◇
「え……」
“ぴかりん”と名乗った俺に、目の前の花室さんは固まっている。
ああまただ。自分の中で正反対の気持ちがばちばちとぶつかり合って火花を散らす。
──どうだい? ショックだろう。俺と同じ気持ちを味わえばいい。
──本当は、傷つけたかったわけじゃないんだ。
そんな対局するふたりの自分に決着をつけたくて、俺は今日ここに来た。花室さんは、悪だ。花室さんは、毒だ。今日こそはっきりとけじめをつけたい。こんな風にやり返して、それでやっと、俺たちの戦いは終わりを迎えることが出来るんだ。
怒れよ。
泣いたっていい。
そしたら俺の勝ちさ。
──それなのに。
「ぴかりん、ありがとう」
嫌味か、それとも負け惜しみか。しかし目の前で頭を下げる彼女の声には、そういった濁りが少しも含まれていない。
「ぴかりんがおじさんでもおばあちゃんでも、わたしはあなたのことが好きだって今日は伝えようと思って来たの。わたしはぴかりんに救われた。こうやって自分のことを受け入れられたのも、ぴかりんのおかげだから」
だからありがとう、と彼女はもう一度頭を下げた。どくどくと体中の血液がすごい勢いで駆け巡る。ガンガンとこめかみあたりに鈍い痛みが響いている。
──待ってくれ。おかしい。こんなの、俺のシナリオにはないはずだ。
「俺が誰か、分かってない……?」
もしかしたらショックを通り越して、現実逃避をしようとしているとか。だけど彼女は顔をあげて、俺の顔をまっすぐに見つめる。
「ちゃんと分かってるよ、原田くん」
おかしい。そんなはずはないってば。だって俺は嘘をついていたんだ。性別を偽って、原田とは全くの別人になりすまして、何も知らないふりをしていたんだ。
それは俺が花室さんにされたのと同じこと。あの時俺は本当にショックで、失望して、彼女を憎んだ。それなのに、どうして彼女は安堵した表情さえ浮かばせるのか。
さらに彼女は柔らかな表情でこう続けたのだ。
「ぴかりんが原田くんだって分かってね、ああだからかって、色んな謎が解けた気がする。嬉しかった」
──どうしてそんな風に思える?
どうして俺は、あの時あんなにも怒りに震え、すべてをシャットアウトして。どうして彼女は、こんなに穏やかに微笑んでいるのだろう。同じことをしているはずなのに。
“救われた”
彼女が放ったその言葉。バチバチバチッと脳内では走馬灯のようにサリ子とのやりとりが弾けて蘇る。ホイル大佐としての彼女とのやりとり。ぴかりんとしての彼女とのやりとり。
俺は、どうだったか。サリ子との……いや、花室さんとのやりとりで救われたことはなかったのか。そんなものは愚問も同然。考えずとも答えは簡単に出た。いや、本当はもう、とっくのとうにそれは出ていたのかもしれない。
所詮ネット。所詮作り物。所詮はバーチャルフレンズ。
それでも、サリ子と話しているときの俺は素直で心のままに話す俺だった。姿が見えないからこそ本音で話せていたのも事実だ。
そしてサリ子だって俺が見てきた高飛車なドクモの花室さんではなく、落ち着いていて穏やかな女の子だった。少し脆くて、自分に自信を持てないでいて、前にぐいぐいと出ていくようなタイプではない女の子。そう思った瞬間、目の前にいる花室さんと俺の中にいるサリ子がきれいに重なって見えた気がした。