「……だいじょうぶ」

 彼女の背中が昇降口へと消えた瞬間、わたしの口元はカタカタと震え始めた。いや、口元だけじゃない。握り締めた拳も、地面を踏み締める両足も、体中が小刻みに震えてしまってうまく動かすことができなかった。
 どくんどくんと体中の血液が熱を上げながら、全身をゆっくりと巡る。身体は熱いのにみぞおちから喉元にかけひやりとした冷たさが立ち込める。まるで胃の中にドライアイスを投げ込まれたみたいだ。すう、と小さく息を吸い込めば、呼吸すらも小さく震えた。
 まさか。ありえない。そんな。どうして。嘘だ。──いや、嘘じゃない。
 だいすきな美香ちゃん。かわいくて美人で、明るくて優しい美香ちゃん。天使のような美香ちゃん。
 わたしは一体、何をしてしまったのだろうか。無意識のうちに、どれほど彼女を傷つけ怒らせてしまったのか。考えても考えても分からない。少なくともわたしは美香ちゃんのことがだいすきだった。彼女を悪く言ったり、思ったことも一度もない。

「だいじょうぶ」

 小さく自分に二度目のそれを言い聞かせる。後少ししたら、チャイムが鳴る。早く行かなきゃ遅刻になっちゃう。今日の一限目は生物でテストがあるんだ。行かなくちゃ、行かなくちゃ──。そう思うのに、足は一歩も前に出ない。じわりとこめかみに嫌な汗が滲んだとき、ジャリッと踵の部分で小さな音が鳴った。どうやら後ろには動けるみたい。その瞬間、酸素が脳まで行き届いた。

 だいじょうぶ。動ける。息もできる。歩ける。学校と、反対方向になら。
 だいじょうぶ。テストなんてまた受ければいい。今日じゃなくても大丈夫。
 だいじょうぶ。わたしは全然、大丈夫。そう、誰にも頼らなくても大丈夫なの。

 くるりと向きを変えると、足かせが外れたように動かすことができるようになった。学校に行かなきゃなんて、思わなくていい。
 遅刻する、と小走りにこちらへ来る同じ制服を着たみんなとすれ違うように、わたしは早歩きで校門を出た。