「あ、噂をすれば」
 村主は突然廊下を見て何かを指差した。
 彼女の派手な爪の先には、うつむきながら、売れ残りのパンを抱えて歩く桜木がいた。
 購買は三階にあるので、たまたまここを通りすがったのだろう。
 今日は、すぐにアイツの顔を思い出せたことにややほっとしていると、村主が大きな声で彼女を呼んだ。
「おい、そこの座敷童子。こっち来い」
「どんな呼び方だよ」
 思わず突っ込んだが、彼女は座敷童子という単語にビクッと肩を震わせて、ゆっくりこっちを向いた。自意識あんのかよ。
 昨日は髪を耳にかけていたが、すっかりいつもどおり幽霊ばりに顔を隠している。
 桜木は一瞬こちらを見たが、聞こえなかったふりをして通り過ぎようとした。
 しかし、村主がそれを許さない。
「桜木、来いって言ってんだろ、耳ないのかよ」
 そう言われると、当たりがしんとなって、桜木のことを同情の目で見つめるクラスメイトで溢れ返った。
 派手な生徒に絡まれた、いたいけな後輩がかわいそうだとでも思っているのだろう。
 桜木はギギギ、と音が出そうなほどぎこちない足取りで教室に入り、すごすごと近づいてきた。
 ふたりきりで話しているときは自然なのに、どうして集団の中になると彼女は過剰に自分の存在を消そうとするのだろうか。
 村主が、自分の席にひとつ椅子をくっつけて、桜木に座るよう指示した。桜木はパンを抱えながらゆっくりと腰掛け、俯いている。
 そんな様子を見て、村主が不機嫌そうに声を荒げる。
「出たよ、その陰キャ作り。この前の威勢はどうした」
「こ、この前はごめん……。勢い余りすぎて生意気言いました……」
「本当だよ。座敷童子のくせに」
 桜木は俺に目もくれずに、村主と会話をしている。
 桜木が俺以外の誰かとまともに話しているところをはじめて見たので、なんだか少し感動してしまった。
 すると、桜木は突然慌ただしく何かを思い出し、手に持っていた財布から千円札を取り出して村主に押し付けた。
「これ、返す。今度こそ、返す……」
 なぜかお札を突き付けられた村主は、しばらく何かを考え込んでから、そのお札を指で挟んで受け取った。
「しつこいな。分かったよ」
「よかった、肩の荷が降りた……」
「こんな端金で大袈裟なんだけど」
「こういうのって、金額の問題なの……?」