それから私は、昼休みに時々伊坂君と一緒に、中庭でお弁当を食べるようになった。
「驚いたなぁ……まさかOKしちゃうとは思わなかった……」
以前よりはちょっぴり話す回数の増えた畠田さんは、やっぱり体ごと私をふり返って、大袈裟にため息をついてみせる。
「OKって何が……?」
首を捻る私の肩を、
「またまたぁ」
なんて言いながらバチンと叩く。
「伊坂とつきあってるんでしょ? 一生君とはただの従兄妹同士だなんて、絶対嘘だと思ってたのに……本当だったんだね……じゃあ一生君が学校来てる間に、私も思い切って話しかけてみればよかったなぁ……」
「ちょっと! それってどういう……!」
思わず立ち上がって大声を出しかけてから、慌ててそんな自分にストップをかけた。
『伊坂君とつきあってる』
とか、すぐさま訂正しなければならない箇所だってあったはずなのに、私が過剰反応したのはそんなところにではない。
相変わらず海里のことしか頭にない自分が嫌になる。
「冗談だよ冗談……ほんっとに反応が面白いなぁ……」
コロコロと笑いながら畠田さんが前に向き直ったので、私も椅子に座り直した。
これまでなるべく見ないようにしていたのに、思わず隣の空席に目を向けてしまう。
(バカ! ……それもこれも全部海里のせいだからね……!)
その席からもの珍しそうに教室中を見回していた海里は、もう長いこと学校に来ていない。
(ひょっとして、もう来ることはないのかも……)
何気なくそんなことを考えてしまった自分に、ギョッとした。
――海里の我が儘を、なぜ陸兄が許しているのか。
考えてしまうと、あまりにも知りたくない答えに辿り着いてしまいそうで、私は考えること自体を最初から放棄している。
あんなに憧れていた高校生活。
何をおいても優先したいらしい何か。
その両方をやる時間が、海里にはもうないだなんて。
どちらか一つを選ぶしかないだなんて。
――そんなこと、絶対にあって欲しくない。
ガタンと大きな音を鳴らして、一度は座った席から私はまた立ち上がった。
「どうしたの……?」
ゆっくりとふり返った畠田さんに顔を見られないように、急いで歩きだす。
「ちょっと美術室に行ってくる。今描いてる絵……かなり時間がかかりそうなんだ……」
「昼休みも部活……? 熱心だね」
これまでにも時々、美術室で昼休みを過ごしたことがあったため、怪しまれずに済んで良かった。
(このまま本当に美術室まで行っちゃおう……)
急いで廊下を通り、上履きから靴に履き替えて、中庭に出る。
渡り廊下を使えば違う校舎にある美術室にだって、上履きのまま行けないこともなかったが、あえて人のあまりいなさそうなルートを選んだ。
多分自分が酷い顔色をしているだろうってことは、鏡を見て確かめなくってもわかっていた。
(海里……)
考えるとどうしようもなく胸が痛くなるから、考えないようにする。
(海里の容態はあまりよくないのかもなんて……そんなこと、どんなに状況証拠が揃ったって私は信じない! 絶対に信じない!!)
ドスドスドスと足音を響かせて、地面を力いっぱい踏みしめながら歩いていたら、笑い含みに声をかけられた。
「すごい勢いだね……どこ行くの?」
伊坂君だった。
いつもの木蓮の木の下で、数人の男子と談笑しているから、私と約束していない日にも彼はこの場所で昼休みを過ごしているんだと、改めて知る。
「…………美術室」
プイッと顔を逸らしたまま答える私に、彼は余計な詮索はしなかった。
そう。
いつだって伊坂君は、私が触れて欲しくない事柄には、不思議なくらい全く言及しない。
それでいて、コチコチに凝り固まった私の心が、思わずほぐれるような話題を提供してくれる。
「そっか。五十嵐さん美術部だもんね……ねえ、木の絵は描いたりしないの?」
私が花や木の絵を描くことが好きなのを知っていて、わざと尋ねているのかとさえ思った。
それぐらい、私が今仕上げようとしている絵と彼の質問は、ピタリと一致していた。
「描くわ……大好きだもの……」
驚いて思わず足を止めた私に、伊坂君は笑顔を向ける。
おそらく酷いことになっているだろう顔色にも、彼は全く躊躇しない。
「いつかこの木も描いてよ……そして僕に見せて!」
自分が描いた絵をわざわざ人に見せるなんて、普段は好きじゃないのに気がつけば頷いていた。
こっくりと頷いていた。
(なんか不思議な人だな、伊坂君って……)
さっきまでよりはだいぶ落ち着いた足取りで、私は美術室へと急いだ。
油絵の具の匂いと、古い部屋の匂いが入り混じった独特の香りがする薄暗い空間。
私は美術室が大好きだ。
そこは幼い頃に海里と二人で遊んだ、海里の家の最奥の部屋とよく似た雰囲気がある。
もともとは伯母さんが絵を描くためのアトリエだったというその部屋は、伯母さんが亡くなってからは単なる物置と化していたが、海里が絵を描き始めてからは海里のものになった。
大きな椅子にゆったりと腰掛けて、何かを思い出すかのように時々目を閉じながら、キャンバスに向かう海里を眺めているのが好きだった。
だから私は、学校でも海里を美術部に無理やりひっぱりこんだ。
そんなことをぼんやりと思い出していたから、幻を見たのかと思った。
グイッと手の甲で目を擦る。
しかし窓際の席に腰を下ろしているよく見慣れた人物のシルエットは、私の視界から消えてはくれない。
それどころか部屋に入ってきた私に手を上げて、ニッコリ笑って立ち上がった。
「やあ、ひとみちゃん……ちょうどよかった……!」
どう考えても本物らしいその笑顔に、呑気な声に、思わず悲鳴のような叫び声を上げてしまった。
「何やってんのよ、海里! 授業はサボっといて美術室にだけ顔出すんじゃないわよ!
しかも制服じゃないじゃない! どうやってここまで入りこんだのよ!!」
息もつかずに一気に叫んだ私に、一瞬呆気に取られたような顔をしたあと、海里は次の瞬間、お腹を抱えて大笑いを始めた。
「ごめんごめん。急に絵が描きたくなっちゃってさ……でも別に入りこんじゃいないよ……俺だってこの学校の生徒なんだから、普通に校門から入ってきたよ……ははははっ」
ちょっと癖がかった淡い色の髪を揺らして、綺麗な瞳の目尻をほんの少し下げて、大きな口を開けて屈託なく笑うその顔に、目が釘付けになる。
(ああ海里だ……本当に海里だ……)
誰よりも見慣れているはずの人に、見惚れずにいられない私は、やっぱり恋している。
この残酷なくらい鈍感な従兄に、どうしようもなく恋していた。
海里の言葉を借りるならば、
「空があんまり綺麗で、ひさしぶりに絵を描きたくなって、気がついたらここまで来ていた」
のだそうだ。
「あんたね……」
私から無理やり借りたスケッチブックを片手に、窓際の席でもう鉛筆を走らせ始めた海里の姿を見ていると、頭を抱えずにはいられない。
もうずいぶん長いこと、絵を描くのを辞めていたのにどんな心境の変化なのかとか。
なんで自分の家のアトリエじゃなく、学校の美術室に来たのかとか。
尋ねたいことはいくつもあったけれど諦めた。
絵を描くことに集中し始めた海里は、こちらの言うことなんてまるで耳に入らないのだ。
その証拠に、どうやら私が美術室に現われるまで、相手をしてくれていたらしい部長が
「私、先に教室に帰るね」
と一声かけていっても、返事すらしない。
代わりに海里のぶんも頭を下げた私の身にもなって欲しいと、心からそう思った。
たぶん私がいてもいなくても同じだろうと、ちょっと足りなくなった絵の具を取りに隣の美術準備室へ行こうとすると、思いがけず声をかけられる。
「どこ行くの?」
二、三十センチは床から飛び上がって、窓際の席に座る海里をふり返った。
「じゅ、準備室よ! 絵の具取ってくるのよ!」
「ふうん。そう……」
こちらには目も向けず、興味なさそうに返ってきた言葉にムッとした。
(別にどうでもいいんなら、いちいち呼び止めないでよね!)
急いで部屋から出て行こうとしたら、また背中に声がかかる。
「ここに来る前、中庭にいたでしょ……話してた奴、誰? ……ひとみちゃんの彼氏?」
思わずガバッとふり返ってしまった。
海里は相変わらずこちらを見もしないで、視線はスケッチブックに落としている。
なかば閉じているような長い睫毛にドキドキする自分をふり払って、私は大声で叫んだ。
「違うわよっ! 友だち! ……隣のクラスの伊坂君!」
「ふうん。そう……」
(だから、そんな気のない返事をするくらいなら尋ねないで!)
怒りに任せて再び背を向けて、歩きだそうとしたのにできなかった。
私が背を向けるより先に、海里が伏せていた視線を上げて、遠くから真っ直ぐに私の顔を見た。
「俺の知らない間にひとみちゃんに彼氏ができたのかと思って、なんか焦った……そうなったらいいのにってずっと思ってたはずなのに……結構へこむね……あんな顔、他の奴にも見せるんだ……」
まるで冗談にもならないような真面目な顔で、他ならぬこの私にそんなこと言わないで欲しい。
どう受け取ったらいいのか。
悲しんでいいんだか、喜んでいいんだか。
全然わからなくなる。
「な、なによ……それって伊坂君にやきもちでも妬いてんの……?」
もういっそのこと笑い話にしてしまおうと、ひやかすように問いかけたら、真顔のまま頷かれた。
「うん。そうかも」
言ってすぐに、海里が私から目を逸らして再びスケッチブックに向かってくれて、心から良かったと思った。
真っ赤になった顔を見られないように慌てて背を向けて、
「なに言ってんのよ! バカ!!」
と思いっきり叫んで、美術室を飛び出したけれど、その全てが間に合っていたとはとても思えない。
私をからかうのが趣味のような海里に、翻弄されただけなのだろうか。
それともあれは本当に、海里の本音なのだろうか。
(ほんっとにバカ! バカ海里!)
くり返し心の中で叫ばずにはいられない私が、この上なく動揺しきってしまったことだけは確かだった。
「驚いたなぁ……まさかOKしちゃうとは思わなかった……」
以前よりはちょっぴり話す回数の増えた畠田さんは、やっぱり体ごと私をふり返って、大袈裟にため息をついてみせる。
「OKって何が……?」
首を捻る私の肩を、
「またまたぁ」
なんて言いながらバチンと叩く。
「伊坂とつきあってるんでしょ? 一生君とはただの従兄妹同士だなんて、絶対嘘だと思ってたのに……本当だったんだね……じゃあ一生君が学校来てる間に、私も思い切って話しかけてみればよかったなぁ……」
「ちょっと! それってどういう……!」
思わず立ち上がって大声を出しかけてから、慌ててそんな自分にストップをかけた。
『伊坂君とつきあってる』
とか、すぐさま訂正しなければならない箇所だってあったはずなのに、私が過剰反応したのはそんなところにではない。
相変わらず海里のことしか頭にない自分が嫌になる。
「冗談だよ冗談……ほんっとに反応が面白いなぁ……」
コロコロと笑いながら畠田さんが前に向き直ったので、私も椅子に座り直した。
これまでなるべく見ないようにしていたのに、思わず隣の空席に目を向けてしまう。
(バカ! ……それもこれも全部海里のせいだからね……!)
その席からもの珍しそうに教室中を見回していた海里は、もう長いこと学校に来ていない。
(ひょっとして、もう来ることはないのかも……)
何気なくそんなことを考えてしまった自分に、ギョッとした。
――海里の我が儘を、なぜ陸兄が許しているのか。
考えてしまうと、あまりにも知りたくない答えに辿り着いてしまいそうで、私は考えること自体を最初から放棄している。
あんなに憧れていた高校生活。
何をおいても優先したいらしい何か。
その両方をやる時間が、海里にはもうないだなんて。
どちらか一つを選ぶしかないだなんて。
――そんなこと、絶対にあって欲しくない。
ガタンと大きな音を鳴らして、一度は座った席から私はまた立ち上がった。
「どうしたの……?」
ゆっくりとふり返った畠田さんに顔を見られないように、急いで歩きだす。
「ちょっと美術室に行ってくる。今描いてる絵……かなり時間がかかりそうなんだ……」
「昼休みも部活……? 熱心だね」
これまでにも時々、美術室で昼休みを過ごしたことがあったため、怪しまれずに済んで良かった。
(このまま本当に美術室まで行っちゃおう……)
急いで廊下を通り、上履きから靴に履き替えて、中庭に出る。
渡り廊下を使えば違う校舎にある美術室にだって、上履きのまま行けないこともなかったが、あえて人のあまりいなさそうなルートを選んだ。
多分自分が酷い顔色をしているだろうってことは、鏡を見て確かめなくってもわかっていた。
(海里……)
考えるとどうしようもなく胸が痛くなるから、考えないようにする。
(海里の容態はあまりよくないのかもなんて……そんなこと、どんなに状況証拠が揃ったって私は信じない! 絶対に信じない!!)
ドスドスドスと足音を響かせて、地面を力いっぱい踏みしめながら歩いていたら、笑い含みに声をかけられた。
「すごい勢いだね……どこ行くの?」
伊坂君だった。
いつもの木蓮の木の下で、数人の男子と談笑しているから、私と約束していない日にも彼はこの場所で昼休みを過ごしているんだと、改めて知る。
「…………美術室」
プイッと顔を逸らしたまま答える私に、彼は余計な詮索はしなかった。
そう。
いつだって伊坂君は、私が触れて欲しくない事柄には、不思議なくらい全く言及しない。
それでいて、コチコチに凝り固まった私の心が、思わずほぐれるような話題を提供してくれる。
「そっか。五十嵐さん美術部だもんね……ねえ、木の絵は描いたりしないの?」
私が花や木の絵を描くことが好きなのを知っていて、わざと尋ねているのかとさえ思った。
それぐらい、私が今仕上げようとしている絵と彼の質問は、ピタリと一致していた。
「描くわ……大好きだもの……」
驚いて思わず足を止めた私に、伊坂君は笑顔を向ける。
おそらく酷いことになっているだろう顔色にも、彼は全く躊躇しない。
「いつかこの木も描いてよ……そして僕に見せて!」
自分が描いた絵をわざわざ人に見せるなんて、普段は好きじゃないのに気がつけば頷いていた。
こっくりと頷いていた。
(なんか不思議な人だな、伊坂君って……)
さっきまでよりはだいぶ落ち着いた足取りで、私は美術室へと急いだ。
油絵の具の匂いと、古い部屋の匂いが入り混じった独特の香りがする薄暗い空間。
私は美術室が大好きだ。
そこは幼い頃に海里と二人で遊んだ、海里の家の最奥の部屋とよく似た雰囲気がある。
もともとは伯母さんが絵を描くためのアトリエだったというその部屋は、伯母さんが亡くなってからは単なる物置と化していたが、海里が絵を描き始めてからは海里のものになった。
大きな椅子にゆったりと腰掛けて、何かを思い出すかのように時々目を閉じながら、キャンバスに向かう海里を眺めているのが好きだった。
だから私は、学校でも海里を美術部に無理やりひっぱりこんだ。
そんなことをぼんやりと思い出していたから、幻を見たのかと思った。
グイッと手の甲で目を擦る。
しかし窓際の席に腰を下ろしているよく見慣れた人物のシルエットは、私の視界から消えてはくれない。
それどころか部屋に入ってきた私に手を上げて、ニッコリ笑って立ち上がった。
「やあ、ひとみちゃん……ちょうどよかった……!」
どう考えても本物らしいその笑顔に、呑気な声に、思わず悲鳴のような叫び声を上げてしまった。
「何やってんのよ、海里! 授業はサボっといて美術室にだけ顔出すんじゃないわよ!
しかも制服じゃないじゃない! どうやってここまで入りこんだのよ!!」
息もつかずに一気に叫んだ私に、一瞬呆気に取られたような顔をしたあと、海里は次の瞬間、お腹を抱えて大笑いを始めた。
「ごめんごめん。急に絵が描きたくなっちゃってさ……でも別に入りこんじゃいないよ……俺だってこの学校の生徒なんだから、普通に校門から入ってきたよ……ははははっ」
ちょっと癖がかった淡い色の髪を揺らして、綺麗な瞳の目尻をほんの少し下げて、大きな口を開けて屈託なく笑うその顔に、目が釘付けになる。
(ああ海里だ……本当に海里だ……)
誰よりも見慣れているはずの人に、見惚れずにいられない私は、やっぱり恋している。
この残酷なくらい鈍感な従兄に、どうしようもなく恋していた。
海里の言葉を借りるならば、
「空があんまり綺麗で、ひさしぶりに絵を描きたくなって、気がついたらここまで来ていた」
のだそうだ。
「あんたね……」
私から無理やり借りたスケッチブックを片手に、窓際の席でもう鉛筆を走らせ始めた海里の姿を見ていると、頭を抱えずにはいられない。
もうずいぶん長いこと、絵を描くのを辞めていたのにどんな心境の変化なのかとか。
なんで自分の家のアトリエじゃなく、学校の美術室に来たのかとか。
尋ねたいことはいくつもあったけれど諦めた。
絵を描くことに集中し始めた海里は、こちらの言うことなんてまるで耳に入らないのだ。
その証拠に、どうやら私が美術室に現われるまで、相手をしてくれていたらしい部長が
「私、先に教室に帰るね」
と一声かけていっても、返事すらしない。
代わりに海里のぶんも頭を下げた私の身にもなって欲しいと、心からそう思った。
たぶん私がいてもいなくても同じだろうと、ちょっと足りなくなった絵の具を取りに隣の美術準備室へ行こうとすると、思いがけず声をかけられる。
「どこ行くの?」
二、三十センチは床から飛び上がって、窓際の席に座る海里をふり返った。
「じゅ、準備室よ! 絵の具取ってくるのよ!」
「ふうん。そう……」
こちらには目も向けず、興味なさそうに返ってきた言葉にムッとした。
(別にどうでもいいんなら、いちいち呼び止めないでよね!)
急いで部屋から出て行こうとしたら、また背中に声がかかる。
「ここに来る前、中庭にいたでしょ……話してた奴、誰? ……ひとみちゃんの彼氏?」
思わずガバッとふり返ってしまった。
海里は相変わらずこちらを見もしないで、視線はスケッチブックに落としている。
なかば閉じているような長い睫毛にドキドキする自分をふり払って、私は大声で叫んだ。
「違うわよっ! 友だち! ……隣のクラスの伊坂君!」
「ふうん。そう……」
(だから、そんな気のない返事をするくらいなら尋ねないで!)
怒りに任せて再び背を向けて、歩きだそうとしたのにできなかった。
私が背を向けるより先に、海里が伏せていた視線を上げて、遠くから真っ直ぐに私の顔を見た。
「俺の知らない間にひとみちゃんに彼氏ができたのかと思って、なんか焦った……そうなったらいいのにってずっと思ってたはずなのに……結構へこむね……あんな顔、他の奴にも見せるんだ……」
まるで冗談にもならないような真面目な顔で、他ならぬこの私にそんなこと言わないで欲しい。
どう受け取ったらいいのか。
悲しんでいいんだか、喜んでいいんだか。
全然わからなくなる。
「な、なによ……それって伊坂君にやきもちでも妬いてんの……?」
もういっそのこと笑い話にしてしまおうと、ひやかすように問いかけたら、真顔のまま頷かれた。
「うん。そうかも」
言ってすぐに、海里が私から目を逸らして再びスケッチブックに向かってくれて、心から良かったと思った。
真っ赤になった顔を見られないように慌てて背を向けて、
「なに言ってんのよ! バカ!!」
と思いっきり叫んで、美術室を飛び出したけれど、その全てが間に合っていたとはとても思えない。
私をからかうのが趣味のような海里に、翻弄されただけなのだろうか。
それともあれは本当に、海里の本音なのだろうか。
(ほんっとにバカ! バカ海里!)
くり返し心の中で叫ばずにはいられない私が、この上なく動揺しきってしまったことだけは確かだった。