「……逃げ……?」

 明らかに怒りを含んだ声がその背中から発される。ごくりと覚悟をきめて、わたしはそうだよと震えないように声を絞り出した。少しの時間その背中はぴくりともせず、そのあとゆっくりと原田くんはこちらを振り向く。その顔を見て、ひやりとする。このひと、こんなに怖い顔をするんだ。

「誰が逃げてるって言いいたいわけ? まさかと思うけど、俺がきみから逃げているとでも?」

 ウッと一歩下がりそうになった踵に全体重をかける。ここで引いたらだめだ。ちゃんと話さないと。やっとこっちを見てくれたのだから。

「そう。原田くんはわたしから逃げてるし、ホイル大佐はサリ子から逃げてる」

 学校を早退してアカウントをブロックし、話しかければ無視をして。こんなの逃げている意外のなにものでもない。ホイル大佐という名前を聞いた彼の眉は、ぴくりと吊り上った。

「その名で気安く呼ぶな」

 静かな、だけど怒りを抑えている声。わたしだって、分かっている。原田くんにとってホイル大佐がどれほどに大切かということは。だけど、わたしにとっても、サリ子にとっても、ホイル大佐は大切な存在なんだ。

「ブロックなんかしたって意味ないと思わない?」
「今まではそれでうまく排除してこれた」
「その中には、本当にホイル大佐を好きだった人がいたかもしれないのに?」
「そんなのいるわけがない」
「どうして言い切れるの?」

 彼はふんと鼻で笑う。全てを見てきた、世間はこんなものさと嘲笑うようなそんな表情だ。

「言ったじゃないか。所詮は作り物の世界なんだって。そんな中での言葉や発言、関係だって全部偽物だと」
「リアルだよ! ちゃんと生きてる!」

 わたしは必死だった。何をそんなに必死になっているのか分からないけれど、彼に何かを伝えなきゃと必死だった。偽物なんかじゃない。作り物なんかじゃない。確かにネットの世界はバーチャルかもしれない。だけどその先には生きている生身の人間がいるのだ。言葉だって気持ちだって、それは本物だ。だからこそわたしの心はこんなに痛い。

「傷つくよ! 何度も何度もブロックされたら傷つくし、こうやって会いに来ても話も聞いてもらえなくて、意地悪な言葉ばかり言われたらわたしだって傷つくよ!」

 そうやって心の叫びをそのまま言葉にしても、彼の軽蔑するような視線が揺らぐことはない。

「俺を騙して嘲笑っていたくせに、自分のことは棚に上げて俺を批判するの? そういうところだよ、花室さん」

 どこか愉快げに言い返されて、ぐっと言葉につまってしまう。彼のいう通り、元はと言えばわたしに原因がある。しかしわたしは、彼の言葉に妙な違和感を感じていた。

「ちょっと待って。嘲笑っていた、ってどういうこと?」

 どうしてわたしが彼を嘲笑わなければならないのだろう。わたしの心は、いつだってホイル大佐の存在に救われていたというのに。
 すると彼は、呆れたというように乾いた笑いを吐き捨てた。

「きみが学校ではどういう立ち位置で、俺が学校でどういう立ち位置かくらい、自分でも理解しているさ。さぞ滑稽だったろうね」

 その時にやっとわたしは、彼の頭の中でどのような図が出来上がっているのかを理解したのだ。