忠之が面会に訪れてから二日目に、良太は妻が面会に来ているとの報せを受けた。良太はその知らせを聞いて、誰かとの人違いだろうと思った。妻が面会に来たというのであれば、その相手が自分であろうはずがない。けれども次の瞬間、その面会者は千鶴かも知れないと思った。俺が特攻隊員だと知らされて、千鶴はどんな気持でいることだろう。千鶴は居ても立っても居られなくなり、妻と偽って面会に訪れたのではなかろうか。
面会所に近づくにつれ、待っているのは千鶴に違いないという気がしてきた。良太の胸に不安がわいた。心の準備をまったくしていなかった。
やはり千鶴だった。面会室のドアをあけると、椅子から立ちあがろうとしている千鶴の姿が見えた。
千鶴は立ち上がるなり駆け寄ってきて、そのまま良太にしがみついてきた。良太は一瞬ためらってから千鶴を抱きしめた。たとえこのような行為をとがめられようと、それを甘んじて受けよう。今は千鶴の気持に応えなければならない。
「千鶴……よく来てくれたな」
「結婚して、良太さん」と千鶴が言った。
千鶴の低い声には胸をつく響があった。良太は千鶴を抱く腕に力をこめた。
「お願い、良太さん。結婚して」
千鶴は俺と結婚したがっている。俺が生還の望みを捨てた特攻隊員と知っていながら、それどころか、むしろそのことを知ったからこそ、千鶴は結婚したがっているのだ。
「わかったよ、千鶴……千鶴の気持ちはわかるけど、結婚は戦争が終わってからだ。俺は特攻要員に選ばれているけど、出撃するとはかぎらないんだ」
千鶴が良太の胸から顔をはなすと、大きく見ひらいた眼をむけてきた。
「そうなんだ、必ずしも出撃するとはかぎらない。無事に生還できたら結婚しよう」
「友達は結婚したのよ。どうして、いますぐ結婚できないのかしら、私たち」
口にすべき言葉が見つからないまま、良太はふたたび強く千鶴を抱きしめた。どうしたものだろう。千鶴に何を語るべきだろう。
良太は途方にくれたまま、千鶴を椅子に腰かけさせた。良太は千鶴と向き合って腰をおろすと、伝えるべき言葉をさがした。
千鶴にわたしておいた日記を読んでもらおう、と良太は思った。特攻要員だと知られたからには、あの日記を読まれてもかまわない。俺の気持ちをわかってもらうためには、むしろ読んでもらった方が良さそうだ。
「千鶴に渡したあの日記を読んでくれないか。とくに2月の末から後のところを読んでくれたら、俺の気持がわかるはずだ。日記帳の終わりのほうだ」と良太は言った。
千鶴がいぶかしげな表情を見せ、「わかったわ、読ませてもらうわね、あの日記。帰ったらすぐに」と言った。
良太には午後の課業があるため、それから間もなくふたりは面会室をでた。
「つぎの外出はいつかしら。これからも会えるわよね、私たち」
「忠之が三軒茶屋と三鷹の宛先を教えてくれたから、どちらにも電報で報せるよ。いつ頃になるかまだわからないけど」と良太は言った。
面会所を出ると、衛兵が良太に敬礼をした。良太の返礼に合わせるかのように、千鶴が衛兵に向かって「ありがとうございました」と言った。
衛兵が応えた。「お待ちになったかいがありましたね」
衛兵が口にすべき言葉とは思えなかったが、その声が良太にはとても暖かいものに聴こえた。面会室のあの椅子で零戦の爆音を耳にしながら、千鶴はひたすらに俺を待っていたのだ。千鶴はあの爆音に何を思ったことだろう、特攻隊員の命がけの訓練を象徴しているようなあの爆音に。
面会所に近づくにつれ、待っているのは千鶴に違いないという気がしてきた。良太の胸に不安がわいた。心の準備をまったくしていなかった。
やはり千鶴だった。面会室のドアをあけると、椅子から立ちあがろうとしている千鶴の姿が見えた。
千鶴は立ち上がるなり駆け寄ってきて、そのまま良太にしがみついてきた。良太は一瞬ためらってから千鶴を抱きしめた。たとえこのような行為をとがめられようと、それを甘んじて受けよう。今は千鶴の気持に応えなければならない。
「千鶴……よく来てくれたな」
「結婚して、良太さん」と千鶴が言った。
千鶴の低い声には胸をつく響があった。良太は千鶴を抱く腕に力をこめた。
「お願い、良太さん。結婚して」
千鶴は俺と結婚したがっている。俺が生還の望みを捨てた特攻隊員と知っていながら、それどころか、むしろそのことを知ったからこそ、千鶴は結婚したがっているのだ。
「わかったよ、千鶴……千鶴の気持ちはわかるけど、結婚は戦争が終わってからだ。俺は特攻要員に選ばれているけど、出撃するとはかぎらないんだ」
千鶴が良太の胸から顔をはなすと、大きく見ひらいた眼をむけてきた。
「そうなんだ、必ずしも出撃するとはかぎらない。無事に生還できたら結婚しよう」
「友達は結婚したのよ。どうして、いますぐ結婚できないのかしら、私たち」
口にすべき言葉が見つからないまま、良太はふたたび強く千鶴を抱きしめた。どうしたものだろう。千鶴に何を語るべきだろう。
良太は途方にくれたまま、千鶴を椅子に腰かけさせた。良太は千鶴と向き合って腰をおろすと、伝えるべき言葉をさがした。
千鶴にわたしておいた日記を読んでもらおう、と良太は思った。特攻要員だと知られたからには、あの日記を読まれてもかまわない。俺の気持ちをわかってもらうためには、むしろ読んでもらった方が良さそうだ。
「千鶴に渡したあの日記を読んでくれないか。とくに2月の末から後のところを読んでくれたら、俺の気持がわかるはずだ。日記帳の終わりのほうだ」と良太は言った。
千鶴がいぶかしげな表情を見せ、「わかったわ、読ませてもらうわね、あの日記。帰ったらすぐに」と言った。
良太には午後の課業があるため、それから間もなくふたりは面会室をでた。
「つぎの外出はいつかしら。これからも会えるわよね、私たち」
「忠之が三軒茶屋と三鷹の宛先を教えてくれたから、どちらにも電報で報せるよ。いつ頃になるかまだわからないけど」と良太は言った。
面会所を出ると、衛兵が良太に敬礼をした。良太の返礼に合わせるかのように、千鶴が衛兵に向かって「ありがとうございました」と言った。
衛兵が応えた。「お待ちになったかいがありましたね」
衛兵が口にすべき言葉とは思えなかったが、その声が良太にはとても暖かいものに聴こえた。面会室のあの椅子で零戦の爆音を耳にしながら、千鶴はひたすらに俺を待っていたのだ。千鶴はあの爆音に何を思ったことだろう、特攻隊員の命がけの訓練を象徴しているようなあの爆音に。