この恋は読書のあとで


「白馬」

 あろうことか顧問を呼び捨てにする始末だ。それに何という嫌なタイミング。

「おいこら、顧問を呼び捨てにするな。で、なんだ」

「そこの山羊が言うことは理にかなうと思うよ。僕のこの秘めた力を十分に発揮できる場は、やはり舞台しかないだろう。委員会の活動費増額のために、この能力を利用する価値はある。そういうことだから、図書委員会は演劇をするよ」

 おまっ、こういう時には舌が饒舌になりやがって……自分に都合が悪いことは相手に有無言わせず言い包めちゃってさ。
 あっという間の態度の変化に白馬先生はついて行けず、白八木さんは何か感銘を受けちゃってる。思いっきり「山羊」って言われたことはスルーなのか。

 しかしこうなると、完全に高雅さんのペースに持っていかれてしまった。
 ということはだ。ちょっと馬鹿な頭でも考えてみよう。
 演劇に決まったとなれば、高雅さんは物語の人たちを出す担当で、つまりは裏方役。となれば、出場する条件のために私に残されたのは――……。

「高雅がそう言うなら、それでいくか。そういうわけだから代表で舞台に出るのは桃香で決まりってことで」

「待てえええええい!!」

 今まさに判決が下ろうとしたけれど、ギリギリのところでタンマをかける。ちょっとこれには反論する余地がある。

「待ちなさいよ! どうして委員会の人間でもない私が、代表として舞台で目立たなきゃいけないんですか!?」

 これは巧妙に仕組まれた罠だ! とその首謀者である彼に必死の猛抗議をする。
 
「すでに決定事項だ。君に反論の余地はない」
 
 ――がまったく意に介していない。
 おのれ、桐嶋高雅!

「演劇の中身は君が決めて。彼女バカだから、わかりやすい書物がいい」

 それどころか目の前の私の存在など無視して、白八木さんにさっそく劇で使えそうな本を漁らせている。
 もう頭をむしゃくしゃ掻き回したい衝動に駆られる私のもとに、高雅さんは諭すような声音で言った。


「桃香、君は勘違いをしている」

 カウンター越しの猛抗議を涼しい顔して躱した彼は、見上げる形でこちらに目を配る。その眼差しは妙に穏やかだ。

「勘違い……?」

「わからないのかい?」

 まるで我が子を見守る母親のような穏やかな眼差しで、テーブルの上に項垂れる私に告げる。
 さらにちょうどいい位置にあった私の頭を彼が撫でて、これは何の冗談なのかと胸の鼓動が早鐘を打った。

「僕はね、君のためを思ってこんなことをしてるんだ。わかるかい?」
 
 私のため……? なんて言うのは、きっと高雅さんの方便だ。これまでの経験値から私は白い目で彼を見る。
 こんな時ばかりは自分の武器を最大限に利用するのだからこの男はタチが悪い。

 そして彼の執事が「こちらなどいかがでしょうか?」といそいそと彼に選んだ本の表紙を見せている。
 私もいそいそと横からそれを確認する。このままの流れだと舞台に出るのは最早確定みたいだし、私にも選ぶ権利くらいはある。

「あ、白雪姫!」

「グリム童話か。彼女の方もどうやら知っているようだし、それでいいよ」

「おっ、ようやく決まったか」
 
 私と高雅さんの攻防(やりとり)を蚊帳の外から見ていた白馬先生がここぞとばかりに出てきた。

「よし、あとのことはこっちで決めておくから今日は解散ってことで! じゃあな! See you all tomorrow!」
 
 白馬先生は英語で爽やかに何かを言って、颯爽と図書室を後にしていった。
 


「……さっきの、どういう意味ですか」

「何?」
 
 白馬先生がそそくさと逃げた後の図書室は、なんだか微妙な空気が流れる。

 もしや、もうすでにあれを忘れられている? 自分から思わせぶりなこと言っておいて、なんか酷い。大真面目にこっちが考えていたのがバカみたいじゃないか。
 そんなことを言えば「はじめからバカだろ」って言われるのがオチなので言わないけど。

「さ、さっきの、私のためがどう、とか……」

「ああ、それ」

「ちょ、ああって! ちょっと!」

 カウンターで再び読書に興じる彼に、こっちはブクブクと紅茶を泡立てながら打ち明けるか迷ったというのに。
 テーブルの下では猫ちゃんズが遊び疲れたのかぐっすり眠っている。

図書室(ここ)が使えなくなれば、君の勉強も見てあげられなくなるだろ」

 諦めかけながら紅茶を啜っていたら、高雅さんからは意外な反応が返ってくる。バッと顔を上げたら、優しい高雅さんの顔がこちらに微笑みかけるわけでもなく、私はそんな人を見て小さく吹き出した。

「人の顔見て何ヘラヘラしてるの?」

「へへっ……まさかあの後講師のこと引き受けてもらえるなんて思わなくて、怪我の功名ってやつですね」

「あんなバカなことされたら、他にやり方もない。君のことだから、あれくらいじゃどうせ諦めてくれないと思ったんだよ」

「ありがとうございます。高雅さん」

 いつもこんな風に皮肉ばかり言う人だけど……。
 ちょっと捻くれてるから素直な言葉が選べないだけだって、知ってるよ。

「……まったく。どいつもこいつも能天気にヘラヘラしてる」

 またそっぽを向いてしまった。
 あれ? もしかして照れてるのかな?


「暇ならこれでも読んでおきなよ」

 そう言ってそっぽを向いた彼が、こちらに投げてきたのは『白雪姫』の児童書。

 見たところ難しい漢字もなく、ルビも振ってあるから私でもスラスラ読めるだろう、とのことだ。口は悪いけど、そんなとこにもきちんと目を通してくれている。

 それに白雪姫と言えば指折りの名作童話。小さい頃に絵本で何度も読んだことがあるし、白雪姫は一番好き。7人の小人と楽しそうに暮らして、魔女の毒で死んじゃっても運命の王子様のキスで目を醒ますなんて、とってもロマンティックで素敵……!


「それ、今日の宿題だから。夢見てないで一言一句その腐りかけの頭に叩き入れなよ」

 ちょうど夢見ていたところだと言うのに、高雅さんが釘を刺す。
 宿題も出されてしまったので、これ以上彼に心を見透かされるのは耐えられず、起きたばかりの猫ちゃん達にお別れを言ってこの日はお暇することにした。


 「ただいまー」と一言、玄関で靴を脱ぐと部屋に閉じこもり、お気に入りの音楽をスピーカーで聞きながら早速白雪姫の読書に入ってみる。
 これもあの読書の魔人こと高雅さん効果なのだろうか、読書感想文だって真面目に取り組まなかったのに、気づけば高雅さんの真似をしてちょくちょく本を手にとっている。恐ろしや、高雅さん効果……肝心の頭の方は、まだ効果を実感できていない。

 さてと本のページをめくり、比較的大きな字で書かれた本文に目を通していく。
 この本自体はそれほど分量があるわけではないが、問題なのは私が普段あまり本を読んでいないことだ。児童書もコミック本二冊程度の厚さだし、内容も回りくどい表現や言い方はしていない。
 しかしこれ、果たして今日中に読み終わるのだろうか? 宿題はそれだけではなく、さらにこの内容を一言一句覚えろって? うん、無理だろ。世の中の人の頭があなたのように都合よくできているわけじゃないんだし。私はその平均以下の頭だし。


 どれだけ彼への愚痴をこぼしたところで、宿題をしてこなければシメられるのは確実である。槍千本はさすがにこの身体が持たないので、何も言わずにおとなしく読書をしよう。

 その内容は記憶の中の物語と大きく変わりはない。
 綺麗な白雪姫は継母に妬まれて殺されそうになるけど、心優しい猟師に助けられて、その後は7人の小人達と出会って、彼らと楽しい生活を送る。

 ページの間に挟まれたモノクロのイラストには、小さな小屋の中で白雪姫と小人達が仲良くテーブルを囲んでランチをしている姿が描かれている。
 小人ってそのままに、身長がみんな小さくて可愛い。こんな絵に書かれた空想上の人達が、高雅さんの魔法のような力で、現実に出て来るんだからすごいことだよね。
 
 じっとモノクロのイラストを眺めてみる。
 絵の中ではピクリとも動かない登場人物たち。
 私はその時ふと心に湧いた物心というか、そういう感じの好奇心から目をそっと閉じて顔をページに近づけると、そうして本のイラストに軽く唇を合わせた。

 すると――









 …………特に何も起こらなかった。
 
 まぁこれが普通なんだけど、なんだろう……この虚無感……。


 心にぽっかりとした何かができた気がして、しばらく空虚な思いに浸った。
 バカらしい、イラストから実体が飛び出してくるなんて……本人にこんなこと言ったら秒も待たず瞬殺されるから、ここだけの話にしておくけども。



 物語も終盤、毒林檎を食べてしまった白雪姫は命を落としてしまう。小人達が白雪姫の死に嘆く中、そこに通りかかる白馬に乗った王子様が白雪姫を見て彼女に一目惚れする。

 王子様は悲しみに暮れる中、彼女の薄く開いた唇にそっと口づけを落とした。
 そして奇跡が起こる。王子様からのキスで、白雪姫は奇跡的に息を吹き返したのだ。そして、命を助けてくれた恩もあり、二人はお城でめでたくパッピーエンドを迎えるのでした――。




 意識が半分虚ろだ。けど、どうにかストーリーは最後まで読み終わった。何回も寝そうになったけど、本当によくやったと思う。
 いつもなら睡魔が襲ってきたらあっさりポックリなんだもん。

 時刻はもう夕飯の支度時、窓から見える茜色の空は、少しづつその色を濃く熟していく。外から聞こえてくる子供たちの笑い声やカラスの鳴き声が、ぼうとした頭に心地よく響いてより一層眠気を誘った。

 これもあのスパルタ講師の指導の賜物だろうか。和解の日から図書室でたまに勉強を見てもらっているが、あの鬼畜の所業は人間のやることではない。何度も猫ちゃんに泣きついた。答えを間違える度に、ハリセンで頭をすっ叩くのはいただけない。


 手の中の白雪姫の本に視線を落とせば、ラストシーンで二人が幸せになる内容がそこには綴られていた。

 キスで白雪姫を目覚めさせた王子様か……まるでキスの魔法みたいだ。
 それはなんだか高雅さんとよく似ているような……あの高雅さんと物語の王子様が似ているなんて何の冗談。さすがに無理がある。




 本を閉じて枯れた声を漏らす音は次第に小さくなり、やがて微かな寝息を立てていた。


 その翌日、図書室に集まったメンバーで、グランプリの報告会議を開いていた。

「えー、無事に理事長のGOサインが出たということで、晴れて図書委員会では白雪姫をすることに決定した」

 白馬先生からの報告に、それぞれが「おお〜」や「ぱちぱち〜」など各々の反応を返している。
 ラウンド・テーブルには前回と変わらぬメンバーが揃っている。出し物の発案者ということで白馬先生が高雅さんに頼んで出した白八木さんは、とても鼻が高そうだ。
 しかし高雅さんの薄い反応には、彼は少し物寂しそうにしていた。

「ゴホン。それで、白雪姫の台本や配役はこっちで大方は準備しておいたから、二人とも配った台本には目を通しておいてくれ」

 そう言われて白馬先生から配られた台本に早速目を通す。
 台本なんてなんだか緊張するなあ。ノート大のサイズの数ページほどの台本だけど、事前に読んでおいたものに比べればきっと楽勝だ。さて自分の役はなんだと確認する。

「あの、白馬先生」

「どうした?」

「あの……白雪姫の名前の下に、何故か私の名前があるのですが……」

「当たり前だろ。桃香は白雪姫役だからな」

「へぇ、そうなんですか~。白馬先生、それってちょっとどういうことですかああああ!?」

 思わず慣れないノリツッコミをかましてしまった。いや、問題はそこではなく……。

「え、ヤなのか? 白雪姫」

「嫌というか……まぁ嫌だけど。だって劇で主役なんてしたことないし、小人のちょい役かと思ってましたよ」

「いや、桃香はそこまで小さくもねえから小人はまず無理だろ。本の奴らと並んだらかなり浮くし」

 ああ、そういうことか。言われてみれば確かに……。
 いや、だからといって白雪姫の大役はさすがに荷が重すぎる。そこでどうにか役を変えてもらえないかと白馬先生に交渉する。

「台本も出来上がっちまったしなあ。それにこれは理事長からの推薦もあるんだ。『桃香が主役じゃねえ白雪姫なんて見てられるか!』ってな。最悪不戦敗でそのまま活動停止ってオチも……」

「なんだって?」
 
 白馬先生のぽろっとこぼした内容に、誰よりも早く高雅さんが反応する。
 その矛先がこちらへと向くのだから、本当に迷惑な話である。
 
「ねぇ、桃香。もし拒否なんてしたら、わかっているだろうね?」

 その有無を言わさぬ目は何だ。私に拒否権はないんですか。
 しかしこんなことになったそもそもの原因はわかっている。だから私は高雅さんの目を見てしっかりと頷いた。

「ところで高雅さん、少しそれを貸してもらいたいのですが」

 それ、と言って彼のテーブルの前におかれた数冊を指す。察しがいい彼はすぐに本のページを開いて、それを快く私に預けてくれた。
 
「待て桃香、一体何をする気だ!?」

「止めないでください、白馬先生。私にはおじいちゃんをこの手で()()義務があります」

「ねえよ! 漢字変換に本気の殺意を感じるから!! マジでやめてくれ!!」

 私の両手には彼から借りたコードレスのチェーンソーが握られている。それを見た白馬先生が必死の形相で引き止める。

「高雅てめっ! 何加担してんだよ! 見てねえで手伝え!」

「嫌だね。こんなに喜ばしいことに水を差すなんてこと、僕にはできない」

「高雅あああああッ!」

 白馬先生があわあわと言った様子で高雅さんに何かを叫んでいるけど、そんなものはこの耳に入ってこない。私は私の使命にメラメラと燃えていた。


「失礼します」

 そんなところに目指していた図書室の扉がスライドする音が響き、やいのやいのと騒いでいた全員の視線は一斉にそちらへと流れる。
 図書室の扉を開けた人物は、ハニーブラウンのミディアムをふわりとなびかせる。大人の香りがふわりと漂いそうだ。

「栗谷先生? どうして図書室に……」

 すみれ色のカーディガンを羽織った栗谷先生は、こちらを見て挨拶代わりに微笑んだ。
 だけど、栗谷先生は白馬先生のように図書委員会の顧問でもなければ、当然ここに立ち寄る理由など……。
 
「どうしてじゃありません。藤澤さん、授業はどうされましたか?」

「あっ」

 あった。彼女は私の担任だ。
 五月に入ってまったく顔を出さない自分のクラスの生徒に用があるらしい。その顔はとても穏やかだけど、後ろには絵に書いたような如来像が見える……。

 恐ろしいほど至近距離に詰め寄ってくる栗谷先生とじりじりと後ろに退がる私との間に、すると今度は別の声がかかる。

「く、栗谷先生っ! おお、おはようございます!」

「あら、おはようございます。白馬先生」

 白馬先生が、こんな場面で栗谷先生の気を逸らすことをする。でも助かった。
 ちなみにさっきまで持っていたチェーンソーと執事さんは、高雅さんが扉が完全に開かれる直前、抜群の反射神経で本の中に仕舞っていた。仕事がはええっ。

 その栗谷先生は、白馬先生に学園のマドンナらしい微笑みを向けるが、それに対して白馬先生の表情は堅い。動きも堅い。
 そんな白馬先生を目の当たりにして、高雅さんは珍しく堪えきれないと言うような笑みを漏らす。

「高雅さん、どうかしたんですか?」

「見てわからないのかい? こういうのは君の方が詳しいのかと思っていたけど、やっぱりバカはとことん鈍いね」

 な、なんでそこまで言われてるんだ。その理由すらバカにはよくわかっていない。
 仕方ないな、という風に高雅さんが耳を貸すように促す。何をそんなにコソコソするのかと思ったけど、近くまで寄せた耳に彼の吐息がかかって、ちょっとそれどころではないかも。


「惚れているらしいよ。君のクラスの担任の彼女に」

「な、なんと!」

 しかしながら低音ボイスと吐息をも吹き飛ばす情報を彼から打ち明けられ、思わずその顔をじっと見返す。でも高雅さんが適当な冗談を言うとは思えない。

「本人は隠しているつもりだけど、傍から見てバレバレなんだよ」

「まさか白馬先生が栗谷先生に気があるなんて、ちょっと意外でした」

「君はバカだからね」

「意味わかんないですから!」


 でもまあ高雅さんが言うようにどうやら白馬先生の片思いのようだ。見た目はすごくモテる人だろうから、恋愛に苦労しないイメージだった。でも相手が学園のマドンナになるとそうもいかないのかも。
 二人がくっつくなんてことがあれば、学校のビックカップル間違いなしだ。どれだけの人が袖を濡らすことになるか……きっと地獄絵図だ。
 しかしこうなればあの二人を応援してあげようと、そんなことを高雅さんに耳打ちした。あろうことか無視された。おい!


「さて、藤澤さん。もうすぐホームルームも始まりますから、一緒に行きますよ」

「ええっ……」

 白馬先生との他愛ない話は切り上げて、栗谷先生の脅威が私に迫る。こんな人に逆らうことなんてできないだろう。

 担任に連行される私を見て「放課後にまた図書室に集合だぞー」と呑気に言い残す白馬先生が見える。いい感じに話せたからって浮かれてんなあの人。


 だがもっと酷いのはその隣にいた人だった。見送るときくらい読書の手止めんかい!!


「図書室にいたあの男の子が、桐嶋高雅君ね」

 栗谷先生と並んで教室までの廊下を歩く最中、彼女はそんなことをこぼした。

「その様子なら、彼とも仲直りできたようね。安心したわ」
 
「はい、色々ありましたけど、栗谷先生に話したおかげであの後きちんと向き合うことができました」

「そんな、私は大したことはしていないわ」

 お世辞で言ったのではないけれど、栗谷先生は肩を竦めてやんわりと謙遜した。不登校の不良生徒の事情にも親身になってくれるなんて、栗谷先生は人ができた先生だ。最早羽根が生えた天使じゃなかろうか。たまに天使の皮が剥がれることはあるけれど……。


「それにしても、まるで本の中から飛び出してきたようにカッコいい男の子ね。桐嶋高雅君」

 そんなことをまた栗谷先生が口にする。
 やけに高雅さんに食いつくな。でもあれだけ顔がいいなら納得だ。学園のマドンナも虜にする高雅さんのスペックは侮れない。
 あと栗谷先生が意外と面食いだったのにも少し驚く。

「藤澤さんもそうは思わない? 彼のことはどう思っているのかしら」

 どうやら余計な勘繰りまでされているようだ。確かに一時期はそんな甘い関係にも期待したことがあるような……しかしそんなものはあの鬼畜の所業を前にどうでもよくなる。

 しかしここまで食いつかれては、白馬先生の立場がないと言うものだ。ここは白馬先生を立てておこう。

「そういえば白馬先生も、高雅さんに負けず劣らずカッコいいですよねえ。スタイルもよくてモデルみたいだし、優しくておおらかで、定規を投げる腕の角度とかピシッと決まってて……」

「あら、藤澤さんは先生と生徒の禁断の恋に燃えるタイプなの?」

「いやそうじゃなくて!」

 そんなことは微塵も言っていない。
 あと栗谷先生に売り込むネタが思ったよりなかった。これはもう直接聞こう。

「栗谷先生こそ、白馬先生のことはどう思いますか? 図書室でとても親しげにお話してましたけど」

「あら、先生の恋愛に口出そうなんてやりますね。藤澤さん」

 そんなつもりは内心あったが、栗谷先生には見透かされていたのか悪戯っ子な目で見られてしまった。これは内申点に響くだろうか。

「白馬先生のことは、特に何も。生徒から人気もありますし、先生同士なのでそういうのも考えちゃいますよね」

「……そうですか」

 ドンマイ。白馬先生。
 本人がいないところで脈なしを知ってしまった私は、今後の彼の未来に細やかな幸せがあることを祈るのだった。アーメン。
 ちなみに今は彼氏はいないらしい学園のマドンナ。なんでこんな美人に相手がいないんだ!? そりゃ私なんか生まれてからまだ彼氏ができないわけだよ!!



「白馬先生といえば、聞きましたよ。藤澤さんもグランプリに参加するそうですね」

「なんか成り行きで……」

 栗谷先生からその話を持ち出されるなんて思ってなかったから、そうやって言葉を濁すしかない。別にやりたくてやるわけじゃないし、前向きな気持ちなんて起こらない。
 白馬先生が何を吹き込んだか知らないが、そんな期待に満ち満ちた目を向けないでほしい。

「自分の生徒にこんな話をするのはあれだけど、私が受け持っている部活もグランプリのことでちょっと揉めていてね……」

 どうやら栗谷先生のところも意見が食い違うことが多々起きているらしい。悲哀に満ちた表情はさながら聖母マリアのようだ。



 そしてあっという間に教室まで来てしまった。
 しばらく来ていなかったけど、教室のドアの奥の騒がしさが、胸の緊張を膨らませる。
 ろくに授業を受けてないし、また色々と噂されてしまうんだろうなあ。こっちもあんまり気乗りはしない。

 栗谷先生は少しずつ慣れていけばいいからとエールを送ってくれたけど、トップクラスのエリート達に囲まれて何をしたらいいんだ。会話のレベルが違いすぎて置いていかれるだけだよきっと。


「あの」

 ホームルーム明けのブレイクタイムで、窓際の席にとりあえず座っていたら知らない男の子に声をかけられた。頭がよさそうと言うよりは、すっきりした短髪で爽やか好青年って感じだ。

「藤澤さんだっけ。あんま学校来てないみたいだけど、わからないことあれば言って」

 いきなり話しかけられてどんなマウントを取られるのかと構えていたけど、拍子抜けした。
 まさか名前まで覚えてもらえてるなんて思わなくて、ちょっと感動していた。

「えっと……」

「あ、俺、明海って言うんだ。明海冬馬(あけみとうま)。苗字がよく女みたいだなって言われるんだよ」

 あけみくん……確かに、女の子みたいな名前だ。それも苗字なんて変わってる。
 名前くらいしかまだ知らないけど、どうやらいい人そうだ。

「うん、ありがとう。明海君。藤澤桃香です。正直わからないことだらけだけど、こんなのでも仲良くしてくれるならよろしくお願いします」

 クラスメイトとは積極的に話したことがなかったから……相手にもされないと思ってたし……明海君の気遣いが凍えてしまった心に染みる。

「あ、うん。よろしく。あと放課後にクラスの何人かとカラオケ行くんだけどさ、よければ一緒にどう?」

「ほ、放課後……放課後は、図書室に行かなくちゃいけないから、ちょっと……」

「図書室?」

 さっき白馬先生が、放課後も集まるようにと念を押していた。
 せっかくのクラスメイトからのお誘いだけど、ここは丁重に断るしかない。当たり障りなくそうしたつもりなんだけど、明海君は図書室と言うワードに引っかかるような顔をした。

「うん。明海君もよかったら今度遊びに来てね」

「えっ、ああ」

 明海君みたいないい人が、あの曲者の高雅さんとも打ち解けてくれたら嬉しいんだけど、そんなことはあの人嫌いに期待するだけ無駄なのかもしれない。

 それに明海君はなんだか難しい顔をしていて、始業のチャイムが鳴ると私にサッと手を振って自分の席に戻ってしまった。
 私なんか変なこと言ってしまっただろうか?


 放課後になり再び図書室にやって来れば、ギャラリーが増えていた。


「あっ! 来たよ! ボクたちの白雪姫!」

「へー、どうでもいい」

「ホンマやぶえっくしゅんッ!!」

「んー……?」

「可愛い女の子だねー」

「……」

「こらこら、みんなバラバラに言っては挨拶ができないでしょう」

「…………あはは」

 いつもと少し違う光景を目の当たりにして、なんて反応すればいいかわからなかった。
 さすがの私でも、扉を開けたら部屋に二頭身の小人達がわらわらといたらびっくりして言葉が出ない。
 授業中はずっと寝てしまっていたから、まだ寝ぼけてるのかな。

「何そこでぼんやり突っ立ってるの? さっさと入りなよ」

「高雅さん」

 白雪姫の本を片手に、高雅さんが訝しげな視線を向ける。その冷たい視線を見ていると、さっきの栗谷先生との会話(コイバナ)を思い出して思わず顔を逸らしてしまった。
 今のはちょっとあからさますぎたよね。変に思われてないといいけど……。


この恋は読書のあとで

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