【改稿版】ハージェント家の天使

「いつか、マキウス様が育った地方の男爵家にも行ってみたいです」
「地方だけあって、自然に囲まれただけの何も無い場所ですよ?」
「それがいいんです! ここも、今の屋敷も、自然が少ないですから。たまには緑豊かな自然の力を感じて、癒されたいです!」

 マキウスは目を見開いたが、すぐに笑みに変えた。

「では、落ち着いたら、ニコラも連れて一緒に行きましょう。母上の墓前に報告もしたいですし、祖父の代から世話になっている屋敷の者たちにも、自慢の妻と娘を会わせたいです」
「はい! その時を楽しみにしていますね!」

 モニカはテーブル脇にあった白い布の埃除けを捲ると、中からは草で編まれた籠が出てきた。
 籠の中からよく磨かれたナイフとフォークを取り出すと、マキウスに渡したのだった。

「さあ、冷めない内に食べましょう!」
 
 このお店のパンケーキは、リコッタチーズが売りのフワフワ生地の二段パンケーキだった。
 パンケーキの上には、たっぷりの生クリームと、いちごやベリーなどのフルーツが皿から溢れんばかりに乗せられて、彩りを豊かにしていた。
 仕上げに、たっぷりの蜂蜜とベリーソースがパンケーキ全体にかけられており、食欲を唆る甘い香りが周囲を満たしていたのだった。

「うん。前と変わらず美味しいです……って、これも、以前私が食べた味を再現しているんでしたね」

 モニカはパンケーキを切り分けると、生クリームやベリーソース、蜂蜜をつけて、上にフルーツを乗せて食べていた。

 最後にこのお店のパンケーキを食べたのは、御國が階段から転落する数か月程前の春先だった。
 あの時は春先だったこともあり、注目した季節のパンケーキは、イチゴとベリー、生クリームがたっぷり乗った春限定のパンケーキだった。

 学生時代の友人と一緒にパンケーキを食べながら、お互いのことや周囲のことなどたくさん話した。
 その時に、友人が仕事先で知り合った人と恋人関係になったと聞かされて、モニカは祝福したものだった。
 友人は恋人と上手くやっているだろうか。
 もう会うことは叶わないが、幸せになって欲しいと願っている。

 しんみりした気持ちになって、ふとマキウスを見ると、まだ一口も食べておらず、ナイフとフォークを持ったまま固まっていたのだった。

「あれ? 食べないんですか?
 マキウス様は甘いものがお好きだと思っていましたが……?」

 その言葉に、一瞬、マキウスは驚いた顔をすると、やがて困ったように形の良い眉を顰めたのだった。

「モニカ……。この食べ物は何ですか?」
「何って、パンケーキですが……?」
「もしかして、先程からこの店の中を漂っている甘い匂いの正体は、このパンケーキ……ですか?」
「そうですね……。パンケーキの焼ける匂いと、蜂蜜の甘い香りなので……」

 そこまで答えて、モニカは「あっ!」と、気づいたのだった。

「もしかして、あっちの世界にパンケーキは無いんですか?」

 モニカの問いに、マキウスは静かに頷いたのだった。
 
 言われてみれば、これまであっちの世界で食事やおやつにパンケーキが出てきたことは無かった。

 御國だった頃に住んでいた世界と、マキウスと住んでいる世界は、食文化がかなり似ている。
 名称がたまに違うことはあるが、ほとんどは洋食であった。
 それもあり、パンケーキ自体はあっちの世界にも存在していて、ただ何らかの理由があって、食事に出てこないだけだと思っていた。ところが、そもそもパンケーキ自体が存在していなかったらしい。
 もしかしたら、パンケーキのように、他にも存在していない料理があるのかもしれない。

「じゃあ、せっかくなので食べてみて下さい! 美味しいですよ!」

 パンケーキはかつてモニカが最後に食べた時と同じ見た目だけではなく、味も最後に食べた時と同じ味が再現出来ていた。
 ただ、マキウスと同じ視覚や嗅覚を共有出来ても、味覚まで共有出来るかはわからない。

 それでも、マキウスにも味わって欲しかった。
 モニカがこれまで、どういう世界で生きてきて、どんなものを見聞きして、どんなものを味わってきたかを。

「パンケーキはリコッタチーズを使っているだけあってフワフワですし、生クリームもほどよい甘さです!
 いちごとベリー甘酸っぱさは、パンケーキを甘くさせすぎず、飽きさせませんし、ベリーソースや蜂蜜も美味しいです!」
「そ、そうですか……。そこまでおっしゃるなら、モニカの言葉に甘えていただきます」

 マキウスはモニカの見様見真似で、パンケーキを切り分けると、生クリーム、ベリーソース、蜂蜜をつけると、いちごを一切れ乗せて、口に入れたのだった。

「ど、どうですか……?」

 恐る恐る聞くと、ゆっくり咀嚼していたマキウスは、やがて目を輝かせたのだった。

「これまで、この様な美味なるものを食べたことはありません。貴女の世界には、こんな美味なものがあるんですね……!」
「他にもまだまだありますよ。もっと美味しいものや甘いもの。いつかマキウス様にも食べていただきたいです」

 ふと、マキウスはフォークとナイフを止めると、疑うようにモニカを見つめた。

「ところで、何故、私が甘いものが好きなのを知っているんですか?」
「知っているといいますか……。いつも紅茶を飲む時、砂糖を大量に入れているので、てっきり甘いものがお好きなんだと思っていました」

 初めてヴィオーラが屋敷に来た日もそうだったが、いつもマキウスは紅茶を飲む時、最初の一口目だけはそのまま飲み、二口目以降は大量の砂糖を紅茶に入れて、甘くして飲んでいた。
 マキウスの姉のヴィオーラも、同じ様に最初の一口目だけはそのまま飲み、二口目以降は大量のミルクを入れて飲んでいた。

 姉弟だからというのもあるが、それにしてもマキウスは紅茶に溶け切れないくらいに砂糖を入れ、ヴィオーラはカップから溢れそうになるくらいミルクを入れるので、最初に見た時は驚いたものだった。

「最初の一口だけはそのまま飲んで、それからお砂糖を入れますよね。ストレートティーを飲んでいるところは、見たことないような……?」
「そ、それは……」

 マキウスは顔を赤らめると、視線を逸らした。
 何気なく視線の先を追いかけると、数人の女性たちがモニカたちと同じ様にパンケーキを食べながら、話の花を咲かせていたのだった。
「モニカが住んでいたという世界の紅茶を飲んで驚きました。この世界の紅茶は、苦味が少ないので……」
「苦味……ああ!」

 マキウスたちの世界の紅茶は、そのまま飲めなくはないが、甜茶の様な苦味があり、後味も苦いので、好みが分かれる味をしていた。
 おそらく、紅茶を淹れる際に使用する水の種類が、モニカの住む世界と違うのではないかと思う。
 今でこそモニカも慣れたが、初めて飲んだ時は苦くて驚いたものだった。

「確かに、マキウス様の世界の紅茶は、そのまま飲むには少し苦いですよね」
「ええ。私も姉上も子供の頃から紅茶の苦味が苦手で、いつも果物を絞った果汁ばかり飲んでいました。
 ですが、母上やペルラから、好き嫌いはいけないと言われて、砂糖やミルクを入れて飲んだものです」

 マキウスたちの世界にも、果物を絞ったジュースの様なものはあるが、歳を重ねるにつれて、貴族のお茶会に参加するようになると、さすがに毎回ジュースを飲むわけにはいかず、砂糖やミルクを入れて苦味を少なくして紅茶を飲んでいたらしい。

「貴族も大変なんですね……。最初の一口だけ何も入れずに、そのまま紅茶を飲むのも、お母様やペルラさんの教えですか?」
「ええ。私も姉上も、苦味が嫌なあまり大量の砂糖とミルクを入れていました。
 そんな飲み方をしたら、紅茶を淹れた者や茶葉の生産者に失礼だろうと教えられました。
 以来、最初の一口だけは、何も入れずに紅茶本来の味を味わうことに決めたのです」
「そんな理由だったんですね」

 マキウスだけではなくヴィオーラも、最初の一口目だけはそのまま飲んでいたが、まさかそんな理由があったとは思わなかった。
 モニカもその日の気分次第では、砂糖やミルクを入れていたが、今度からは紅茶を淹れた者や生産者を慮って飲む様にしようと、密かに決めたのだった。

「苦いのが嫌なのはわかりました。でも、さすがにお砂糖を入れすぎです。今も溶けずに残っています」
「こ、これは、その……」
「私はマキウス様のお身体が心配なんです。砂糖の取り過ぎでお身体を壊されたら、どうするんですか?」

 マキウスの紅茶には、溶けずに残った砂糖がカップの中で小さな山を作っていた。
 モニカが指摘すると、マキウスは恥ずかしそうにしながらも、訥々(とつとつ)と話し出したのだった。
「これは……その……モニカの言う通り、甘味が好きというのもあって……」
「甘いものが好きでも限度というものがあります。
 それに、お砂糖を沢山いれる方法以外にも、砂糖と一緒に少しだけ塩を入れてみるとか、果物のジャムを入れてみるとか、果物や花を浮かべてみるとか、色んな工夫が出来るはずです」
「果物や花を浮かべる飲み方は、貴族の女性を中心に人気の飲み方なので知っていますが……。ジャムや塩を入れるんですか?」
「私が住んでいた国ではありませんが、紅茶にジャムを入れて飲んでいる国もあるそうです。実際は、紅茶と一緒にジャムを舐めるのが正しいとも言われていますが……。
 私も試したことがありますが、紅茶とジャムの甘さが非常に合っていて、美味しかったです」

 御國だった頃、紅茶にジャムを入れて飲む国があると聞いたが、一説によると、紅茶にジャムを入れるのではなく、紅茶と一緒にジャムを舐めるのが正しいとも言われていた。
 ジャムなら、マキウスの世界にもあり、よく食卓にも出てくるので、広く流通しているのだろうと思った。

「それなら、塩も他国での飲み方なんですか?」
「いいえ。塩は砂糖の甘さを引き立てる効果があるそうです。砂糖と反対の味である塩を同時に摂取すると、脳が錯覚を起こして、甘みが増したように感じるって聞いたことがあります。それを味の相乗効果って言うような……」

 御國だった頃もあまり料理をしなかったのでそこまで詳しくないが、砂糖と一緒にひとつまみの塩を加えることで、脳が錯覚を起こして、甘さが増したように感じるらしい。
 俗に言う、「かくし味」も、この脳が錯覚を起こしたことによる効果だと聞いたことがあった。

「砂糖を入れる以外にも、様々な飲み方があるんですね。今度、試してみます」
「そもそも、あの国に果物や花を浮かべる飲み方があるなら、それをやった方がいいと思います。
 お砂糖を大量に入れるよりは、まだ良いです」
「それは……」
「それとも、入れられない事情でもあるんですか。女性しかやってはいけない飲み方とか」

 モニカが問い詰めると、やがてマキウスは諦めた様に頬を赤く染めて話し出したのだった。

「女性の前では格好をつけたいから、砂糖だけ入れて紅茶を飲んでいたんです。……特に好きな女性の前では」

 納得しかけて紅茶に口をつけたモニカだったが、けれどもふと気付くと、カップを置きながら「好きな人の前?」と繰り返した。

「マキウス様の好きな人ですか?」
「……貴女のことです。モニカ」

 呆れ気味なマキウスがため息を吐くと、自分の頬が赤くなっていくのを感じた。

「私のことだったんですね……」
「貴女以外、好きな女性はいません」
「そうですか……」
「無論、まだ赤子とはいえ、女性であるニコラも好きです。ですが、一人の女性として愛しているのは貴女だけですーーモニカ」

 熱烈なマキウスの言葉に、モニカは耳まで真っ赤になる。

「あ、ありがとうございます。嬉しいです……」

 そして、マキウスから目を逸らすと、残っていたパンケーキを食べたのだった。

 御國の時に食べたパンケーキを再現したはずなのに、何故か前に食べた時よりも甘く、あの時よりも美味しく感じられたのだった。
「そろそろ、お店を出ますか?」
「そうですね。モニカはもういいんですか?」
「はい。私は大丈夫です」

 パンケーキを食べ、一息ついた二人は、帰り支度を始めた。
 モニカはテーブルに置かれたままになっていたクリップで止められた伝票を手に取ると、鞄を開けて財布を取り出したのだった。

「じゃあ、私が支払いますね」

 一応、パンケーキを注文する前に財布の中身を確認しているが、財布には二人分は余裕で支払える金額が入っていた。
 夢の中なら、支払いをする必要は無さそうだが、なんとなく良心が耐えられそうになかった。
 伝票を開いて値段を確認すると、マキウスが伝票を取ろうとした。

「貴女に支払いをさせるわけにはいきません。ここは私が支払います」
「でも、マキウス様。この世界のお金を持っているんですか?」

 モニカの言葉に、マキウスは「うっ」と言葉に詰まった。
 モニカは鞄を開けた時に、財布とお金が入っている事を確認したが、見たところマキウスは鞄を持っていなかった。

「ここは私が支払います。いつもお世話になっているんですから、夢の中ぐらいは支払わせて下さい」
「……わかりました。お願いします」

 二人揃って席を立ち、レジで会計を済ませると、にこやかな笑みを浮かべた店員に見送られて、店を後にしたのだった。

「次はどこに行きますか?」
「その前に……待って下さい。モニカ」

 先に行こうとしたモニカは、マキウスに呼び止められて振り返る。
 振り向くと、マキウスがゆっくり近づいて来たのだった。

「先程の様に、誰かにぶつかったら危険です。私のすぐ隣にいて下さい」

 振り返ったモニカの手を、マキウスの手が取った。
 そうして、そのまま握ったのだった。

「マキウス様?」
「たまには、こうして歩くのも悪くありませんよね?」
「そうですが……」
「嫌ですか?」

 マキウスが困ったような顔をしたので、モニカはぶんぶんと首を振ったのだった。

「嫌ではありませんが、その……恥ずかしくて……」
「恥ずかしい? これまでも何度かエスコートしてきましたが」
「そ、そうですが……でも、夢の中でも知り合いがいるかもしれませんし、見られたらと思うと……」
「夢の中ならいいでしょう。このまま行きましょう」
「え……。でも……」

 そんな躊躇うモニカの言葉は聞き入れず、マキウスは歩き出す。
 モニカは赤面した顔を伏せると、マキウスに続いたのだった。
 物珍しそうにアーケードを見渡し、時折「あれはなんですか?」と質問するマキウスと、その疑問に答えるように説明していたモニカだったが、とあるお店の前まで来ると、モニカは立ち止まったのだった。

「マキウス様、ここは私の行き着けのアクセサリー屋なんです」

 モニカが立ち止まったのは、アーケードの中程にある十字路の角のお店であった。
 アクセサリー屋らしく、入り口にはネックレスやブレスレット、指輪が飾らせていた。
 入り口から四段ほどの階段を降りると、一階はパワーストーンのアクセサリーコーナー、二階は宝石のコーナーとなっていたのだった。

 二人が店内に入ると、他に客はいないようだった。
 モニカはマキウスを連れて、迷わず一階のパワーストーンのコーナーに向かったのだった。

「これは、宝石ですか?」

 マキウスは掌よりも二回り小さな透明の石を手に取ると、店内の照明に透かせながら呟いた。

「宝石ですが、ただの宝石とは違うと思いますよ。パワーストーンなので」
「パワーストーン?」
「宝石の中でも特別な力を持っているものをパワーストーンというらしいです。
 癒しの力や恋を叶える力を持った石、仕事や運気が良くなる石が有名ですね」

 モニカは答えながら、棚に陳列されたパワーストーンに視線を移した。
 木の香りが漂う木製の店内、明るすぎない照明の下には、桜の様な桃色やレモンの様な黄色の他に、赤色、水色、白色、紫色、黒色など、様々な色のパワーストーンが並べられていた。
 その中央には、パワーストーンのピアスやイヤリング、ネックレスが売られていたのだった。

「どれも素敵ですよね。欲しくなります。
 このネックレスなんて、マキウス様の瞳と同じ色ですね」

 モニカが薄紫色の小指の爪より小さなアメシストがはまったネックレスを眺めていると、「そういえば」とマキウスは思い出したようだった。

「そういえば、モニカにはまだ結婚指輪を渡していませんでしたね」
「結婚指輪って……。魔法石の指輪のことでは無いんですか? その前にも、高そうな赤い宝石の指輪を貰っていますし……」

 正体がバレるきっかけとなった赤い宝石の指輪は、今はモニカの部屋の鏡台の引き出しの中に大切に仕舞われていた。
 貰った直後は首から下げていたが、ニコラに触れる時に魔法石の指輪を首からかけるようになった時、落としてしまいそうになったので、外出時などに身につけるだけにしたのだった。

「あれはイミテーションの宝石です。庶民でも買えるような安価な指輪です」
「それなら、この魔法石の指輪は? これは結婚指輪ではないんですか?」

 モニカが左手の薬指にはめていた魔法石の指輪を眺めていると、マキウスは首を振ったのだった。
「それとは別に、指輪を贈ろうと思っていたんです。その……恥ずかしい話、二個目の魔法石の指輪を買った時に、結婚指輪の費用がほぼなくなってしまったので、まだ考えている途中でしたが……」

 どうやら、「今の」モニカ用の魔法石の指輪を用意する際に、結婚指輪の費用を使ってしまったらしい。
 恥ずかしそうに、マキウスが話してくれたのだった。

「それでも店から購入するには費用が足りず、姉上から格安で譲ってもらうことになりました。姉上の母上ーー先のブーゲンビリア侯爵夫人は、魔法石の収集が趣味だったそうで、亡くなった今も形見として、屋敷にたくさんあるそうで……」
「それで、お姉様が魔法石の指輪を持って来てくれたんですね」

 どうして魔法石を届けに来たのが、ヴィオーラだったのか、モニカは気になっていたが、今のマキウスの話でようやく納得したのだった。

「お金は必要ないと姉上は言いましたが、それでは弱みをにぎら……私の気が済まないので、分割で支払うことにしました。再来月には支払いを終える予定です」
「借金もして用意してくれたんですね。すみません。魔法石が欲しいって我が儘を言って……」

 そんな事情とは知らず、マキウスに無理をさせてしまった。
 申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになっていると、マキウスは首を振ったのだった。

「貴女が気にすることはありません。私も貴女に渡した方がいいと思ったので、姉上から譲ってもらったのです。
 それに、魔法石が無ければ、こうして貴女の世界を知ることは出来なかった」

 この夢は魔法石に宿ったマキウスの魔力を使って見ていると聞いていた。
 魔法石がなければ、元の世界を想起させる夢を見ず、マキウスとパンケーキを食べることもなかっただろう。
 マキウスの言葉に、モニカも頷いたのだった。

「でも、それならいいです。無理して用意をしなくても」
「いいえ。妻に恥ずかしい思いはさせられません。
 貴女にそのような思いをさせたと姉上に知られたら、私が姉上に叱られます」

 ヴィオーラに怒られることを想像したのか、マキウスは青い顔をしたのだった。

「じゃあ、指輪はまた別の機会に考えましょう。今は個人的にアクセサリーを見たいです」

 モニカたちがパワーストーンのアクセサリーを眺めていると、茶髪の若い女性店員が近づいてきたのだった。

「何かお探しですか?」
「いいえ。探しているというわけでは無いんですが……」

 モニカが答えに窮していると、店員は何かを察したのか「ああ!」と声を上げたのだった。

「恋人さんにプレゼントですか?」
「いいえ。恋人ではなく夫婦です」

 店員は即座に訂正したマキウスの端正な顔立ちに気づくと、一瞬だけ目を輝かせた。
 それでも、さすが店員と言えばいいのか、すぐに表情を切り替えると、「失礼しました」と軽く頭を下げたのだった。

「それでは、ご夫婦に人気のこちらのアクセサリーはいかがですか?」

 店員が勧めてきたのは、新緑の様な小さな緑色の宝石が嵌まった二組の指輪であった。
「これは……?」
「ペリドットの指輪です。ペリドットには、『夫婦の幸福』という石言葉があります」
「石言葉ですか?」
「宝石にはそれぞれ意味があります。花言葉と同じですね。それを石言葉といいます」

 店員から説明を受けると、マキウスはペリドットの指輪を受け取った。
 店内の照明にかざしながら、じっくり眺め出したので、モニカも一緒に眺めたのだった。

「綺麗ですね」
「そうですね。でも、あの……。マキウス様、お値段が……」

 モニカは値札を指差した。
 マキウスは値札が読めなかったが、値札に書かれた数字の桁数から高価なものだとわかったのだろう。

「そうですね……。これは、さすがに」

 二人が揃って言葉を濁したからだろうか、店員は「それなら」と、別のアクセサリーを棚から取ると、勧めてきたのだった。

「こちらはいかがでしょうか? ペリドットのネックレスになります」

 女性店員が見せてくれたのは、先程の指輪よりも幾分も小さいペリドットのネックレスだった。
 マーガレットの様な花をモチーフにした金色のペンダントトップの中央に新緑色のペリドットが飾られ、ペンダントトップについたバチカンの中を、小豆チェーンと呼ばれる小さな金属の輪を繋げた銀色のネックレスチェーンが通されていた。

(わあ……)

「モニカ、どうですか?」

 モニカが目を輝かせたからだろうか。マキウスが訊ねてきたのだった。

「そうですね。いいと思います。でも、ニコラが間違って飲み込みそうで……」

 これも普段身につけていたら、何らかの拍子にチェーンが切れた際、愛娘のニコラが誤飲しそうだと思った。
 それを聞いたマキウスは、小さくため息をついたのだった。

「今だけは、ニコラのことは置いておきましょう。モニカ自身はどう思ったんですか?」
「どうって……?」
「欲しいか、欲しくないか。どちらか教えて下さい」

 傍らのマキウスだけではなく、少し離れたところから二人を見守っている店員からも、期待に満ちた眼差しを向けられて、モニカは自身の顔が赤く染まっていくのを感じていた。

 
「そ、それは……」

 チラリと視線を向けると、いつもとは違い、黒曜石の様に黒々としたマキウスの瞳と目が合う。
 吸い込まれそうな黒い輝きを放つマキウスの瞳に、胸が激しく高鳴り出す。
 やがて、マキウスの艶やかな唇が薄く開かれそうになった頃、モニカはポツリと呟いたのだった。

「……欲しいです」
 モニカがそう言うと、すぐにマキウスはネックレスを手に取って店員に渡したのだった。

「これを購入します」

 店員は受け取ると、「ありがとうございます」とレジに向かって行った。
 その後に続こうとするマキウスの腕をモニカは引いた。

「マキウス様、あの、お金は……?」
「持っています」

 マキウスはズボンのポケットから、財布を取り出した。どこかで見たことのある様な、黒い革の長財布であった。
 少しして、それが御國だった頃にマキウスと同年代くらいの職場の男性が使っていたものと同じものだと気づく。

「先程、モニカが支払いをしている間に、持っていることに気付いたんです」
「どうして、急に……」
「私が欲しいと願ったからでしょうか。好きな女性に支払ってもらうなど、男として恥ずかしいので」

 そうして、マキウスは「勿論、中身も確認済みです」と付け加えると、店員が待つレジに向かったのだった。

(好きな女性って……)

 気のせいだろうか。
 夢の中のマキウスは、普段よりも饒舌だった。
 何度もモニカを「好き」と言い、紅茶の苦味が苦手だと自身の話をしてくれた。
 さらに、モニカが欲しいと言ったプレゼントまで購入してくれた。

 もしかしたら、あのマキウスは、モニカの理想の夫の姿なのだろうか。
 優しく、頼りになり、甘い言葉を囁き、贈り物をしてくれる。
 いつもなら、ニコラにしか向けない満面の笑みまで向けてくれた。

 夢の中だけにきっと夢を見ているのだと、そう自分に言い聞かせる。
 マキウス本人は「夢じゃない」と言っていたが、マキウスがあんなに甘く、年相応な顔を見せる訳がない。

 結婚だって、レコウユスとガランツスの両国の為であって、モニカが好きだから結婚してくれた訳じゃない。
 ニコラが生まれたから、その責任を取る為というのもあるのかもしれない。
 マキウスによると、マキウス自身に一因があるらしい。
 姉弟が和解した日、モニカに「好き」と言ってくれたのも、先に「好き」と言ったモニカに付き合ってくれただけ。

 夢から覚めたら、いつものマキウスに戻る。付かず離れずの夫婦関係に戻るのだ。
 何も期待してはいけない。何もーー。

 そう考えていると、レジに向かったはずのマキウスが慌てて戻ってきた。
 どうしたのだろうと思っていると、モニカの前で立ち止まったマキウスは、膝を曲げて、身を屈めた。
 そうして、モニカの耳元で囁いたのだった。

「モニカ、どの紙幣を出したらいいのでしょうか……? 何種類かあるので、どれを出したらいいかわかりません……」

 マキウスの財布を見せてもらうと、千円札から一万円札まで数枚の紙幣が入っていた。

「あ、それなら、この一万円札を出せば大丈夫です。お釣りが出るはずなので……」
「私では分かりかねます。貴女も一緒に来て下さい」

 マキウスに腕を引かれたモニカは、その後に続いてレジに向かうことしか出来なかったのだった