手元の小さな鏡をのぞきこんで、前髪をチョンチョンといじる。なんだかドキドキそわそわする。
変なの、別に異性とデートするわけでもないのに。あ、いや、おじさんかもしれないんだっけ。そう思って、折っていたスカートを一段もどして膝くらいの長さにしておいた。変な意味ではない。だってもしも、万が一! ぴかりんがおじさんだったとして、ミニスカート姿の女子高生と一緒にいたら疑いの目で見られてしまうかもしれないし。いやいや、ぴかりんはおじさんじゃないって言ってたじゃん! 落ち着かない頭の中を整理するように、ふぅーと大きく深呼吸をする。
ここはターミナル駅の構内にあるドーナツショップの入り口前。会うも何も、住んでいる場所すら知らなかったのだからこうして待ち合わせが出来ていること自体が奇跡に近い。話を聞いてみれば、ぴかりんとわたしが住んでいるのはそう離れた場所ではなかったのだ。
待ち合わせの時間まではあと十分。緊張をほぐすようにもう一度深呼吸をしていれば、握っていたスマホが着信を知らせた。そこには西山さんの名前が表示されている。
「もしもし、花室です」
「西山でーす。あのさ、突然なんだけど、今日これから撮影来られそう?」
撮影のお誘いの電話。プロのモデルでは考えられないことだが、ドクモには「今から来れる?」といった突然のお声掛けがかかることが頻繁にある。これは、ドクモであれば誰でもよい、ということの表れだとわたしは思っている。今までのわたしならば、迷うことなく二つ返事でスタジオに向かっただろう。
「ごめんなさい、今日は大切な約束があって」
「そっかぁ。ごめんね、突然だったから。大切な約束ってデートぉ?」
「そんなんじゃないですよ! 女の子です! 友達!」
にやにやと笑っているのであろう西山さんにそう言えば、受話器の向こうからは楽しそうな笑い声が響いた。そしてそのあと、ほっとしたような小さな息を吐く気配。
「正直さ、編集者としてはいつでも飛んできてくれるドクモさんは本当にありがたいんだけどね。のんのん、今までどんな時でも撮影優先させてくれてたからさ、わたし個人としては、それでいいのかなってちょっと心配してたとこもあったんだよね。まあ本当、矛盾してるんだけどね! 今日は楽しんできて。こんな急じゃなく、またちゃんとスケジュール確認して連絡させてもらうから」
西山さんはそう言うと、じゃあねと言って通話は切られた。通話終了の画面をじっと見つめたあと、わたしはゆっくりと頷いた。
なんだ、断るってこんなに簡単なことだったんだ。
“ごめんなさい、行けません”
この一言がずっとずっと怖かった。わたしは所詮、たかがドクモ。それが分かっているからこそ、ノーと言ってはいけないと思っていた。わたしがノーと言えば他のドクモに声がかかる。そう、代わりはいくらでもいる。だからこそ、急なスケジュールで連絡がきて、この子がだめなら次、そんなふうに履いては捨てられていくのだ。
ギャラだってプロのモデルさんとは比べものにもならない。会社のスケジュールに合わせて雨だろうと嵐だろうと、突然だろうと都内のスタジオまで足を運ぶ。優先順位は交友関係よりも撮影が上になった。
ドクモとなったあの日から、わたしはずっと必死だったのだ。どうしたらそこで生き残っていけるのかって考えて考えて、そうやって“読者モデル”に縋りついてきた。だけど本当はそうじゃない。わたしは雑誌の中で生きているわけじゃなくて、ちゃんと現実を生きている。
変なの、別に異性とデートするわけでもないのに。あ、いや、おじさんかもしれないんだっけ。そう思って、折っていたスカートを一段もどして膝くらいの長さにしておいた。変な意味ではない。だってもしも、万が一! ぴかりんがおじさんだったとして、ミニスカート姿の女子高生と一緒にいたら疑いの目で見られてしまうかもしれないし。いやいや、ぴかりんはおじさんじゃないって言ってたじゃん! 落ち着かない頭の中を整理するように、ふぅーと大きく深呼吸をする。
ここはターミナル駅の構内にあるドーナツショップの入り口前。会うも何も、住んでいる場所すら知らなかったのだからこうして待ち合わせが出来ていること自体が奇跡に近い。話を聞いてみれば、ぴかりんとわたしが住んでいるのはそう離れた場所ではなかったのだ。
待ち合わせの時間まではあと十分。緊張をほぐすようにもう一度深呼吸をしていれば、握っていたスマホが着信を知らせた。そこには西山さんの名前が表示されている。
「もしもし、花室です」
「西山でーす。あのさ、突然なんだけど、今日これから撮影来られそう?」
撮影のお誘いの電話。プロのモデルでは考えられないことだが、ドクモには「今から来れる?」といった突然のお声掛けがかかることが頻繁にある。これは、ドクモであれば誰でもよい、ということの表れだとわたしは思っている。今までのわたしならば、迷うことなく二つ返事でスタジオに向かっただろう。
「ごめんなさい、今日は大切な約束があって」
「そっかぁ。ごめんね、突然だったから。大切な約束ってデートぉ?」
「そんなんじゃないですよ! 女の子です! 友達!」
にやにやと笑っているのであろう西山さんにそう言えば、受話器の向こうからは楽しそうな笑い声が響いた。そしてそのあと、ほっとしたような小さな息を吐く気配。
「正直さ、編集者としてはいつでも飛んできてくれるドクモさんは本当にありがたいんだけどね。のんのん、今までどんな時でも撮影優先させてくれてたからさ、わたし個人としては、それでいいのかなってちょっと心配してたとこもあったんだよね。まあ本当、矛盾してるんだけどね! 今日は楽しんできて。こんな急じゃなく、またちゃんとスケジュール確認して連絡させてもらうから」
西山さんはそう言うと、じゃあねと言って通話は切られた。通話終了の画面をじっと見つめたあと、わたしはゆっくりと頷いた。
なんだ、断るってこんなに簡単なことだったんだ。
“ごめんなさい、行けません”
この一言がずっとずっと怖かった。わたしは所詮、たかがドクモ。それが分かっているからこそ、ノーと言ってはいけないと思っていた。わたしがノーと言えば他のドクモに声がかかる。そう、代わりはいくらでもいる。だからこそ、急なスケジュールで連絡がきて、この子がだめなら次、そんなふうに履いては捨てられていくのだ。
ギャラだってプロのモデルさんとは比べものにもならない。会社のスケジュールに合わせて雨だろうと嵐だろうと、突然だろうと都内のスタジオまで足を運ぶ。優先順位は交友関係よりも撮影が上になった。
ドクモとなったあの日から、わたしはずっと必死だったのだ。どうしたらそこで生き残っていけるのかって考えて考えて、そうやって“読者モデル”に縋りついてきた。だけど本当はそうじゃない。わたしは雑誌の中で生きているわけじゃなくて、ちゃんと現実を生きている。