良太は小学校以来の忠之との思い出を語った。忠之の父親から受けた恩情と忠之の友情に対して、良太は感謝の気持をのべた。早口でしゃべっていると声がふるえた。忠之に涙を見せるわけにはいかない。良太は立ちあがり、庭を見たいと言って部屋を出た。
良太は涙をふいて、廊下の窓から雪が降るさまを眺めた。雪が浅く積もった庭の畑で、のびた麦が緑の列を作っていた。
庭のはずれのサザンカの葉に雪が積もって、出雲の家の冬を思い出させた。出雲は東京よりも雪が多いのだから、あの庭は雪におおわれているのかも知れない。家族の皆は何をしているのだろうか。炬燵を囲んで語り合っているような気がする。
「良太」うしろで忠之の声がした。
「なんだ……どうしたんだ、忠之」
「何かあったな、良太」
「どうしたんだ、いきなり」
「話してくれ。何かあったんだろう」
「なんでもないよ。昔のことを話していたら感傷的になったんだ」
両肩に忠之の手が置かれ、声が聞こえた。「良太、ほんとのことを言ってくれ」
良太は思った。忠之には隠せない。特攻隊のことは誰にも話さないつもりだったが、忠之だけには伝えよう。俺が特攻要員に選ばれていることを、忠之には知っていてほしい。
良太は告げた。特攻要員に選ばれており、そのための訓練を受けていること。出撃の予定ははっきりしていないが、いずれはその日が来るものと覚悟はしていること。
忠之に与えたショックがあまりにも大きく、そのことに良太は不安をおぼえた。忠之を落ち着かせなければならない。このありさまを千鶴に見せてはならない。
「特攻要員に選ばれたからといっても、実際に出撃することになるとは限らないんだ。だから、そんな顔をしないでくれよ。千鶴に見られたら困るじゃないか」
「おれのために千鶴さんにばれそうになったら、うまくごまかすんだぞ。ばれそうになったら、おれが仕事のことで悩んでいることにしよう。わかったな良太」
忠之がすっかり元気を無くしたために、ふたりの会話はぎこちないものになった。
「もうすぐ2時半よ。そろそろお茶にしませんか」と千鶴の声が聞こえた。
良太は部屋の戸をあけて、明るい声で応えた。「ありがとう。もうすぐ降りるよ」
「たいした奴だよな、お前は。よくそんな声がだせるな」と忠之が言った。
それから間もなく、良太は忠之とともに居間に移った。忠之はどうにか落ち着きをとりもどしていたので、千鶴と母親に不審な想いを抱かせずにすんだ。
3時を過ぎてから、良太は千鶴と忠之にともなわれ、雪がちらつく道を上野駅に向かった。良太と忠之は口が重かったけれども、千鶴はむしろ饒舌だった。
上野駅に入りながら千鶴が言った。
「ほんとはね、良太さん、一度はここまでついて来たかったのよ」
「千鶴といるところを仲間に見せつけたくなかったんだが、これからは見送ってもらおうかな、ここまで」
「良太は思いやりが深すぎるんだよ、千鶴さん。どうする、つぎに見送るときは」
「今日ここまで見送ることができたから、この次からはもういいの」と千鶴が言った。
発車の時刻が近づいた。良太はふたりに見送りを謝し、別れの言葉を告げた。
「ありがとうな、それじゃ」
顔を一瞬ゆがめた忠之を笑顔で制し、良太は改札口を通った。
その夜、良太は布袋から2冊のノートをとりだした。千鶴と家族に遺すためのノートはいずれも2冊目だったが、忠之に書き遺すためのノートは、特攻要員に指名されてから用意したものだった。
忠之の表情と声が思い出された。忠之は俺が特攻要員と知ってろうばいし、不安をあらわにして実情を知ろうとした。家族や千鶴が俺の境遇を知ったら、どのような思いを抱き、どんな行動に出ることだろう。俺が特攻隊員として戦死したなら、遺された者たちは悲しみの淵でもがき続けるにちがいない。その悲しみを少しでも癒すための日記だが、訓練が終わると気がゆるみ、安易な言葉をつづることが多くなっている。特攻要員に指名されてから既に十日が過ぎた。来月中には2カ月の訓練期間が終わる。そうなればいつ出撃することになるか予断をゆるさない。うかうかしてはいられないのだ。良太は強い焦燥感におそわれた。
良太は涙をふいて、廊下の窓から雪が降るさまを眺めた。雪が浅く積もった庭の畑で、のびた麦が緑の列を作っていた。
庭のはずれのサザンカの葉に雪が積もって、出雲の家の冬を思い出させた。出雲は東京よりも雪が多いのだから、あの庭は雪におおわれているのかも知れない。家族の皆は何をしているのだろうか。炬燵を囲んで語り合っているような気がする。
「良太」うしろで忠之の声がした。
「なんだ……どうしたんだ、忠之」
「何かあったな、良太」
「どうしたんだ、いきなり」
「話してくれ。何かあったんだろう」
「なんでもないよ。昔のことを話していたら感傷的になったんだ」
両肩に忠之の手が置かれ、声が聞こえた。「良太、ほんとのことを言ってくれ」
良太は思った。忠之には隠せない。特攻隊のことは誰にも話さないつもりだったが、忠之だけには伝えよう。俺が特攻要員に選ばれていることを、忠之には知っていてほしい。
良太は告げた。特攻要員に選ばれており、そのための訓練を受けていること。出撃の予定ははっきりしていないが、いずれはその日が来るものと覚悟はしていること。
忠之に与えたショックがあまりにも大きく、そのことに良太は不安をおぼえた。忠之を落ち着かせなければならない。このありさまを千鶴に見せてはならない。
「特攻要員に選ばれたからといっても、実際に出撃することになるとは限らないんだ。だから、そんな顔をしないでくれよ。千鶴に見られたら困るじゃないか」
「おれのために千鶴さんにばれそうになったら、うまくごまかすんだぞ。ばれそうになったら、おれが仕事のことで悩んでいることにしよう。わかったな良太」
忠之がすっかり元気を無くしたために、ふたりの会話はぎこちないものになった。
「もうすぐ2時半よ。そろそろお茶にしませんか」と千鶴の声が聞こえた。
良太は部屋の戸をあけて、明るい声で応えた。「ありがとう。もうすぐ降りるよ」
「たいした奴だよな、お前は。よくそんな声がだせるな」と忠之が言った。
それから間もなく、良太は忠之とともに居間に移った。忠之はどうにか落ち着きをとりもどしていたので、千鶴と母親に不審な想いを抱かせずにすんだ。
3時を過ぎてから、良太は千鶴と忠之にともなわれ、雪がちらつく道を上野駅に向かった。良太と忠之は口が重かったけれども、千鶴はむしろ饒舌だった。
上野駅に入りながら千鶴が言った。
「ほんとはね、良太さん、一度はここまでついて来たかったのよ」
「千鶴といるところを仲間に見せつけたくなかったんだが、これからは見送ってもらおうかな、ここまで」
「良太は思いやりが深すぎるんだよ、千鶴さん。どうする、つぎに見送るときは」
「今日ここまで見送ることができたから、この次からはもういいの」と千鶴が言った。
発車の時刻が近づいた。良太はふたりに見送りを謝し、別れの言葉を告げた。
「ありがとうな、それじゃ」
顔を一瞬ゆがめた忠之を笑顔で制し、良太は改札口を通った。
その夜、良太は布袋から2冊のノートをとりだした。千鶴と家族に遺すためのノートはいずれも2冊目だったが、忠之に書き遺すためのノートは、特攻要員に指名されてから用意したものだった。
忠之の表情と声が思い出された。忠之は俺が特攻要員と知ってろうばいし、不安をあらわにして実情を知ろうとした。家族や千鶴が俺の境遇を知ったら、どのような思いを抱き、どんな行動に出ることだろう。俺が特攻隊員として戦死したなら、遺された者たちは悲しみの淵でもがき続けるにちがいない。その悲しみを少しでも癒すための日記だが、訓練が終わると気がゆるみ、安易な言葉をつづることが多くなっている。特攻要員に指名されてから既に十日が過ぎた。来月中には2カ月の訓練期間が終わる。そうなればいつ出撃することになるか予断をゆるさない。うかうかしてはいられないのだ。良太は強い焦燥感におそわれた。