火曜日に良太は父親からの手紙をうけとった。海軍への入団が決まったことはすでに電報で報されていたが、その日の手紙によって入団までの詳細な日程がわかった。良太は12月9日に舞鶴海兵団へ出頭することになった。残されている日数はひと月だった。
その夜、良太が書斎に入ると、千鶴の横にはすでに椅子がならべてあった。
「千鶴、日曜日の行き先、良さそうな場所があったよ」と良太は言った。
良太は千鶴の横に腰をおろすと、千恵から借りた地図をひらいた。
良太が選んだのは霞ケ浦だった。故郷に似ていそうな田園地帯で一日をすごせば、千鶴にも喜んでもらえるだろうとの期待があった。
「霞ヶ浦に行ったことはないけど、俺の故郷に良く似ていそうな気がするんだ。田圃が遠くまで拡がっていて、その先には広い湖があるんだよ」
「良太さんの故郷にはとても興味があるし、すぐにも行ってみたいけど」
千鶴の沈んだ声に良太は不安をおぼえた。
「どうしたんだ、千鶴。霞ケ浦には興味がないのか」
「霞ヶ浦の景色がどんなに良太さんの故郷に似ていても、景色を眺めて良太さんの故郷を想像するだけだったら、私はなんだか悲しくなりそうな気がするけど」
千鶴の言う通りだ、と良太は思った。俺はなんと浅はかな知恵を働かせたことだろう。
「わるかったな千鶴。千鶴の言う通りだ。もっといい所をさがそう」と良太は言った。
「出雲に行くのはずっと先になるかも知れないけど、それでもいいの、楽しみにして待っているから」
「わかった。戦争が終わったら、約束通りにつれて行く」
千鶴が机の上から地図をとり、東京市の部分を開いて、本郷の位置を指しながら言った。「ここが私の故郷。東京市から東京都に名前が変わったから、ここは東京都の本郷」
良太は黙って千鶴がつづけるのを待った。
「どうかしら、今度の日曜日には、私の故郷を良太さんに見てもらうというのは」
「千鶴の故郷を見るって、本郷を見物して歩こうというのか」
「良太さんは見てみたいと思わない?、私が生まれて育ったところ」
「もちろん興味はあるんだけど……」
良太が言葉を探していると千鶴が言った。「見てもらいたいものがいっぱいあるの。私が通っていた幼稚園や小学校。私がけがをした小学校のぶらんこ。亡くなったお父さんに連れていってもらった植物園もあるし。案外あるでしょ、いろいろと」
いきなり良太は強く思った。千鶴の人生にまつわるものを見てみたい。
良太は千鶴を抱きよせて、「そうだよ、千鶴、見たいよ、そういうのを。ぜひ見せて欲しいな、千鶴の故郷を」と言った。
「それからね、良太さん」千鶴の声がはずんだ。「私の故郷にあるのに、私がほとんど知らない所があるのよ。どこだと思います?」
「そう言われても見当がつかんよ。俺は東京のことをろくに知らないからな」
「私よりもずっと良太さんが知ってる所、さてどこでしょう」
「帝大のことか?」
「あたりました」と千鶴が言った。「帝大は近いから友達と構内を歩いたことは何度もあるけど、歩いただけって感じなの。どこにどんな建物があるのか知っているけど、それが何をするための建物か分からないのよね、そんなこと当たり前だけど」
「わかったよ、千鶴。帝大の中を案内してやる。明日でもいいよ」
「だったら、日曜日にしない?お弁当を持って。私の故郷を良太さんにゆっくり見てもらえるし、ついでに良太さんに帝大を案内してもらえるから」
「じゃあ、そういうことにしよう。よかったよ、千鶴がこんなにいい考を出してくれて。ごめんな、千鶴の気持を考えないで霞ヶ浦なんかを選んで」
「ほんとはね、私はもっとわるいの。だってね、今まで何も考えないでいて、この考を思いついたのは、たった今なんだもの」
「もしかしたら神様のお陰かも知れないぞ。我が愛する千鶴よ、汝に良き知恵を授ける。それで突然に千鶴は思いつく」
「神様だなんて」千鶴が笑顔をむけた。「神様に愛される資格があるのかしら、私に」
「世界で一番愛されているのが千鶴で、二番目は俺だよ。その証拠に、俺たちはこんなふうになれたじゃないか」
良太が千鶴の唇に中指でふれると、千鶴はその指をかるくくわえた。
その夜、良太が書斎に入ると、千鶴の横にはすでに椅子がならべてあった。
「千鶴、日曜日の行き先、良さそうな場所があったよ」と良太は言った。
良太は千鶴の横に腰をおろすと、千恵から借りた地図をひらいた。
良太が選んだのは霞ケ浦だった。故郷に似ていそうな田園地帯で一日をすごせば、千鶴にも喜んでもらえるだろうとの期待があった。
「霞ヶ浦に行ったことはないけど、俺の故郷に良く似ていそうな気がするんだ。田圃が遠くまで拡がっていて、その先には広い湖があるんだよ」
「良太さんの故郷にはとても興味があるし、すぐにも行ってみたいけど」
千鶴の沈んだ声に良太は不安をおぼえた。
「どうしたんだ、千鶴。霞ケ浦には興味がないのか」
「霞ヶ浦の景色がどんなに良太さんの故郷に似ていても、景色を眺めて良太さんの故郷を想像するだけだったら、私はなんだか悲しくなりそうな気がするけど」
千鶴の言う通りだ、と良太は思った。俺はなんと浅はかな知恵を働かせたことだろう。
「わるかったな千鶴。千鶴の言う通りだ。もっといい所をさがそう」と良太は言った。
「出雲に行くのはずっと先になるかも知れないけど、それでもいいの、楽しみにして待っているから」
「わかった。戦争が終わったら、約束通りにつれて行く」
千鶴が机の上から地図をとり、東京市の部分を開いて、本郷の位置を指しながら言った。「ここが私の故郷。東京市から東京都に名前が変わったから、ここは東京都の本郷」
良太は黙って千鶴がつづけるのを待った。
「どうかしら、今度の日曜日には、私の故郷を良太さんに見てもらうというのは」
「千鶴の故郷を見るって、本郷を見物して歩こうというのか」
「良太さんは見てみたいと思わない?、私が生まれて育ったところ」
「もちろん興味はあるんだけど……」
良太が言葉を探していると千鶴が言った。「見てもらいたいものがいっぱいあるの。私が通っていた幼稚園や小学校。私がけがをした小学校のぶらんこ。亡くなったお父さんに連れていってもらった植物園もあるし。案外あるでしょ、いろいろと」
いきなり良太は強く思った。千鶴の人生にまつわるものを見てみたい。
良太は千鶴を抱きよせて、「そうだよ、千鶴、見たいよ、そういうのを。ぜひ見せて欲しいな、千鶴の故郷を」と言った。
「それからね、良太さん」千鶴の声がはずんだ。「私の故郷にあるのに、私がほとんど知らない所があるのよ。どこだと思います?」
「そう言われても見当がつかんよ。俺は東京のことをろくに知らないからな」
「私よりもずっと良太さんが知ってる所、さてどこでしょう」
「帝大のことか?」
「あたりました」と千鶴が言った。「帝大は近いから友達と構内を歩いたことは何度もあるけど、歩いただけって感じなの。どこにどんな建物があるのか知っているけど、それが何をするための建物か分からないのよね、そんなこと当たり前だけど」
「わかったよ、千鶴。帝大の中を案内してやる。明日でもいいよ」
「だったら、日曜日にしない?お弁当を持って。私の故郷を良太さんにゆっくり見てもらえるし、ついでに良太さんに帝大を案内してもらえるから」
「じゃあ、そういうことにしよう。よかったよ、千鶴がこんなにいい考を出してくれて。ごめんな、千鶴の気持を考えないで霞ヶ浦なんかを選んで」
「ほんとはね、私はもっとわるいの。だってね、今まで何も考えないでいて、この考を思いついたのは、たった今なんだもの」
「もしかしたら神様のお陰かも知れないぞ。我が愛する千鶴よ、汝に良き知恵を授ける。それで突然に千鶴は思いつく」
「神様だなんて」千鶴が笑顔をむけた。「神様に愛される資格があるのかしら、私に」
「世界で一番愛されているのが千鶴で、二番目は俺だよ。その証拠に、俺たちはこんなふうになれたじゃないか」
良太が千鶴の唇に中指でふれると、千鶴はその指をかるくくわえた。