昭和19年の元日、海兵団の食事はふだんより豪華で、はじめて白米の飯がだされた。元日であろうと規律にしばられてはいたが、時間的にはゆとりがあった。
 良太は幾枚かの賀状を書きおえてから、千鶴宛にもう一枚の賀状を書くことにした。
 良太はハガキの文面に机を描き、窓とカーテンの絵をそえて、千鶴の机らしい情景を表した。パイナップルを載せた皿をふたつ描き加えると、夏の日のあの書斎を思い出させる絵になった。
 良太は鉛筆でかいた下絵を万年筆でしあげてから、絵の上部に〈謹賀新年〉と記し、下には〈いつも心の中でチーヅとパイナップルを食っている〉と書きそえた。
 書きおえた賀状をながめ、良太は思わずほほえんだ。これを見て検閲官はどんな顔をするだろう。こんな賀状では発信不許可とされるかも知れないが、首をかしげながらも検閲済の印鑑を押してくれそうな気もする。このハガキが無事に千鶴にとどいたら、千鶴を大いに喜ばせるはずだ。検閲の通過を願いながら、良太はハガキに宛名を書いた。
 良太はノートをとりだして年頭の所感を書いた。
〈………数カ月前には予想もしなかった場所と環境で新年を迎えた。徴集兵として新兵教育を受ける身となったが、我々学徒出陣者は一般の新兵よりも恵まれた状況に置かれているらしい。
 子供の頃から空を飛びたいとの願望はあったが、自分で飛行機を操縦することは夢想だにしなかった。そのような自分に操縦員としての素質ありとの判定がくだされ、飛行機乗への道が開かれようとしている。先行き全く不透明、運は天に預けるしかない。
 周りを眺めてみれば、誰もが眼前のことにのみ関心を抱いているように見える。命令に従って行動する日々を過ごし、規律にしばられた生活をなすうちに、向上心が低下したということではないか。俺自身も読書に対する意欲の減退を覚える。これからは意識して積極的に本を読むとしよう。〉
「何を書いてるんだ、森山」
 聞こえた声に良太は肝を冷やした。日記を教班長などに見られては、困った事態にもなりかねない。声の主は同じ班の園山だった。
「元日だから日記を今のうちに書いてるんだ」
「貴様も娑婆気が抜けないようだな。俺の声にびくつくようじゃ、教班長や分隊長に見られたら困ることでも書いてるんだろう」
「やましいことは書いていない」
「心配するな。俺の見るところでは、貴様と俺は同類だよ」と園山は言った。「簡単に娑婆気が抜ける奴より、俺は貴様みたいな奴を信用するよ。うまくやろうぜ同類」
「俺も貴様を信用してるぞ、娑婆気の抜けない貴様をな」と良太は言った。
 園山はたむろしている仲間の方へ歩いていった。良太は園山を見送りながら、貴様と呼びあう海軍のしきたりに、俺もどうやら慣れてきたと思った。
 良太はいったん閉じたノートをふたたび開き、所感をしめくくる文字をつづった。
〈年頭に願うは戦争の終決。日本人として日本の勝利を強く願いながらも、戦争の早急なる終決を念願せずにはいられない。それが最善の方途と信ずるゆえに。〉

 良太たちは悪天候であろうとカッターボートを漕がされ、雪解け水の練兵場を走らされた。その合間には精神訓話や戦訓を聞かされ、戦局がいかに厳しいかを思い知らされた。ガダルカナル戦の悲惨極まりなかった実態を聞かされた良太は、戦争の先行がすでに絶望的な状況にあるのだと思った。消耗する一方の日本の航空戦力に対して、アメリカは質と量に勝る状況で航空機を投入しており、戦力の格差は大きく拡がりつつあった。国民には隠されている実態が、新兵である自分たちに知らされることが、良太には意外に思われた。
 1月15日の面会日には両親が訪ねてくれた。時間に追われながらではあったが、嬉しい歓談のひとときを持つことができた。母が心を尽くして作ってくれた食物を口にしながら、互いの近況などを語り合っているうちに、あたえられた時間はあっけなく過ぎたが、面会は良太に大きな満足感を残した。
 新兵教育が終った1月25日、海兵団での修了式に先だって、予備学生採用試験の結果が発表された。試験を受けた12月の時点で、良太は士官への道を諦めていたけれども、飛行科の予備学生に採用されることになり、そのための基礎訓練を、茨城県の土浦航空隊で受けることになった。