花室さんは鈴木と付き合う道を選ばなかった。だからと言って俺を選んだわけでもないけれど。
 それでも俺達は、SNSを介してではなく直接連絡を取り合うようになった。時には長電話をすることもあったし、受験期にはお互いに励まし合ってどうにか大学進学という切符を手に入れることにも成功した。
 彼女は都内の私立大学。俺は都の端にある別の大学だ。
 彼女との心の距離が近づけば近づくほど、迫り来る卒業という節目に焦りを感じるようになった。彼女を知れば知るほどに、自分とは正反対の場所にいる人なのだと思ってしまう。だからこそ俺は、どうしたらいいのか分からなくなっていたのだ。

「──ホイル大佐」

 ふと、目の前のモデルが俺を見つめてそう言った。ぎくりと一瞬体が強張る。なぜこのタイミングでその名前を出したのか。真意が分からずに彼女の右手の脇に綺麗に積み上げられた、角砂糖の数を心の中で数える。落ち着け。落ち着け落ち着け。

「──ってね、わたしが崇拝しているアニメが大好きな人のアカウント名なんだけど」

 モデルはふう─とため息をつきながら視線を横へと流した。気付かれないように息を吐き出す。焦った。ばれたのかと思った。

「わたしね、その人にすごく救われたの」

 モデルはどこか遠くを見つめるような表情でそう言った。

「完璧でいなきゃ、求められる自分でいなきゃって苦しくなる度にその人のある言葉に救われてきた。だから恩返しをしたいって思ってるの」

 最後のセリフを、彼女は俺のことをまっすぐに見つめながらそう言った。

 ──彼女は俺を、知っている。

 直感的にそんなことを思った。

 モデルはふっと表情を緩めると、紙ナプキンを一枚取り出してかばんの中からペンとスマホを取り出した。そして何かをすらすらと書いていき、こちらへと差し出す。

「卒業式には、めいっぱいかっこいい原田で来なさいよ。出陣してから、どれくらい時間が経ってると思ってんの?」

 いたずらそうな表情でそう言ったモデルは、運ばれてきたメロンソーダのアイスを押し込んで溢れた泡に口をつけて笑っていた。

 ──メモに書かれていたのは、彼女の行きつけの美容室であろう名前と電話番号。そして、俺がいつものように言っていた言葉だった。