「おはよう、美香ちゃん!」

 校門を抜けたところで綺麗な茶色い髪の毛を揺らす背中が見え、わたしはポンとその華奢な肩を叩いた。

「あ、のん! おはよう」

 ニコニコと笑う美香ちゃん。やっぱり今日も彼女はかわいい。毎日のように会っているのに、毎回そのかわいさと美しさに衝撃を受けるのだ。
 ブスは三日で見慣れる、美人は三日で飽きる。なんてよくお父さんが言っていたけれど、あれは嘘だ。だって美香ちゃんは、三日見ても三ヶ月見ても、やっぱり毎日可愛いのだから。

「昨日の撮影めっちゃ楽しかったよ~のんもいればよかったのに」

 美香ちゃんがそう言って、何人かで撮った写真を見せてくれる。最近新しくドクモになった子たちが嬉しそうに美香ちゃんを囲んでいて、その誰もがとても整った顔立ちをしていた。世の中にはかわいい女の子たちがたくさんいる。そんな中で人気モデルとしての確固たる地位を確立した美香ちゃんは本当にすごい。

「のん、撮影断ってばかりいたら枠どんどんとられちゃうよ~?」

 確かに美香ちゃんの言う通りだ。言い方は悪いかもしれないけれど、ドクモなんていくらでもいる。いつ声がかかっても対応できる準備をしている子の方が編集部だって声をかけやすいものだ。だからこそ、わたしはずっと何よりも撮影を優先させてきたのだ。しかし今では、その気持ちにも変化が生まれてきている。何を必死に、と思うようになったのだ。たかがドクモ、プロではない読者モデル。ドクモである前にわたしはひとりの人間で、女子高生だ。今しかできないことが撮影の他にもたくさんある。大事にしたいものだっていくつもある。
 優先順位が変わった。ただそれだけのことだ。

「まあ、それはそれで仕方ないかなぁ─」

 く─っと伸びをしてわたしは言った。今日は天気がよくて気持ち良い。昨日久しぶりに会った地元の友達はみんな何一つ変わらなくて安心した。ドクモをしていない頃のわたしを知っているみんな。ただの花村野々花として接してくれるみんな。思い出話に花を咲かせて、昨日はあっという間に時間が過ぎてしまった。以前のわたしが「撮影だから」とキャンセルしてきた時間には、こういうかけがえのない瞬間がたくさん詰まっていたのだろう。
 撮影は好きだ。だけど、こういう時間も自分にとっては大切だと改めて気づくことが出来た。

「わたしは所詮、読者モデルだからねぇ。たかがドクモだよ」

 何の気なしに口にした言葉だった。しかしその瞬間、美香ちゃんの顔からすっと表情が消えたのだ。普段の眩いオ─ラは形を潜め、造形だけが整っている無機質な能面と錯覚するような感覚に背筋が凍りついた。生徒たちの声や足音、野球部の朝練の掛け声までもが耳の中でぴしりと冷たく凍ってしまう。
 学校における一日の中で、最も賑やかさを持つ登校時間のピ─ク。しかしわたしは、目の前にいる無表情の美香ちゃんと自分だけがこの世界から切り離されたように感じたのだ。

「──たかが、ね。読者がつこうがプロだろうが、"モデル"に変わりはないのにね。ああ、"所詮ドクモ"だからどんなコメントが来ても無視していられるのか」

 美香ちゃんは射抜くような視線でわたしをまっすぐに見ていた。その声は今までに聞いたことがないほどに低く、重たい。
 彼女の言葉の真意が分からない上、何か恐ろしいことが起きていることだけを理解したわたしはそれに肯定も否定も出来ず、ただ立ち尽くすことしかできない。
 校門から校舎へと続く道を、みんなは楽しそうにわたしたちの脇をすり抜けていく。何人かがおはようと手を振っても、美香ちゃんはわたしから視線をそらさなかった。

「所詮、のドクモだもん。撮影に対しても自分への意識にしても、中途半端で十分だよね。わたしみたいに"完璧"じゃなくていいんだもんね。"たかがドクモ"だからね」

 美香ちゃんの言葉には、明らかな刺と毒が含まれていた。所詮ドクモ、たかがドクモ。それはわたしが日頃から、自らへの勘違いを防ぐために使ってきた言葉だ。しかし美香ちゃんの口によって発されたそれは、元の意味よりも幾重もの含みを持ってしまうことにわたしは震えていた。
 美香ちゃんはフ、と表情を緩めると今度は楽しげに口もとを弓なりに反らせた。

「"名無し"はわたしだよ? お遊びのドクモさん」

 ドクモなんてお気楽なものね、と不自然すぎるほどの笑顔を浮かべた美香ちゃんは、わたしに背を向け学校の方へと歩き出した。美香ちゃんおはよう! と言う他の子たちの声ににこやかに手を振りながら。そんな背筋が伸びた後ろ姿を、わたしはただただ信じられない思いで見送ることしか出来なかった。