撮影をした翌朝、それはいつもと何ら変わらない朝だった。がやがやと賑わう教室。楽しそうにおしゃべりするクラスメイトの中、わたしは今日も空気のように自分の席に座っている。ただ、わたしの気持ちだけは、それまでとは変わっていた。
仲の良かったみんなは相変わらず隣のクラスに行って教室には不在。もう少ししたら戻ってくるだろう。
視線を前方にやれば、こちらにもいつもと変わらないまるい後頭部が見える。原田くんはあれから、一度も学校を早退したり休んだりしていない。彼が早退したのは、わたしがサリ子であると分かったあの日だけ。しかし、もしもわたしが話しかけようものならば、彼はきっと何の躊躇いもなく教室を出て行くのだろう。
「本当に、嫌われちゃったな……」
頬杖をついてぽつりと零した時、後ろのドアから聞き慣れた彼女たちの声が聞こえてきた。
「今日の美香ちゃんが持ってたグロス、放課後買いに行かない?」
「行く行く~」
「雑誌より先の情報だからさ、売り切れる前に買えるのラッキーだよね」
いつだって彼女たちの関心は、キラキラとした華やかなものたち。そのアイコンとも言える美香ちゃんと仲良くなれたことは、彼女たちの自尊心を十分に満たしてくれているのだろう。
ふぅーとひとつ長い息を吐き出すと、わたしは立ち上がり彼女たちが固まって座る場所へとまっすぐに歩き出した。周りの景色が全部スローモーションに見える。
ケラケラ笑う男子の声。教室で練習しているダンス部の子たちの軽やかなステップ。風でゆらめくカーテンですら、全てがスピードを忘れたように残像を作りながら後ろの方へと流れていった。
「ちょっといいかな」
最初の方だけ声が震えてしまったけれど、お腹に力を入れてどうにか耐えた。突然声をかけてきたわたしを怪訝そうに見たかつての親友たちは、ひそひそっと仲間内で耳打ちする。何人かはわたしを睨み、何人かは面倒だとばかりに顔を背けた。
「なに? なんか用?」
警戒心が針のように彼女たちを覆っているのが見える。もちろん全ての針先はこちらに向いている。だけどもう、わたしに失うものは何もない。
「ごめんなさい」
わたしはそう言うと、ゆっくりと頭を下げた。彼女たちの短いスカート、靴下、汚れた上履きに、傷のついた教室の床。それらが順番に視界に映る。
ああ、みんなの靴下ってお揃いだったんだ。そういえば前に「のんにも買ってきたよ」ってもらったことがあったっけ。それなのに、わたしは毎日、人気スクールブランドのソックスばかりを履いていた。あの時は、こういう気遣いにも気づいていなかった。気持ちを踏みにじっていたのは、やっぱりわたしの方だったんだ。
「仲良くしてくれていたのに、自分の事ばかりでごめん。みんなの言葉を真に受けて甘え続けてごめん。約束を破ってごめん。嫌な気持ちにさせてしまって、本当にごめんなさい」
しん、と教室が静まり返る。わたしが頭を下げることなんて、今までになかったからかもしれない。
プライドが高く非を認めることなんてできなくて、いつだって世界の中心は自分だと思い込んでた。撮影だと言えば、どんなことでも許されると甘えてきた。一体それを口実に、彼女たちとの約束を何度放り投げて来ただろう。わたしは見失っていたのだ。本当に大切にしなければならないものを。
ぴしぴしと、明らかな戸惑いが正面から伝わってくる。ここで、いいよなんて簡単に言えないのがわたしたち十代だ。
「……そ、そんなことされたら、うちらが悪者みたいじゃん!」
一人が避難するようにそう言えば、そうだよと他の子たちがうろたえながら同調する。だけど一度非を認めたわたしには、怖いものはもうなかった。不思議なほどに心の中は落ち着いていて、きちんと伝えたいとその想いだけが鎮座している。
「悪いのはわたしだよ。元通りになってほしいって言っているわけじゃないの。だけど、自分のしてしまったことをきちんと謝らせてほしい。本当にごめんなさい」
クラス全員がその様子をじっと見ていた。見守っていたなんていう優しいものではないと思う。だって女子同士のいざこざなんて、好奇の対象でしかないじゃないか。
だけど、誰も何も言わなかった。ただただ気まずい空気だけがもわりとたたずむ。
「謝る方は楽でいいよ。謝ればすっきりするんだからさ。受け入れて許す方がよっぽど難しいことだということを、花室さんは知った方がいいと思うけど」
沈黙を破ったのは、彼女たちの前方に座る原田くんだった。
ごくりと誰かが唾を飲む音が聞こえた。もしかしたらわたし自身のものだったのかもしれない。
原田くんはこちらなんて見なかった。手元の本に目を落としたまま、再度口を開く。
「花室さんは結局今も、自分勝手な花室さんのままじゃないか」
シン、と教室が静まり返る。結果として原田くんに援護される形となった彼女たちですら、何も言葉を発さない。
「原田……、お前ふざけんなよ……」
怒りに震える静かな声が、原田くんがページをめくる音に重なったのはその直後だった。鈴木くんが、見たことのないくらい怖い顔をして原田くんの前に立っていたのだ。
仲の良かったみんなは相変わらず隣のクラスに行って教室には不在。もう少ししたら戻ってくるだろう。
視線を前方にやれば、こちらにもいつもと変わらないまるい後頭部が見える。原田くんはあれから、一度も学校を早退したり休んだりしていない。彼が早退したのは、わたしがサリ子であると分かったあの日だけ。しかし、もしもわたしが話しかけようものならば、彼はきっと何の躊躇いもなく教室を出て行くのだろう。
「本当に、嫌われちゃったな……」
頬杖をついてぽつりと零した時、後ろのドアから聞き慣れた彼女たちの声が聞こえてきた。
「今日の美香ちゃんが持ってたグロス、放課後買いに行かない?」
「行く行く~」
「雑誌より先の情報だからさ、売り切れる前に買えるのラッキーだよね」
いつだって彼女たちの関心は、キラキラとした華やかなものたち。そのアイコンとも言える美香ちゃんと仲良くなれたことは、彼女たちの自尊心を十分に満たしてくれているのだろう。
ふぅーとひとつ長い息を吐き出すと、わたしは立ち上がり彼女たちが固まって座る場所へとまっすぐに歩き出した。周りの景色が全部スローモーションに見える。
ケラケラ笑う男子の声。教室で練習しているダンス部の子たちの軽やかなステップ。風でゆらめくカーテンですら、全てがスピードを忘れたように残像を作りながら後ろの方へと流れていった。
「ちょっといいかな」
最初の方だけ声が震えてしまったけれど、お腹に力を入れてどうにか耐えた。突然声をかけてきたわたしを怪訝そうに見たかつての親友たちは、ひそひそっと仲間内で耳打ちする。何人かはわたしを睨み、何人かは面倒だとばかりに顔を背けた。
「なに? なんか用?」
警戒心が針のように彼女たちを覆っているのが見える。もちろん全ての針先はこちらに向いている。だけどもう、わたしに失うものは何もない。
「ごめんなさい」
わたしはそう言うと、ゆっくりと頭を下げた。彼女たちの短いスカート、靴下、汚れた上履きに、傷のついた教室の床。それらが順番に視界に映る。
ああ、みんなの靴下ってお揃いだったんだ。そういえば前に「のんにも買ってきたよ」ってもらったことがあったっけ。それなのに、わたしは毎日、人気スクールブランドのソックスばかりを履いていた。あの時は、こういう気遣いにも気づいていなかった。気持ちを踏みにじっていたのは、やっぱりわたしの方だったんだ。
「仲良くしてくれていたのに、自分の事ばかりでごめん。みんなの言葉を真に受けて甘え続けてごめん。約束を破ってごめん。嫌な気持ちにさせてしまって、本当にごめんなさい」
しん、と教室が静まり返る。わたしが頭を下げることなんて、今までになかったからかもしれない。
プライドが高く非を認めることなんてできなくて、いつだって世界の中心は自分だと思い込んでた。撮影だと言えば、どんなことでも許されると甘えてきた。一体それを口実に、彼女たちとの約束を何度放り投げて来ただろう。わたしは見失っていたのだ。本当に大切にしなければならないものを。
ぴしぴしと、明らかな戸惑いが正面から伝わってくる。ここで、いいよなんて簡単に言えないのがわたしたち十代だ。
「……そ、そんなことされたら、うちらが悪者みたいじゃん!」
一人が避難するようにそう言えば、そうだよと他の子たちがうろたえながら同調する。だけど一度非を認めたわたしには、怖いものはもうなかった。不思議なほどに心の中は落ち着いていて、きちんと伝えたいとその想いだけが鎮座している。
「悪いのはわたしだよ。元通りになってほしいって言っているわけじゃないの。だけど、自分のしてしまったことをきちんと謝らせてほしい。本当にごめんなさい」
クラス全員がその様子をじっと見ていた。見守っていたなんていう優しいものではないと思う。だって女子同士のいざこざなんて、好奇の対象でしかないじゃないか。
だけど、誰も何も言わなかった。ただただ気まずい空気だけがもわりとたたずむ。
「謝る方は楽でいいよ。謝ればすっきりするんだからさ。受け入れて許す方がよっぽど難しいことだということを、花室さんは知った方がいいと思うけど」
沈黙を破ったのは、彼女たちの前方に座る原田くんだった。
ごくりと誰かが唾を飲む音が聞こえた。もしかしたらわたし自身のものだったのかもしれない。
原田くんはこちらなんて見なかった。手元の本に目を落としたまま、再度口を開く。
「花室さんは結局今も、自分勝手な花室さんのままじゃないか」
シン、と教室が静まり返る。結果として原田くんに援護される形となった彼女たちですら、何も言葉を発さない。
「原田……、お前ふざけんなよ……」
怒りに震える静かな声が、原田くんがページをめくる音に重なったのはその直後だった。鈴木くんが、見たことのないくらい怖い顔をして原田くんの前に立っていたのだ。