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「あの、美香ちゃんですか? 握手してください!」
「美香ちゃんファンです! アニメが好きだと知ってからもっと好きになりました!」
「だいすき美香ちゃん!」
会場を出て一般世界に足を踏み入れれば、やっぱり彼女は有名人だった。一応普段着に着替えてはいるものの、カラコンにより瞳は緑色ではあるし、髪型だって現実離れした高さから揺れる、くるくるとしたポニ─テ─ルだ。持っているのは大きなス─ツケ─スだし、そこにはアニメのステッカ─がべたべたと貼られている。
「今日? アニメのイベントがあってね、行ってきたんだよ─! いつもありがとう!」
にこにこと嫌な顔ひとつせずに対応する。イベントの外に出ても彼女の周りにはあっという間に人だかりができて、俺はその中に埋もれながらモデルのことを観察するように見ていた。純粋に、すごいなと思った。彼女のことはどうも苦手だが、自分の好きなものを堂々と好きだと言い、プロとして有名であることに誇りを持って対応をして、顔も名前も知らない人に笑顔で対応をする姿は眩しく見える。俺には到底できないことだ。
大学に入ったらモデル事務所に所属するんだと花室さんは言っていた。彼女もあんな風に、ファンに囲まれるようになるのだろうか。これから訪れるであろう未来に、俺は小さな戸惑いを覚えた。
「ごめんごめん。よく逃げずにいてくれたね」
「逃げるなんて俺を弱虫みたいに言わないでもらいたいけど」
そう返せば、モデルは楽しそうにフフフと笑う。
「それより変装とかしないのかい?」
普通有名人というのは帽子をかぶるとか、サングラスをするとか、マスクをするものなんだと思っていたが彼女はどこも隠す様子はなく堂々としていた。
「しないよー。だって別に悪いことなんにもしてないもん。コソコソしてる方がかえって目立つしね」
ふむ、そういうものなのか。それにしても、やたらと距離が近いと思うのだが勘違いだろうか。さっきから何度か肩がぶつかっている。
「俺みたいなオタクと歩いていて、変な噂がたったらどうするんだ?」
「なに言ってんの? わたしだって立派なアニメオタクだよ。この恰好見てよ」
念のために忠告してみたのだが、たしかにそんなことは取り越し苦労に違いない。どこからどう見ても、俺たちはアニメ好きというただの同士にしか見えないのだから。
彼女はこっちこっちと俺を誘導すると、一軒の店に招き入れた。そこは彼女が入るには不自然なくらいに落ち着いた、古い喫茶店だ。
カランコロンと転がるレトロな鈴の音。いらっしゃいませというダンディ─な中年マスタ─。全体的に店内は少しくたびれた感じのオレンジ。彼女は慣れた足取りで奥の席に座ると、メニュ─を開く。
「ここはさ、ソフトクリ─ムが美味しいのよ」
そう言うと、俺の答えを待たずにメロンソ─ダをふたつ注文するモデル。こういう強引なところは、モデルならではと言うよりは彼女の持つ性格なのだろう。
「で、どうして逃げなかったの?」
氷が三つ浮かぶ、ちょっと黄みがかったグラスに入った水が運ばれてくると彼女は両肘をテ─ブルについて俺を見つめた。黄緑の瞳にどうしてもあのキャラクタ─を──花室さんの姿を透かしてしまう。
「別に逃げたりしないって」
「のんの名前が出たから?」
ごくん、と思わず口につけていたグラスから氷を飲み込んでしまう。どんどん、と拳で胸のあたりをたたくと、モデルはアハハとまた声を出して笑った。分かりやすい、とそう言って。
「別に花室さんがどうとか別に。全くもって別に、だからなんだという理由にはならない」
意味わかんない動揺しすぎ、とモデルは得意そうな顔で俺を見た。
ああ、腹が立つな。やっぱりサリ─とは大違いだ。