「何それ……、優しいなんて、瀬名先輩じゃないみたい。誰の影響で、そんな変わったの」
村主さんは、どんっと、瀬名先輩の胸に拳を当てる。
笑いながら、何度も何度も涙をこぼす。
「でも、好きな人に優しくされるって、こんなにうれしいんだ……。私今、フラれたのにね……変なの」
第三音楽室に、村主さんの鼻をすする音が響く。
私は、かける言葉が見つからないまま、心の中で願った。
どうか、彼女が自身で縛りつけてしまっているすべての鎖が、優しく溶けていきますように。
彼女の心に刺さったすべての棘が、いつか丸くなって消えていきますように。
何度も何度も、心の中でバカみたいに、唱えた。
「瀬名先輩、ちゃんと返事くれて、ありがとう……」
それは、ピアノ線まで振動させるかのような、震えた声だった。
その一言で、村主さんの中の恋心に終止符が打たれたのかと思うと、切なくて胸が張り裂けそうになる。
瀬名先輩は相変わらず無表情だったけど、村主さんが泣き止むまで、一歩もそこから動かなかったんだ。
side瀬名類
図書室で食べた焼きマシュマロ、屋上で飛ばした紙飛行機、視聴覚室で観たホラー映画、音楽室で数年ぶりに弾いたピアノ。
全部を、SNSにメモしている。
忘れないように。明日の自分に記憶を繋げられるように。
いつしか、メモしたことさえ忘れてしまうかもしれないと思い、スマホに毎朝通知が来るように設定した。
『起きたら自分のSNSのアカウントを見ろ』。
その通知が来ると、数秒だけ思考が停止して、ハッとしてからすべてを思い出すという頻度が増えてきた。
それは、まるで雷に毎回打たれるかのような衝撃で、最初は脳の神経の一本が痺れて、次々に連動していく感覚なのだ。
それは、俺の中でどんどん桜木の存在が大きくなっているということなんだろう。
桜木を忘れないことが、本当に記憶のリハビリになってしまった。
真っ白だった世界に、インクが一滴落ちてじわじわと広がっていくような感覚を、俺は生まれてはじめて知った。
……いつか失うことが怖いから、いっそメモを取ることをやめて忘れてしまおうか。
そんなこと、毎朝思っている。
覚えていないけれど、きっと、今までの自分も大切な記憶に出会ったとき、そうやって逃げて生きてきたんだろう。
いつか失うことが怖いから。
その言葉は、きっと、俺の頭の中で廻り続ける。……永遠に。
〇
「瀬名先輩。今年、桜の開花宣言遅いんだって。たしかにこんだけ雪降ってたらそうだよね」
音楽室でのことから数日間経ったある日、なにごともなかったかのように村主が昼休憩で教室にやってきた。
隣に座っていいと言っていないのに、勝手にクリームパンを頬張りながらスマホをいじっている。
俺は、音楽室での一件で、こいつは俺にもう話しかけなくなると思っていたから、しれっと目の前に現れたことに少しだけ驚いていた。
ただ、前のように鬱陶しくくっついてきたりはしない。
「あーあ、お花見デートいろんな人に誘われてるのになー」
村主はこれみよがしに男からきたメッセージを俺に見せつけながら、文句を垂れている。
そのことにはいっさい触れずに、俺は唐突な質問を投げかけた。
「アイツの髪、直してやったの。お前」
「え……? ああ、座敷童子ちゃんの話? 耳にかけて髪どけただけだよ」
「なんで」
「別に。なんか無理して陰キャラ作ってるみたいだから崩してやりたくなっただけ」
「あれキャラづくりなのかよ」
「当たり前じゃん。声作ってるし。なんか昔言われたんじゃん? 意外と整った顔してるからそれでイジメられたのかもね」
あのぼそぼそした話し方は、わざと作っているのかもしれないなんて、一度も思ったことがなかった。
村主が、案外人のことをちゃんと見ているという事実に驚いて、俺はしばらく閉口した。
すると、彼女は長い茶髪をかきあげてから、俺のことをぎっと睨みつけて指さす。
「ていうか私、瀬名先輩以外にも男たくさんいるから、心配しないでいいから」
「一ミリも心配なんかしてねぇよ」
「だから! 大丈夫だから、普通に接してよね」
そこまで強気で言い放った村主の耳が、少しずつ赤くなっていることに気付いて、俺は言葉を探した。
今までなら、村主の顔も見ずに無視をしていただろう。だけどすぐに、アイツの言葉が思い浮かぶから。
『そんな言葉、簡単に言わないで。ただ傷ついたり不安になったりしただけなのに、そんな言葉で、笑いに変えないで……』
きっと、俺が想像する以上に、人は言葉に傷つけられる。
今の彼女だって、もしかしたらすごく言葉を選んで、悩んで、今日俺の隣にやってきたのかもしれない。
そう思うと、なんて返したらいいのか、余計分からなくなった。
「……すでに普通に接してるだろ」
淡白な言葉をそのまま返すと、村主は「たしかに」と言って笑った。
そして、少し間を置いて彼女は問いかけた。
「……桜木のこと、好きなの?」
「お前に答える意味ある?」
「好きなんだ。あー、ムカつくなマジで。どうすんの?」
どんな単語の羅列だよ、とつっこみたくなるほど要点のみのセリフに、俺はため息をつく。
どうすんの?というのは、忘れるくせにどうすんの、ということだろう。
そんなの俺が知りたい。方法があるなら教えてほしい。
俺が不機嫌になったことを察知したのか、村主は「でもちょっとわかる」と、焦って言葉をつけ足した。
「……変なやつだけど、悪いやつじゃないのは、わかる」
そう言った村主の顔は、少し戸惑っているようで、うっすらと眉間にシワが寄っている。
自分の中で桜木をどんな位置に配置したらいいのか分からないのだろう。
俺だって分からない。アイツのことなんて、全然分かってない。
「あ、噂をすれば」
村主は突然廊下を見て何かを指差した。
彼女の派手な爪の先には、うつむきながら、売れ残りのパンを抱えて歩く桜木がいた。
購買は三階にあるので、たまたまここを通りすがったのだろう。
今日は、すぐにアイツの顔を思い出せたことにややほっとしていると、村主が大きな声で彼女を呼んだ。
「おい、そこの座敷童子。こっち来い」
「どんな呼び方だよ」
思わず突っ込んだが、彼女は座敷童子という単語にビクッと肩を震わせて、ゆっくりこっちを向いた。自意識あんのかよ。
昨日は髪を耳にかけていたが、すっかりいつもどおり幽霊ばりに顔を隠している。
桜木は一瞬こちらを見たが、聞こえなかったふりをして通り過ぎようとした。
しかし、村主がそれを許さない。
「桜木、来いって言ってんだろ、耳ないのかよ」
そう言われると、当たりがしんとなって、桜木のことを同情の目で見つめるクラスメイトで溢れ返った。
派手な生徒に絡まれた、いたいけな後輩がかわいそうだとでも思っているのだろう。
桜木はギギギ、と音が出そうなほどぎこちない足取りで教室に入り、すごすごと近づいてきた。
ふたりきりで話しているときは自然なのに、どうして集団の中になると彼女は過剰に自分の存在を消そうとするのだろうか。
村主が、自分の席にひとつ椅子をくっつけて、桜木に座るよう指示した。桜木はパンを抱えながらゆっくりと腰掛け、俯いている。
そんな様子を見て、村主が不機嫌そうに声を荒げる。
「出たよ、その陰キャ作り。この前の威勢はどうした」
「こ、この前はごめん……。勢い余りすぎて生意気言いました……」
「本当だよ。座敷童子のくせに」
桜木は俺に目もくれずに、村主と会話をしている。
桜木が俺以外の誰かとまともに話しているところをはじめて見たので、なんだか少し感動してしまった。
すると、桜木は突然慌ただしく何かを思い出し、手に持っていた財布から千円札を取り出して村主に押し付けた。
「これ、返す。今度こそ、返す……」
なぜかお札を突き付けられた村主は、しばらく何かを考え込んでから、そのお札を指で挟んで受け取った。
「しつこいな。分かったよ」
「よかった、肩の荷が降りた……」
「こんな端金で大袈裟なんだけど」
「こういうのって、金額の問題なの……?」
なんの話かまったく分からないが、村主は珍しく言葉に詰まって、ぽりぽりと頭を掻いて、ため息混じりにつぶやく。
「扱いづら! このタイプの人種未知すぎて分からない」
「ええ……」
「ていうか、また髪で隠してんなよ。声も作るな」
そう言うと、村主は桜木の髪の毛を、耳に無理やりかけた。
桜木の丸い瞳があらわになって、俺は一瞬ドキッとした。
雪のように真っ白な肌をしている桜木は、猫背のままおろおろと目を泳がせている。急に視界が開けると、視線の置きどころに困るのだとか。
挙動不審な彼女を黙ってじっと見つめていると、ふいにばちっと目が合った。
見つめていたことがバレないように、俺はとっさに目を逸らしてしまう。
すると、そんな一連を見ていた村主がつまんなそうに舌打ちをした。
「何もう、アオハルですか? やってられない。早くくっつけばいいじゃん。あーもう、桜木、アンタ最近行ってみたいとこないの?」
「え! なんで急にそんな話題に……」
デートを取り付けようとしているのか、村主がキレながら桜木のことを問い詰めている。
怒ってるのか、応援しているのか、それとも無理しているのか、村主の行動は俺には理解できない。
桜木は、意味は分からずとも、聞かれたことにちゃんと答えなければと思っているのか、うーんうーんと唸りながら行きたい場所を捻り出していた。
数秒経ってから、「あ」と小さく声を上げて彼女はつぶやく。
「土手に、行きたい……」
「え? 何言ってんの?」
村主と同じように、俺もまさかの回答に眉をしかめる。土手なんていつでもひとりで行けばいいだろ……。
村主に睨まれた桜木は、怯えながら小さな声で答える。
「春になったら、勿忘草がたくさん咲くって聞いて……」
「勿忘草? なんでそんなの見たいの」
「見たいっていうか、採りたいというか……。死んだばあちゃんが好きな花だったから」
「……ふぅん」
桜木の中で、祖母の存在はかなり大きいものなんだろう。
彼女の口から母親の話を聞いたことはないが、祖母の話は何回か聞いている。
村主はあきらかに反応に困っているので、俺はようやく口を開いた。
「行くか。春になったら」
「え、ひとりで行けるので大丈夫ですけど……。人様を連れ出すような場所でもないですし……」
「殺すぞ」
羞恥心を紛らすために放った俺の一言に、桜木は怯え切っていたが、秒で玉砕した俺に村主は爆笑していた。
桜木にとって行きたい場所っていうのは、誰かと行きたい場所ということではないのかもしれない。
思っているより、きっと桜木を囲む壁は厚い。
ひとしきり笑い終えた村主は、前から疑問に思っていたのか、ストレートすぎる疑問を桜木にぶつけた。
「いいキャラしてるのに、なんで桜木はそうやって自分隠してんの?」
村主の問いかけはいつもストレートすぎる。
桜木の反応が心配になったけれど、彼女はいたって普通な態度だった。
「それは、もう誰も傷つけたくないから……」
「何それ。イジメられてたんなら、アンタが傷つけられてたんじゃないの?」
「そうなんだけど……えっと」
珍しく、困ったように言葉を濁すので、俺は村主に「追い詰めんな」と言って制した。
村主は眉をハの字にして、どういうことかと桜木の言葉の真意を理解できないでいた。俺にも本当の理由は分からない。
……前から思っていたけれど、桜木が村主のことを庇ったあの日、あらためて疑問に思ったことがある。
あんなふうに、誰かが傷つけられることを思って行動できるのに、どうして桜木は独りでいることを選んだんだろか。
本当にそれを望んでいるならいいけど、もし本心はそうじゃなかったら、桜木を縛っているものはいったいなんなんだ。
そんなことを思っていると、昼休憩が終わる時間になり、生徒が教室を移動し始めた。
「桜木、一緒に戻るか」
「うん。あ、村主さん、あの、音楽室のときの、あの、瀬名先輩とのことは……」
何やら桜木が気まずそうに言葉を濁している。
もしかして、俺に強引に抱き寄せられた場面を村主に見られたことを気にしているのだろうか。桜木は、ずっと言うタイミングを見計らっていたかのようだ。
村主はそれを察知したのか、桜木の背中をバシッと強くたたく。
「もう脈ゼロって分かったから、今の彼氏ひとりに絞っていくことに決めたからいいんだよ」
「そうなの……?」
「応援してる」
そう言って、本当に心の底から笑った村主に、桜木はほっとして笑みをこぼしていた。
そんな桜木を見ながら、村主が何を「応援」しようとしているのか、ちゃんと分かっているのか、俺は不安になりながらふたりの背中を見送ったのだった。
〇
気づいたら、卒業まであと三週間だったことに気づいた。
この高校になんの未練もないせいで、とくに意識したことはなかったが、今は桜木の顔が思い浮かんでしまう。
春が近づいているというのに、ちっとも温かくならない。
俺はダッフルコートのボタンを閉めて、自転車置場で空を見あげる。
吐いた息が真っ白な空に消えていく様子を眺めながら、桜木が来るのを待っていた。
すると、ふと人の気配を感じて、俺は目線を下げた。
「瀬名先輩、今日のリハビリはどこか外に出かけるんですか」
水色のマフラーに顔を埋めた桜木が、自転車を運びながら近づいてくる。
俺も自転車を倉庫から出して、校門へと向かっていくと、桜木は何も言わずにそんな俺の後をついてくる。
記憶のリハビリなんか、本当はもうどうでもよくなってる。
どうせこの記憶障害は治らないし、忘れるときは跡形もなく忘れてしまうんだろう。
それよりも今、桜木と何をするのかということ自体が、少しずつ自分の中で大切なような気がしてきたのだ。
「お前、なんか食べたいものとかねぇーの?」
「え、急に言われましても…」
「捻りだせ。今日はお前が企画者だ」
俺の横暴すぎる要望に、桜木がうしろで困り果てていることが背中で伝わってくる。
自転車にまたがって振り返ると、桜木は一言つぶやいた。
「駅前の喫茶店にあるパフェ。苺のやつ……」
「お前俺が甘いの嫌いなの知ってて言ってんのか」
「あっ、そうでしたすみません……」
俺の言葉にあきらかに落ち込む桜木がおもしろいので、もう少し見ていたかったが、ここで立ち話をするには寒すぎるので止めた。
「店の名前何?」
「えっと、たしかボンボンカフェです……」
「了解」
そう言って、俺は自転車を漕ぎだした。桜木は戸惑った様子で俺の跡をついてくる。
頬をかすめる風は冷たくて、耳は千切れそうなほど寒い。
こんな寒い日にパフェを食べたくなるなんて頭がおかしいとしか思えないが、場所なんてどこでもよかった。
過ぎていく街の景色や、今にも雪が降りだしそうな空、桜木の水色のマフラーが風に舞う光景と、桃のように赤くなった頬。
そのすべてが、脳に焼き付けられたらいいのに。
そんなことを思いながら漕いでいると、駅にたどり着いた。
マップを開いて、そのカフェを目指していると、桜木は「え、本当に行くんですか」と戸惑っている様子だ。
「お前が行きたいって言ったんだろ」
「私は食べたいけど、でも、瀬名先輩は……」
「コーヒー飲むわ。寒いし」
「あ、はい……」
「あ、着いた。ここか」
そのカフェは、いかにも女子高生が好きそうな水色と白を基調とした外観で、とても男子だけでは入れなさそうな店構えだった。
「ご、ごめんなさい、入りづらかったら全然大丈夫ですので……」
「なんで? いいよ」
桜木でもこういう場所に興味があるんだな、ということに驚きながらも、なんのためらいもなくドアに手をかけると、彼女は目を丸くしていた。
そんなに意外な行動だったのだろうか。
店に入ると、仲は予想どおり女子高生とカップルであふれかえっている。
店員に案内され窓際の席まで移動すると、途中でちらちらと女子高生からの視線を感じた。
とくに気にせず席に座り、メニュー表を桜木に渡すと、彼女は顔を真っ青にしていた。
「どんな感情だそれ」
「だ、だってこんなにリア充な空間だと思ってなかったんですもん……。なんか先輩目立ってるし」
「ぐだぐだ言ってないではやく選べ」
「う、うう……。この場にいていいんでしょうか私は」
「苺食べたいんだろ」
そう問いかけると、桜木は大きくこくんと頷いた。
その素直な反応を可愛く思ったが、俺は顔に出さないように店員を呼び止めて、桜木が食べたいと言った期間限定の苺パフェを頼んだ。
桜木は耳にかけていた髪の毛をさっと下ろしてうつむき、この店の空気と化そうとしている。もう慣れているので何も言わなかったが、逆にその行動の方が目立つと何度言ったらわかるのだろうか。
「な、なんか緊張してきました……。ト、トイレ行ってきます」
「幽霊と間違われんなよ」
「たしかに……。気を付けます」
俺の冗談を真剣に受け止めて、桜木は俯いたまますごすごとトイレに向かっていく。
俺は、先に届いたコーヒーを飲みながら、白い窓枠越しに、景色をぼうっと眺めていた。
そういえば、桜木と外で出会ったのはあの遊園地以来だろうか。
もう、記憶がかなり薄れかけているが、SNSでの記録を読み返しては、なんとか記憶を繋ぎとめている。
桜木は、俺の記憶がたまに飛んでいることに気づいているだろうか……。
バレてほしくない。そんな形で、自分の気持ちを見透かされたくない。
「あの……、すみません」
ぼうっとしていると、横から女子の声が聞こえて、俺はゆっくり振り返った。
するとそこには、まったく知らない女生徒ふたりが並んで立っている。
「もしかして……、瀬名類君ですか?」
まったく見覚えがないが、もしかしたら記憶を失くしてしまっている人物なのかもしれないと思い、俺は追い払わずに彼女たちの言葉を待った。
「あの、妹があなたと同じ高校に通ってるんですけど、超カッコいい先輩がいるって言ってて……、写真に見覚えがあって」
「あはは、ていうか、妹盗撮してんのヤバいけど」
「普通に実物の方がカッコいいですねー」
……そういうことか。真剣に話を聞こうとして損した。
何も面白くないのに笑っているふたりを完全に無視して、俺は頬杖を突きながらスマホをいじる。
桜木が戻ってくるまでに早く散れよ。
そんなことを思っていると、彼女たちのうしろに桜木がひっそりいることに気づいた。
俺は桜木に向かって「おいで」と、口パクで言い放つ。すると、俺の目線を追った見知らぬ女子高生ふたりは、桜木を振り向きながらサッとどいた。
しかし、桜木含む三人は、「え……」と小さく声を漏らしてからその場に硬直した。
女子高生のうちのひとりが、数秒経ってから声をあげる。
「もしかして……、桜木?」
桜木の顔は、雪のように真っ白になって、表情は石のように固まっている。
まったくいい空気ではない。
もしかして……、桜木の過去のクラスメイトなのだろうか。
「え、嘘。なんでこんな店に来てんの? ウケる……」
「何、綾香(アヤカ)の友達なの?」
「友達っていうか……中学が一緒。なんか親がモンペで、学校に乗り込んできてやばかったんだよ。うちの娘をイジメたのは誰ですかって」
「え、やばー。ていうか、まさか類君が彼氏……?」
「え! まさかふたりでこの店来てたの!?」
なんだ、こいつら……。こそこそと小声で話しながら、桜木のことをちらちらと見ている。
その様子に、怒りでめまいがするほどだったが、ここで騒ぎ立てたほうがきっと桜木には迷惑だろう。
本当は殴り倒してやりたいほどムカついている。
俺は怒りを堪えて立ち上がり、桜木をこの店から連れ出そうとした。
「桜木、帰んぞ」