未知のウイルスに、この星は侵されてしまった。
　2000年余りの文明を築いた長い人類の歴史は、ある日突然襲いかかる未知の脅威にピリオドを打たれるのだろうか。誰もが望まない結末。この世にまだ生きる生命が、最初で最後に見るこの世の終わり。


　あなたが送ってくれた薔薇の花びらも、枯れてしまった。萎んだ赤色が、テーブルの上に落ちている。

　もうすぐ会えるよと言ったけど、あなたはどこにいるのだろう。

　殺風景なリビングに置かれたローテーブルに、この身体は微動だにすることなく突っ伏していた。動かないことはない。しかし動く理由もない。

　ベランダから見上げる外の景色は、ピンクとヴァイオレットが入り混じる複雑な空の色。
　人を脅かすウイルスは、やがて大地の植物や大気まで汚染する。酸性の雨がこの世のすべてを音もなく消し去ろうとする。澄み渡る青空の面影は跡形もない。外の世界には最早希望はない。

　テレビやネットはとっくに麻痺している。
　この一国の島国で果敢にも未知の敵に立ち向かおうとした官僚達は、混乱を増すこの国の情勢に憔悴し、疲れ果てた。いつしか表舞台からなりを潜めた彼らによってこの国の主要都市は強制ロックダウンし、経済までもが破綻した。

　テレビには電波さえ届かず、画面は真っ黒に覆い尽くされる。辛うじて無人でも稼働するネットの掲示板には、悲観的な声明や支離滅裂な情報に埋め尽くされている。
　遠くから聞こえてくる声は、人々が生きるために罪を犯し、奪い奪われる混沌社会の悲鳴だ。


　この胸にも感情のパラメータが存在するなら、あと僅かで燃え尽きる。
　あなたがいる居場所に帰れない絶望感と喪失感に打ちのめされ、この胸を焦がしながら減速したパラメータが燃え尽きる瞬間を刻々と待つのだ。

　打つ手は無くなってしまった。この肉体は滅びるだろう。不滅の肉体も、不朽の生命も、手に入れられる術はない。
　一縷の望みにかけるなら、無造作に床の上に落ちた通信機に手を伸ばす。無意味なノイズがこの非常事態でも通信を拒んでいる。
　掌サイズのハリボテに躍らされるこの胸の内など、遥か彼方の銀河に届くはずがない。

　ノイズの狭間から、微かに届くあなたの声に耳を澄ます。たった一言、その息遣いさえ、白昼の夢に見る。あなたは、私が望む言葉をかけてくれる？


　それでもこの愛は、不滅であることを証明する。

　頼りない音を筒抜けにするそれを握る手も、麻痺を起こす。ウイルスの脅威に侵されては、あの人にも幻滅されるだろう。痺れる指に、力を起こす。

　壊れたようにノイズを垂れ流し続けるハリボテに、口を近づける。あなたに届くように。奇跡も希望も見放したこの星から。



「この星はもうすぐ終わる。私もそちらへは、戻れないだろう。ミッションは、成功だ」




　この星にいる誰も知ることはない事実。
　奇跡も希望もこの星にはない。古来からあるのは、外部からの侵略のみ。再生と破滅を繰り返し、何者かの手で積み上げられる文明の歴史。

　あなたが何を考えているのか、最後までわからなかった。私という生命体も、あなたの手駒の内にすぎなかったのか。
　あなたがくれた肉体(カラダ)も薔薇の花も、超新星の瞬きのように儚い灯火だ。


　通信機は耳障りなノイズさえ聞こえなくなってしまった。

　たとえこの生命が途絶えたとして、この愛は不滅だ。