さて、ここ最近のホイル大佐のブームは山芋侍のようだ。山芋を背負った、侍姿の白い犬こそが山芋侍。ほのぼのであり、しかし泣かせてくる人情もののアニメだ。動画サイトで見てみれば見事にはまってしまった。

「原田くんおはよう」
「おはようでござん」

 ござん、は山芋侍が話す時に語尾につける言葉。今日はサムライモードなわけね、了解。心なしかいつもより背筋も伸びている感じの原田くん。分かりやすくて面白い。
「原田、お前日直なの忘れるなよ」とクラスメイトに言われれば「拙者が忘れるわけがなかろうに」と真面目な顔で返す。周りの反応はいつも通りのスルーだ。しかしわたしは、彼の隣で小さくくすりと笑ってしまう。昨日の夜はこの人とやりとりをしたんだよなあ。本人は知らないけれど。

「ねえ原田くん」
「何用か」
「わたしをアニメのキャラクターに例えると誰かな?」

 一方的ながら、彼への親近感を抱いたわたしは調子に乗ってそんなことを聞いてみる。原田くんがわたしのことをサリーって呼んでいるの、知ってるんだぞ。ほら言ってみてよ、サリーでござんな、って。
 ちょっとわくわくしながら聞いてみたのに、原田くんは腕を組んだ姿勢のまま、天井を仰いで言い放った。

「ぬしに言ったところで通ずるはずがないでござん」

 ああ、今日も今日とて玉砕でござん。
 そんなわたしにはお構いなし。原田くんはまた、お絵かきに没頭している。この集中力を勉強にも使えばいいのに。原田くんは勉強が苦手だ。
 はあ、と小さくため息をついたわたしが机の中から教科書を取り出した時、コツンと腕がぶつかってしまう。

「あ、ごめんね」
「すまぬ」

 同時に発されたその言葉に、わたしは小さく笑ってから「ニンニン」とこっそり返した。これは山芋侍と、相方の九ノ一であるお蘭ちゃんとの合言葉だ。彼はちょっと驚いた表情を見せた後、「ニンニン」と人差し指をたてて真面目な顔で応えてくれた。なぜだか胸の奥がきゅっとなる。少しはわたしのことを見直してくれたかな、なんて。自分でも知らなかった自分がいることに、わたしは心地よい驚きを感じていたのだった。

 ホイル大佐とサリ子は、あれから何度かコミュニケーションを取っている。しかしそれは、ホイル大佐とサリ子の話であって、原田洋平くんと花室野乃花の距離は一ミリも縮まっている様子はない。
 今日も彼は、ひとりで音楽を聞きながらお絵かきをしている。せっかくの休み時間、話しかけてみたい。アニメの話も色々聞きたい。それでも行動に移せないのは、わたしが意気地なしだからだ。
 原田くんに警戒されたくない。ホイル大佐と話せなくなったら困る。だけどそれだけじゃない。
 わたしは結局、怖かったのだ。ドクモである自分が、アニメオタクである原田くんと関わるという事実が。周りがそれをどう思うのかが、わたしは一番怖かったのだ。

「のん、今日も撮影? みんなでスイーツ食べ放題行こうと思ってるんだけど」

 ホームルームが終わり、楽しい放課後の予定がある友人たちの誘いに、わたしはパチンと両手を合わせる。

「今日は撮影じゃないんだけど、今ダイエット中だから……。みんなで楽しんで来て」

 ドクモとしての“のんのん”はこう在らなければいけない、というものは自分の中にきちんとあった。スタイルがよく、オシャレに敏感、センスが良くてメイクもうまい。多ジャンルの洋楽を聴いていて、みんなから好かれる、そんな女子高生。最近はアニメにもかなり興味があるけれど、それは秘密だ。イメージというのは、ドクモにとってとても大切なのだから。
 彼女たちは、そうだよねえと頷き合ったあと、また明日と笑顔で教室を後にした。こんな放課後だってもう慣れっこだ。わたしは決してひとりぼっちなわけではない。ドクモをしているからこそ、こうした孤独も起こりうるものなのだ。
 それから十分に時間が経ったのを確認をし学校を出れば、少し前に見知った背中が見えた。ちょっと小さくて、やたらと背筋が伸びた後姿。
──原田くんだ。
そうか、原田くんもひとり。わたしもひとり。もしかしたら、似た者同士だったりして、わたしたち。
 だけど隣に並ぶ勇気はなくて、声をかける勇気もなくて。その距離を保ちながら彼の背を追うように駅までの道を歩いた。
 長い影がふたつ、重ならずに伸びていた。