「ちょっと原田、そこ邪魔なんだけど」
「ここは拙者の席ゆえ、邪魔なのはそちらでござる」
「はあ? なんなの? オタクのくせに生意気すぎる」
「炎上モデルにそれを言われるとは、ハハハッ! なんとも光栄ですな」
「はあ? バカにしてんの?」

 ホームルーム前の教室。目の前で繰り広げられるバトルに、まあまあ、と間に入る。美香ちゃんは視聴覚室でわたしと話した直後、自分の本当の趣味をSNS上で公言した。
 三度の飯よりアニメが大好きだということ、フィギュアが並ぶ部屋の写真、萌え系と呼ばれるかわいいキャラクターが自分のロールモデルだということ。まるでダムが決壊したかのように、彼女は自分の中に溜め込んできた感情を吐き出した。これまでは事務所や雑誌とのしがらみによって自己判断できずにいた部分。しかしこの時の美香ちゃんは、その名の通りに最強のメンタルを手に入れていて怖いものなんてひとつもなかったのだ。

「げー。またアンチからメッセージ来てるんだけど。はーい言い返してからブロック!」

 美香ちゃんの公言に対し、周りは好き勝手なことを言っていた。事務所からは投稿を削除しろと電話が何度も来ていたし、あの顔でアニオタなんて好感度しかないという声もあれば、イメージと違うという声ももちろんあった。それでも美香ちゃんが自分の発言を覆すことはなかった。
 有名人というのは一見すると華やかだが本当はとても孤独なのだと、美香ちゃんは言っていた。自分の言動を勝手なイメージによって解釈され、誤解され、それを解く機会も与えられずに忘れ去られていくのだ。

 あの一件以来、美香ちゃんはしょっちゅうわたしのクラスへとやって来るようになった。後ろに一つ余っている椅子を引きずってくるとわたしと原田くんの間にどかりと座る。そうして、ぺらぺらとひとしきりおしゃべりをすると自分のクラスへと戻っていくのだ。
 もちろんその大半は彼女が好きなアニメの話。きっと、ずっと、美香ちゃんはこんな風に好きなものを好きなだけ話したかったのだろう。推しキャラについて熱弁を振るう美香ちゃんは、とても楽しそうに見えた。
 アニメ好きを隠さなくなった美香ちゃん。──となれば彼女が原田くんに興味を持ち、接触を図るのも当然の流れだった。原田くんは学校一のアニメオタクとして有名だったし、わたしの通路を挟んで隣の席に座っている。美香ちゃんが原田くんに話しかけるのに必要な要素は、この二つがあれば十分だった。
 原田くんは度々話しかけてくる美香ちゃんに対し鬱陶しそうな表情をしながらも、好きなアニメの話題をふられるとまんざらでもなさそうにこれはこうだ、などと答えている。
 美香ちゃんが自由になって嬉しい。原田くんに、わたし以外にもアニメについて語れる人が出来て嬉しい。──はずなのに。いつもどこか少しだけザラザラとした気持ちが残る。そんなことを感じるなんて、わたしはどこかおかしいのかもしれない。

「あっ!」

 スマホを見つめていた美香ちゃんが黄色い声をあげる。どうしたのと声をかければ、彼女からは想像していなかった言葉が飛び出した。

「ホイル大佐様が!」

 まさかのその名前に、ぎくっと肩を揺らす原田くんとわたし。美香ちゃんの口からその名を聞く日が来るなんて思ってもみなかった。

「……知、知り合い?」

 そんなわけもないだろうに、何を言うのが正解か分からないわたしはそんなことを彼女に聞いた。奥にいた原田くんがすごい勢いでわたしのことを見たのが分かったけれど、そこは敢えて知らぬ顔をした。

「え! 天下のホイル大佐様だよ? アニメ好きなら知らないわけないよね?」

 今度は美香ちゃんが詰め寄る番だ。確かに彼女のいう通り、ホイル大佐はこの界隈ではちょっとした有名人だということをすっかり忘れていた。美香ちゃんがフォローしていても、おかしなことなど何ひとつないのだ。
 大きくてまるい瞳でがわたしの正面できらきらと輝く。彼女はうっとりとした表情でスマホに視線を落とすと、はあ~と大げさなため息を吐き出した。

「わたしとしたことが……。ホイル大佐様がサリーのイラストをアップしていたのに気付かなかったなんて!」

 ああ今日もへたくそ。かわいい。サリーへの愛を感じる。尊い。
 美香ちゃんの口からは、ホイル大佐を称賛する言葉が次々と飛び出てくる。ちらりと原田くんを見やれば、彼は眉を寄せながら首を横に振った。ホイル大佐の正体をばらすなよ、ということらしい。
 小さくため息をついたわたしは、自分のスマホでもSNSを開いてみた。すると確かに、そこにはホイル大佐の新作であるサリーちゃんが微笑んでいた。前より格段に上達している。美香ちゃんが言っていた、サリーへの愛というものを確かに感じることが出来るのだ。