでいる。周囲を見渡しても、左右は壁で他に出口はない。尚季が諦めかけた時、高御座を囲う布の後ろに隠された引き戸に気が付いた。
 後ろは男二人に、女が一人。前は一人でも、教祖は相撲取りか、レスラー並みの身体のでかさだ。尚季一人なら突破できても、玲香を連れて逃げるのは不可能に思われた。
 どうすればいい?尚季が必死で考えているのを、地の底から湧くような教祖の低い声が邪魔をした。
「そこの草食男。大人しく従えば乱暴はしない。帽子を取って中身を見せよ」
「はぁ~?草食男って何だよ!それを言うなら草食系男子だろ。でも、俺の中身は肉食だぞ。柔道に合気道、剣道にもろもろの武道を身に付けているから、お前なんて一たまりもなくやっつけられるぞ。怪我しないうちに、信者だか何だかしらないが、あの三人をどかせろよ」
 尚季が必死で威嚇しているときに、後ろ!と叫ぶ玲香の声が聞こえ、防ぐ間もなく、近付いた男性信者に中折れ帽を取られてしまった。途端に、ぴよ~~んと飛び出したうさ耳を慌てて抑えたが、意外にも反応したのはふてぶてしく高御座にふんぞり返る教祖だけだった。
「うさぎの耳か。やっぱり草食男じゃないか。どうせ、武術が得意だというのもはったりだろう。それにうさ耳の間に隠れているのは何だ?鳥のヒナか?」
 教祖の問いかけに信者たちがざわつくが、どうやら彼らには、うさぎの耳もちびすけも見えないらしい。お互いに見えるかどうか確かめ合って首を振る様子に、尚季がにんまりと笑った。
「あんた頭がおかしいんじゃないか?人間にうさぎの耳なんてあるわけないだろ。それにヒナの声なんて聞こえないぞ。自分だけ特別な力があると思わせて、信者を操ろうとしているんじゃないのか?」
 教祖を侮辱されると怒るはずの信者は、尚季の言葉を聞いて戸惑っているようだ。次にどうするか考える尚季の肩にちびすけが降りてきて、耳元でそっと呟く。
「れいたんの心伝わってきたキュル。もっと言えゆってる。怒らせると本性出ルル」
 分かったと頷いた尚季が、教祖を挑発し始める。
「なぁ、俺さ、こう見えても獣医の免許を持ってるんだよ。あんたがここで、でたらめな神託を授けたことを知ってるぞ。豊島夫人が体重過多なペットのことで相談したとき、あんた好きなだけ食べさせるように言ったんだって?病気にならないように俺が運動を勧めたら、ペットの意に沿わない運動は、動物虐待だって止めたらしいじゃん。それって、ペットが早死にするって分かってて言ったんだよな?」
 尚季の言葉に追い上げられ、教祖の顔がどす黒く変色し、怒りに震える巨体が椅子をギシギシと鳴らしながら立ち上がった。尚季に鋭い視線を向け、板の間の段を降りて来る。口からはこの世のものとは思えない地を揺るがすような低い唸り声が漏れている。
 いきなり教祖が着物の袖を顔の前でクロスさせた。次の瞬間両腕が開き、袖がバサッと空気を切りながら舞い上がる。
「見ちゃダメ!目を塞いで!」
 玲香の叫びに、ちびすが尚季の鼻に飛び移り、羽を広げて尚季の目を覆った。ちびすけの羽の隙間から、横に立つ信者を見ると、教祖の眼光の術を受けているのか、目を見開いたまま動かない。
 低い教祖の声が分裂して幾重にも重なった声になり、言うことを聞くのだと命令をする。疑いを持ち始めていた信者が、教祖の言葉にガクリと頷くのが見えた。
「信者たちよ、その男と女を捉えよ」
 いきなり信者たちが尚季と玲香に襲い掛かってきた。
 操られているせいか、今一つ動きが鈍い。尚季は、両手を上げて掴みかかろうとした男性信者の下をかいくぐり、後ろに回って思いっきり背中を押すと、押された男性信者が他の信者に倒れ掛かって共倒しになった。
 じたばたもがいている男性信者を後目に、玲香を案じて振り向けば、玲香は何やら呪文を唱えながら、女性信者の前で縦横無人に手刀を切っている。
 肘から上が緩やかなウェーブを描き、手の平がひらひらと翻る。そうかと思えば、空気を震わせるほどの速度で手刀が動き、斜めに切り下としたり、切り上げたりする。一連の舞いはだんだん早くなり、「はっ!」という玲香の掛け声とともに、ピンと揃えた人差し指と中指が女性信者の額を指した。
 すると、女性信者は口から泡を吹き、へなへなと崩れ落ちた。玲香がその身体を支て畳に寝かせると、頭の上から分裂した教祖の声が降ってきた。
「お前は何者だ?なぜそんな術を使える」
「私は除霊をするお祓い師なの。今からあなたに憑いているものを祓ってあげるわ」
 玲香が祓いの舞いを始めると、教祖の背中の影が蠢いて沢山の動物の影へと分裂していく。門の上にあった石像を彷彿とさせる奇怪な姿を見て、尚季が驚きの声をあげた。
 苦し気な声で呻き、大きな身体でもがいていた教祖が、力を振り絞って畳を蹴り、玲香の元へと突進する。夢中で舞っていた玲香は逃げ遅れ、教祖の伸ばした手に捕らえられた。
「玲香を放せ!」
 尚季が教祖の腕を掴み、玲香から引き剥がそうとするが、その巨体はびくともしない。玲香を腕に抱えたまま、反対の腕でなぎ払われ、尚季は畳に尻もちをついた。それを狙って教祖の脚が勢いよく降り下ろされる。その瞬間、ちびすけが教祖の脚へ向かって弾丸のように飛び、くちばしで鋭い一撃を与えた。
 片足で立っていた挙措はバランスを崩し、玲香共々もんどりうった。幸いにも玲香は教祖をクッションにして無事だったが、自重で床に叩きつけられた教祖は起き上がれない。玲香は巨体の後ろに回り込み、続きの呪文と祓いの舞いを始めた。