人気の少ない三階のフロア。この階には理科室や音楽室などが立ち並んでおり、通常のクラス教室はない。昼休みなどは人気がほとんどないため、告白スポットとしてもよく利用されている。
「視聴覚室、ってここだよね……」
普段、ほとんど使う機会のない教室の前で、わたしはごくりと喉を鳴らした。ぴっちりと閉まっている扉を遠慮がちにコンコンとノックしてみる。
返事はない。
コンコンコン。
もう一度ノックするも、相変わらず返事はない。わたしは意を決して、その扉に手をかけた。
「失礼しまーす……」
ガラガラと、ゆっくりと開く引き戸。
「あれ?」
がらんとした視聴覚室。そこには誰もいなかった。しかし、窓側のカーテンが風にのってひらりと揺れる。視線を移動させていけば、窓際の棚の上に見覚えのあるお弁当箱が置かれていた。
一歩一歩、ゆっくりと窓辺に近づく。さわさわと、優しい風が頬を撫ぜた。
「わぁ……!」
お弁当箱の中では、それはそれはかわいくデコレーションされたサリーちゃんが微笑んでいる。
「すごい!」
思わず心の声が出てしまう。その時に、はっと気づく。これは確かに原田くんのお弁当だ。しかし、当の本人はどこにいるのだろうか。きょろきょろと周りを見回していると、彼からまたメッセージが届いた。
『写真、撮ってもいいけど』
「えっ、いいの?」
勝手に撮っちゃいけないと思っていたから嬉しくなって声が出る。
『いいってば。ご自由に』
わたしの声に、スマホの中のメッセ─ジが返事をする。
それでは、とわたしはスマホをカメラモードに切り替えてカシャカシャとシャッターをきった。角度を変えたり、フィルターを変えたり、接写にしてみたり。今まで彼のSNS上で見ていたけれど、やっぱり本物は違う。芸術作品だ。そしてそれは、綺麗なだけじゃなくとても美味しそうだった。
ぐぅ、と思わずお腹の虫がなく。慌ててお腹を押さえたけれど、どうやら原田くんは地獄耳みたい。すぐさまメッセージが飛んできた。
『食ってもいいけど』
「さすがに人様のお弁当まで勝手に食べないでしょ!」
また声に出してつっこんでしまうと、クククという笑うのを我慢する小さな声が窓の向こうから聞こえてきた。
そっと背伸びして窓の向こう、ベランダの方向を見れば黒い髪の毛がちょこんと揺れている。隠れているつもりなのだろうか。小学生みたいな彼の行動が微笑ましくて、わたしはその窓の下に腰を下ろした。床とコンクリートの壁がひんやりとして気持ち良い。
「今日はここでお昼食べようかな」
わざと大きな声で言ってから、何の変哲もない自分のお弁当箱を広げる。
そうだ、わたしもサリ子の習慣をやっておこう。窓から見える青空にカメラを向けて、カシャリとシャッターを切る。いつものようにサリ子のアカウントにそれをのせればすぐにホイル大佐から“いいね”が届いた。首をひねって棚の上を見れば、彼のお弁当箱はいつの間にか姿を消している。
「いただきます」
そう言って、わたしは両手を合わせる。きっと彼も今、同じように両手を合わせているのかもしれない。
教室の中とベランダで、わたしたちは背中を合わせて座っている。ふたりの間にはコンクリートの壁や分厚い棚があったりするけど、それでもわたしたちは今、一緒にお弁当を広げている。同じものを見て、同じように息をしている。
ひとりで過ごしたお昼休み。ひとりで食べていたお弁当。ひとりで見ていたスマホの画面。
そっと後ろを見上げれば、突き抜けるような青空が窓の向こうに広がっている。今日の空はいつもより、ずっとずっと明るく眩しいみたいだ。