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「原田くんおはよう」
「おはよう花室さん」

 そっけない声だけは返ってくる。だけど今日も、彼はわたしのことを見ない。それでもわたしは、どうしても彼にお礼が言いたかった。ホイル大佐である原田くんに。

「ねえ原田くん」
「なんだい」
「ありがとう」

 彼は不意打ちを食らったかのような横顔を見せてから、ゆっくりとこちらを見つめた。久しぶりに、きちんと視線と視線が絡んだ気がする。彼は少し考えるようなそぶりを見せたあと、ああと小さく頷いた。

「昨日、花室さんのせいじゃないって言ったこと? あれは事実だからお礼を言われるようなことではないさ」
「それでもありがとう」
「大体俺、花室さんのことを自意識過剰とか言ったと思うけど」
「うん。それも含めてありがとう」
「……花室さんって変なひとだね」

 原田くんは手元に視線を落としてそう言う。そして、少し笑った。
 その小さな笑顔を見たときに、わたしの中にはある想いがぱちんと弾けてじゅわりと心の中に広がっていく。前から感じてはいたことだった。だけど、いろいろな理由や言い訳をつけてその思いを告げられずにここまで来てしまった。だけど、だめだ。やっぱりちゃんと、言わなきゃいけない。知ってほしい。
 ──原田くんと、もっとたくさん話がしたい。
 わたしは深呼吸をすると、スマホを取り出してサリ子のアカウントを開いた。タップするのはメッセ─ジのアイコン。送り先はもちろん隣の彼だ。

『あのね、わたし、ホイル大佐に話したいことがあるの』

 視線を動かさなくたって、隣にいる彼の動きは視界の端に捉えている。

『何さ。藪から棒に』

 彼は親指をさくさくと操ると、すぐにこちらへと返事を返した。だけど彼は、気付いていない。その電波の先にいるのが、このわたしだということに。

『わたしのことを、ちゃんと話したいなって思って』

 ホイル大佐が原田くんだって、知っているよ。

『別に、今俺が知っているきみでいいじゃないか』

 知ってほしい。あなたと話しているサリ子は、隣の花室野乃花なんだってことを。

『そうじゃないの。サリ子としてじゃなくて、本当のわたしのことを知ってもらいたいって思ったの』

 心臓は今にも口から飛び出てしまいそう。教室内の雑踏は一切聞こえなくなる。
 勇気を出した。強くなりたいと願った。彼の前で、隠し事をしていたくないとそう思った。
 もしかしたら原田くんは、その事実を知ったら嫌がるかもしれない。わたしのことを拒み、遠ざけるかもしれない。それでも、ほんの少しの小さな期待をわたしは信じたくなっていたのだ。
 サリ子を仲良いと言ってくれたホイル大佐。心配をしてダイレクトメ─ルまでくれた優しさ。そして何より先ほどの原田くんの笑顔を見た瞬間、わたしは全てを彼に打ち明けたくてたまらなくなったのだ。

『いま俺が知っているサリ子だけが、俺にとっては本物だから』

 そんな文字が画面に現れたのと同時に、「なんだ突然……」という小さな呟きが耳に届いた。わたしはスマホを鞄の中へ滑り込ませると、空になった両手できゅっと小さくスカ─トを握る。
 ホイル大佐はあくまでもホイル大佐でい続けることを選んだ。彼の中でのサリ子はあくまでも仮想現実の中の存在でしかなく、彼女が本当は誰で、どんな人間なのかとかそういうことには興味がない。いや、知りたくない、という方が正しいのかもしれない。
 ホイル大佐は現実世界と仮想世界の線引きをきちんとしている。そこをごちゃ混ぜにするようなことはしたくないのだ。