千鶴は良太におおいかぶさるようにして、白い布に赤い糸を縫いつけた。
 針やハサミを裁縫箱におさめた千鶴が、「できたわよ、良太さんの千人針」と言いながら、千人針の布のうえから良太をなでた。
「ありがとうな千鶴。この千人針があれば、俺の無事生還はまちがいなしだ」
「神様に祈りながら縫ったのよ、どうか良太さんをお守りくださいって。かならず元気でかえってきてね」
 千鶴のふるえる声にひかれて身をおこすと、いきなり千鶴が抱きついてきた。良太は千鶴にキスをした。千鶴がいとおしかった。良太は千鶴の舌をもとめた。千鶴がこたえる。千鶴の舌がからみついてくる。千鶴がしがみついている。俺の千鶴。いとおしい千鶴。
 千鶴にしっかり抱きしめられとき、いきなり良太を衝動がおそった。その力にけしかけられるまま、良太は千鶴のスカートに手をかけた。
 耳元で声がした。「こわい、良太さん。こわい」
 良太は我に返った。千鶴がぼうぜんとした眼をむけている。良太はあわてて千鶴の体から手をひいた。
 良太は言葉を失ったまま、千鶴の頭を両手でつつんだ。
「ごめんな、千鶴」と良太は言った。「ごめんな、驚かせて」
「びっくりしただけなの」と千鶴が言った。「私はいいから」
 千鶴の穏やかな声にほっとしながら、良太は千鶴の頭をなでた。
「私はいいの」と千鶴が低い声で言った。
 良太は酔った頭で考えた。いまの言葉はどういう意味だろう。
 千鶴の声が聞こえた。「さっきはごめんなさい。ほんとに、私はあのままでいいの」
 その言葉が意味するものを、良太はようやくにして理解した。
 良太は千鶴をしっかり抱きしめた。
「友達が学徒出陣するひとと結婚したんだもの、私たちだって結婚できると思うけど」
「できなくはないけど」と良太は答えた。「戦争が終わってからのほうがいいよ。楽しみにとっておこうよな、千鶴」
 千鶴は無言のまま、良太の頭を両手で包むようにした。
 千鶴に髪を撫でられながら、良太は千鶴の胸に顔をうずめた。深く酔っているためなのか、求めても千鶴の匂いはわからなかった。

 筆無精のために欠礼しがちだったことを反省しつつ、良太は親戚や友人たちに手紙を書いた。そんな良太のために千鶴がお茶や菓子をはこんだ。千鶴は少しでも長く良太のそばで過ごせるようにと、木曜日から学校と勤労動員を休んでいた。
 ふたりは良太の部屋で語り合い、そしてキスを交わした。そのたびにあの妄想の世界へと引きこまれそうになりながらも、良太はどうにか踏み留まっていた。良太は自らに言って聞かせた。千鶴の将来に責任を負うことができない以上、たとえ千鶴がそれを望んでいても、俺は耐えなければならない。