良太は予定よりも早く吉祥寺駅に着いたが、改札口には千鶴と忠之の姿があった。
「士官になって何ヵ月も経っているのに、外泊許可は今日が初めてだな」
「おかげで今日はゆっくりできるんだが、お前は工場を休めるのか」
「今日は休める。今月に入って一度も休んでいないからな」
「それはよかった。お前とも久しぶりにゆっくり話せるな」
「残念だけど、俺は夕方から工場に行かなければならないんだよ。そういう仕事もあるんでな」と忠之が言った。「今夜は夜勤で帰れないけど、遠慮しないで泊まってくれないかな、うまいものを食わせてもらえるはずだから」
 良太は期待した。今夜は千鶴と過ごせそうだ。千鶴に顔をむけると、千鶴は無言のままにほほ笑みを返した。
「それで、お前はいつ帰るんだ、下宿には」
「明日の朝だ。7時頃には帰れると思う」と忠之が言った。
 忠之の下宿につくと、まもなくお茶が運ばれた。
「楽しみにしてろよ」と忠之が言った。「うまい昼飯がでるからな」
 忠之が予告していたように、早めに出された昼食は時勢を思えば豪華であった。
 午後のひとときを、3人は畑道での散策に過ごした。畑のかなたに雑木林が見え、遠くには大きな樹木の森が見られた。家々の庭では木々が葉をひろげて、季節の色に輝いていた。談笑しながら歩いていると、鎌倉を訪ねた日が思い出された。ともすれば感傷的になりがちな気持を、良太は意識して抑えた。
 4時を過ぎた頃、忠之は夜勤のために出かけて行った。
 忠之にすすめられるまま、良太は忠之の下宿に泊まることにした。千鶴と一夜を共にするからには、そのことを千鶴の家族に知らせなければならない。そのための電報をうつために、良太は千鶴とつれだって郵便局に向かった。
 郵便局からの帰りは大きく回り道をして、せまい畑道をそぞろ歩いた。春の日が暮れようとしており、数羽の鳥がかなたの森をめざしていた。
「あした帰る心配するな、という電報を見て、お母さんはずいぶん心配するだろうな。千鶴がどこで何をしているのか判らないんだからな」と良太は言った。
「大丈夫、お母さんにはじょうずに話すから」
 良太は千鶴の横顔を見た。夕日に照らされた横顔を見ていると、千鶴が良太に笑顔をむけた。くったくのないその笑顔を見て、一瞬、良太は悲しくなった。明日になれば俺たちは別れる。それから先の俺たちは二度と会うことがないのに、千鶴はそのことを知らずにほほ笑んでいる。千鶴は今夜のことを、母親にはどのように報告するつもりだろうか。俺が特攻隊員だということを、あの母親はまだ知らないらしい。出撃を前にして俺は千鶴と一夜を共にしようとしている。千鶴が特攻隊員である俺と結ばれたことを知って、あの母親はどんな気持ちになることだろう。千鶴のために祝福してくれるだろうか。
「ほんとに大丈夫よ。お母さん、きっとわかってくださるから」と千鶴が言った。
 良太は千鶴の言葉を耳にして、あの母親は千鶴の気持ちを理解してくれるに違いない、と思った。そうであってほしいと強く願った。
「そうだな、千鶴のお母さんだからな」と良太は言った。
 忠之の下宿に帰ってみると、部屋にはすでに二人分の夕食が運ばれていた。
 昼食よりもさらに豪華な夕食を終えてから、良太と千鶴はすすめられるままに風呂に入った。予想外の成り行きで泊まることになったばかりか、入浴することができた。良太は忠之の取り計らいに深く感謝した。
 良太はその一夜を、千鶴とともにその離れ部屋で過ごした。千鶴が限りなく愛おしかった。愛おしい千鶴は良太の腕の中だった。

 鶏の声が聞こえる。
 誰かが顔に触れている。眼の前に千鶴の顔がある。前夜のことが思いだされた。千鶴が笑顔になった。良太は千鶴の体に腕をまわした。千鶴は裸だ。ふたりとも裸のままで眠っていたのだ。
 良太は千鶴にキスをした。良太は千鶴の舌をもとめた。千鶴が応える。良太はキスをしながら千鶴に身をかさねた。