「猫彦さん、温泉行きませんか」
正太郎が提案したので、猫彦は温泉に行くことにした。春菜もそれに続いたが、道明寺と桃山は部屋に残った。
三人が旅館の外に出ると辺りは真っ暗で、標高が高いこともあり肌寒さを感じた。温泉の場所は、宿に到着した時に犬丸に教えられていたので迷うことはなかった。ぞろぞろ歩いていると、お客さま〜と声を上げながら犬丸が小走りでやって来た。
「これを温泉に入れてお楽しみください」
小さな包みを三人分渡すと、引き返して行った。
浴場に近づくと、おしるこの甘い匂いが強まってきた。普通なら硫黄の匂いがするところだなと猫彦は思った。
露天風呂を囲う竹垣の脇に小さな小屋があり、そこが脱衣所になっていた。
男と女で分かれていたので、入り口で春菜と別れた。猫彦と正太郎は服を脱いでカゴに入れ、犬丸からもらった包みを持って脱衣所から出た。
おしるこ、としか言い様のない小豆色の液体が露天風呂を満たしていた。
立ち上る湯気の匂いも、完全におしるこのものだった。
「ほんとに入っても、大丈夫ですかね」と正太郎。
「温泉なんだから平気じゃないかな」
と猫彦は言って、恐る恐る右足をおしるこに入れてみた。
足がすんなりと入ったので、そのまま腰まで浸かった。
「おおおー」
と猫彦は溜息を漏らした。幸せ。
湯の肌触りはぬるぬるとしており、手で掻くと若干のとろみを感じた。この独特のとろみが、全身を優しく包むようにして温めてくれるのだと猫彦は思った。
猫彦の至福の表情を見て安心したのか、正太郎も入った。
湯の底には玉砂利が敷き詰められており、
「猫彦さん、これ」
と正太郎が両手で拾い上げた玉砂利はどれも赤褐色で、まるで小豆のように見えた。
味はどうなっているのかと思い、猫彦は湯を手で取ってぺろりと舐めた。
おしるこの味だった。
人口甘味料の甘さではなく、いかにも天然の甘みといった上品な甘みで、どういうわけか小豆の風味まで感じることができた。
不思議だなあと思い夜空を仰ぐと、素晴らしい星空だった。
「猫彦さんー、正太郎ー」
と女湯の方から竹垣越しに春菜の声が聞こえた。
「はいー」
と猫彦が応えると、
「包みは開けましたかー?」
と聞いてきた。そういえば犬丸から包みを受け取っていた。
猫彦と正太郎がそれぞれ包みを開けてみると、丸くて小さい焼き餅が五つ入っていた。猫彦は焦げ目の付いた餅を一つ温泉に浸けて口に放り込んだ。実にうまい。
餅の表面がぱりぱりに焼かれており、そこにおしるこが染み込み、絶妙な味わいになる。猫彦は餅をもぐもぐ食べながら温泉を啜った。
正太郎は餅を湯に浮かべている。その様子は白玉のおしるこだった。
包みの中にはさらに小さな紙の包みが入っており、表面に説明が書かれていた。それによると、この中身は岩塩を砕いたものが入っているらしく、これをひとつまみ舐めながら温泉を味わうと、甘みがより引き立つとのことだった。
猫彦も正太郎もこれを実践し、おしるこ温泉を存分に味わった。
猫彦たちがおしるこ温泉を満喫している間、旅館の一室に残った道明寺と桃山はある計画を立てていた。
猫彦を殺す計画である。
この唐突に催された社員旅行の目的は、福利厚生などではなかったのである。
道明寺と桃山は、しばらく前より猫彦の挙動がどことなく不審だと思い、自分たちの犯行が猫彦に悟られたのではないかと疑っていたのだった。
もし猫彦が犯行の目撃者なら、今はおとなしくしているが、いつ警察に通報されるかわからない。
そこで社員旅行を企画し、旅先で猫彦に油断をさせて鎌をかけ、目撃者であるかどうかの真偽を見極めようとしていたのだった。
それが先の広間で、寝ぼけた猫彦が「賽銭泥棒」と悲鳴を上げたことにより、たやすく歴然となった。
知られていたからには、殺す。
というのが道明寺と桃山の筋書きであった。
まさか賽銭泥棒を目撃されたくらいで、その目撃者を殺そうとするとは、考えが愚かすぎるのではと思われるかもしれない。
しかし、そもそもが賽銭泥棒をして会社の再建を果たそうとするほどの愚か者たちである。
彼らがこのような物語を描いたとしても、馬鹿の理論において不自然な点は見当たらない。
殺す場合に備えて、道明寺はトリカブトの根を乾燥させたものを持参していた。猫彦の細身なら数ミリグラムで死に至る猛毒である。
道明寺はこれまで、この宿に幾度か足を運んでおり、おしるこ温泉の入浴客には小さい餅が配られることを知っていた。
そこで明日の朝、この餅の中に毒を入れたものを猫彦に食わせ、亡き者にすることにした。
猫彦たち三人が浴場から戻って来ると、入替わるように道明寺と桃山が出て行った。
道明寺は犬丸から受け取った焼き餅を食べずに懐に入れ持ち帰り、その晩、それに毒を忍ばせた。
正太郎が提案したので、猫彦は温泉に行くことにした。春菜もそれに続いたが、道明寺と桃山は部屋に残った。
三人が旅館の外に出ると辺りは真っ暗で、標高が高いこともあり肌寒さを感じた。温泉の場所は、宿に到着した時に犬丸に教えられていたので迷うことはなかった。ぞろぞろ歩いていると、お客さま〜と声を上げながら犬丸が小走りでやって来た。
「これを温泉に入れてお楽しみください」
小さな包みを三人分渡すと、引き返して行った。
浴場に近づくと、おしるこの甘い匂いが強まってきた。普通なら硫黄の匂いがするところだなと猫彦は思った。
露天風呂を囲う竹垣の脇に小さな小屋があり、そこが脱衣所になっていた。
男と女で分かれていたので、入り口で春菜と別れた。猫彦と正太郎は服を脱いでカゴに入れ、犬丸からもらった包みを持って脱衣所から出た。
おしるこ、としか言い様のない小豆色の液体が露天風呂を満たしていた。
立ち上る湯気の匂いも、完全におしるこのものだった。
「ほんとに入っても、大丈夫ですかね」と正太郎。
「温泉なんだから平気じゃないかな」
と猫彦は言って、恐る恐る右足をおしるこに入れてみた。
足がすんなりと入ったので、そのまま腰まで浸かった。
「おおおー」
と猫彦は溜息を漏らした。幸せ。
湯の肌触りはぬるぬるとしており、手で掻くと若干のとろみを感じた。この独特のとろみが、全身を優しく包むようにして温めてくれるのだと猫彦は思った。
猫彦の至福の表情を見て安心したのか、正太郎も入った。
湯の底には玉砂利が敷き詰められており、
「猫彦さん、これ」
と正太郎が両手で拾い上げた玉砂利はどれも赤褐色で、まるで小豆のように見えた。
味はどうなっているのかと思い、猫彦は湯を手で取ってぺろりと舐めた。
おしるこの味だった。
人口甘味料の甘さではなく、いかにも天然の甘みといった上品な甘みで、どういうわけか小豆の風味まで感じることができた。
不思議だなあと思い夜空を仰ぐと、素晴らしい星空だった。
「猫彦さんー、正太郎ー」
と女湯の方から竹垣越しに春菜の声が聞こえた。
「はいー」
と猫彦が応えると、
「包みは開けましたかー?」
と聞いてきた。そういえば犬丸から包みを受け取っていた。
猫彦と正太郎がそれぞれ包みを開けてみると、丸くて小さい焼き餅が五つ入っていた。猫彦は焦げ目の付いた餅を一つ温泉に浸けて口に放り込んだ。実にうまい。
餅の表面がぱりぱりに焼かれており、そこにおしるこが染み込み、絶妙な味わいになる。猫彦は餅をもぐもぐ食べながら温泉を啜った。
正太郎は餅を湯に浮かべている。その様子は白玉のおしるこだった。
包みの中にはさらに小さな紙の包みが入っており、表面に説明が書かれていた。それによると、この中身は岩塩を砕いたものが入っているらしく、これをひとつまみ舐めながら温泉を味わうと、甘みがより引き立つとのことだった。
猫彦も正太郎もこれを実践し、おしるこ温泉を存分に味わった。
猫彦たちがおしるこ温泉を満喫している間、旅館の一室に残った道明寺と桃山はある計画を立てていた。
猫彦を殺す計画である。
この唐突に催された社員旅行の目的は、福利厚生などではなかったのである。
道明寺と桃山は、しばらく前より猫彦の挙動がどことなく不審だと思い、自分たちの犯行が猫彦に悟られたのではないかと疑っていたのだった。
もし猫彦が犯行の目撃者なら、今はおとなしくしているが、いつ警察に通報されるかわからない。
そこで社員旅行を企画し、旅先で猫彦に油断をさせて鎌をかけ、目撃者であるかどうかの真偽を見極めようとしていたのだった。
それが先の広間で、寝ぼけた猫彦が「賽銭泥棒」と悲鳴を上げたことにより、たやすく歴然となった。
知られていたからには、殺す。
というのが道明寺と桃山の筋書きであった。
まさか賽銭泥棒を目撃されたくらいで、その目撃者を殺そうとするとは、考えが愚かすぎるのではと思われるかもしれない。
しかし、そもそもが賽銭泥棒をして会社の再建を果たそうとするほどの愚か者たちである。
彼らがこのような物語を描いたとしても、馬鹿の理論において不自然な点は見当たらない。
殺す場合に備えて、道明寺はトリカブトの根を乾燥させたものを持参していた。猫彦の細身なら数ミリグラムで死に至る猛毒である。
道明寺はこれまで、この宿に幾度か足を運んでおり、おしるこ温泉の入浴客には小さい餅が配られることを知っていた。
そこで明日の朝、この餅の中に毒を入れたものを猫彦に食わせ、亡き者にすることにした。
猫彦たち三人が浴場から戻って来ると、入替わるように道明寺と桃山が出て行った。
道明寺は犬丸から受け取った焼き餅を食べずに懐に入れ持ち帰り、その晩、それに毒を忍ばせた。