「どうする? もうすぐお昼になるけど」

 太陽が高い位置までのぼっていた。横に座る原田くんは、わたしを見ずにつま先をゆらゆらと揺らした。

「原田くんは、善は急げだと思う?」
「急がば回れという言葉もある」
「思い立ったが吉日?」

 そう返せば原田くんはふっと笑ってわたしを見た。なぜだかその笑顔に泣きたくなる。

「花室さんは、そっちだよね」

 そう言った彼は立ち上がると、ぐ─っと両手をあげて伸びをした。

「学校遅刻しちゃったね」
「俺の場合は早退だけど」
「原田くんも学校に戻る?」
「一緒に戻ったら、モデル、オタクとサボりか? ってネットに書かれるよ」
「そうやって卑屈なこと言わないでよ」

 誰がどう思っても構わない。隠れるようなことは何もない。

「でも俺はいいや」
「どうして」
「鈴木が……勘違いしたら困るんじゃないの……?」
「鈴木くん?」
「……俺はかっこよくなくてスポ─ツも出来ないただのオタクだけど、一応性別は男だから」

 以前彼から言われた『お似合いだ』という言葉が心の底で疼く。原田くんは、わたしが鈴木くんと付き合えばいいと思っているのだろうか。視線を逸らせるように俯いていた彼は、不意にその顔を上げる。

「──それとも」

 息を吐き出すように、彼は言葉を続けた。

「俺の手を取るかい?」

 それは、いつかアニメで見たワンシーンのようだった。風が彼の髪の毛をさらりと揺らし、原田くんの薄茶色の瞳はまっすぐにわたしを見つめている。

「──わたし……」

 パキ、とわたしの足元で小枝が音を鳴らすと、原田くんは我に返ったように口を真一文字に結んだ。

「早く行きな。昼休みが終わると放課後まであのモデルと話せなくなるよ」

 その言葉を最後に、原田くんは口を閉ざした。多分彼は、ここから動かないのだろう。

「原田くんありがとう」

 彼の背中に向かって深く頭を下げる。もしもひとりでいたら、わたしは今頃ただ泣いているだけだった。もしも一緒にいてくれたのが原田くんじゃなかったら、わたしは大丈夫だからと無理して笑っていただけだった。

 原田くんだったから──
 原田くんだからこそ──
 一歩踏み出す勇気が持てたのだ。

 美香ちゃんと目を見て話そう、美香ちゃんの本音がどれであったとしても。誤解なんかじゃなくて、わたしを嫌いなのだとしても。こんなグレーのままで彼女との関係が終わってしまうのだけは絶対に嫌だから。
 公園の出入り口を通る時、少しだけ振り返った。クヌギの木は相変わらず優しく揺れている。その下で拳を握ってたたずむ彼の後ろ姿は、なんだか少し、震えているように見えた気がした。



 本当のことを言えば、原田くんについてきてほしかった。学校が近づくにつれ、足は重くなっていく。
 美香ちゃんに無視をされたらどうしよう。強い拒否の言葉をうけたらどうしよう。あんたなんか大嫌いって言われたら……。ううん、きっと大丈夫。
 そう言い聞かせていた心の声も少しずつしぼんでいく。どうしてこんなにもわたしは意気地がないのだろう。さっきまでの勢いはどこにいってしまったのか。先ほどの、なんの温度も感じられない美香ちゃんの笑顔が脳裏に浮かび思わず身震いをした。
 こうして校門が少し先に見えたところで、なんとか進めていた足はぴたりと動くことを拒んでしまったのだ。お昼休みのチャイムの音が響く。
 どうしよう。どうしたらいいんだろう。
 背中をひやりと嫌な汗が通りすぎる。こめかみあたりがチカチカと白く瞬くような感じだ。酸素もちょっと薄いみたい。
 美香ちゃんはわたしの顔なんて見たくないかもしれない。彼女が全てを話せる相手がいないというのは、わたしの勘違いかもしれない。向き合うなんて馬鹿なことはやめてしまおうか。どうしてわざわざ傷つくと分かっていて会いに行こうとしているのだろう。どうしてわたしを拒んだ人に、わざわざ話をしようとしているのだろう。

 ──やめちゃおうか。

 思考が逃げる方向に傾いたとき、握っていたスマホが震えた。このタイミング、こういうときに気付かせてくれる人。それはいつも同じ人だ。

『花室さんが伝えたいことを伝えればいいだけさ。相手のことは考えるな』

 ホイル大佐ではない。ぴかりんでもない。原田洋平くんからの言葉が、そこには映し出されていた。