人――人間。気が付いたらこの世界に存在し、幼稚園や保育園に入園し、そこを卒園し、小学校に入学する。六年後、在校生に、一言が添えられた、花に飾られた紅白のあれを胸につけられ、卒業証書を受け取る。

次には中学校に入学し、三年後、小学校と同じように卒業する。その次に進むは、高校だったり職場だったりする。高校に進んだら、また中学校と同じようなことをする。

次に、大学だか専門学校だか、就職だかの選択をする。そして進んだ先、わたしの場合は大学校だった。大学校生活で二度目に迎えし夏休み、わたしはただ、暇を持て余している。

 人間はなぜ生まれ、なぜに生き、死ぬのか。目の前に細長い物体がある。多くの人はそれを「ペン」と称す。ではペンとはなにか。「書く」もの。書くとはなにか。「自らの中にあるものを可視化する行為」。

改めて、「ペンとはなにか」。「自らの心中を可視化するための物体」――。そんなことを、入学前の体験授業だったか学科見学だったかで、教授が語っていた。物事の根本を探るこれが哲学であると。

わたしは現在、その文学部哲学科に所属している。動機は単純だった。人間という生き物について知りたかったのだ。他にもそれらしい学部や学科はあったが、なんとなく、哲学という分野に惹かれた。

 趣味はなんですか、特技はなんですか、好きな○○はなんですか、また、嫌い、苦手な――。対象の人物を知るために投げかけられがちな、なんの飾り気もないような質問だ。これらに対して、すらすらと言葉を返すことができる人もいるだろう。しかし、わたしはそうではない。

自らがなにを得意とし、好み、嫌い、苦手意識を持っているか、わからないのだ。だから、人間という生き物について知りたいと思った。人間について知識を重ねるそのうちに、自分という人間についてもなにか気が付くことができるのではないかと期待したのだ。

しかし、期待の芽が育つことなく迎えた、大学校生活で二度目の夏休みだ。先月七月の二日、わたしの年齢を表す数字が一つ大きくなった。それに反比例するように、期待の芽は少し乾く。その芽があとどれだけ枯れずにいるか、わたしにはわからない。