「モニカ様。今夜のニコラ様の授乳は如何しますか?」
「そうですね……。今日はアマンテさんにお願いしてもいいですか?
マキウス様から、二人きりで夕食を食べたいと言われていたので」
昨晩、魔法石にマキウスの魔力を補充してもらう際に、「たまには二人きりの夫婦水入らずの晩餐を共にしたいものです」と、拗ねたように言われてしまった。
きっと、昨日の昼食の席で、モニカがヴィオーラとばかり話していたのが、気に入らなかったのだろう。
モニカ自身も、ニコラの離乳食を始めてからマキウスと食べる機会は減ってしまったーー勿体ないからと離乳食の余りで食事を済ませていた。ので、楽しみだった。
(なんだか、二人きりになりたいだけじゃないような気もするけど……)
なんとなくだが、マキウスがヴィオーラと話した日から、マキウスの距離が近くなった様な気がしていた。
前よりもマキウスが部屋を訪れる回数が増え、会話も増えた。
魔法石への魔力の補充時や、ニコラと遊んでいる時以外でも、例えば、気分転換に屋敷内や庭を散歩している時や、ティカに頼んで用意してもらったこの国に関する本や育児に関する本を読んでいる時など、マキウスの方から声を掛けくれるようになった。
今までは、部屋の外ではあまり話しかけてこなかったのに、一体どうしたのかーー。
「畏まりました。ニコラ様はお任せ下さい」
「いつもありがとうございます」
「いいえ。お役に立てるなら何よりです。私はこの遊具を片付けた後に、ニコラ様を連れて退室します。
今日はこのままお預かりしますので、旦那様との有意義な時間をお過ごし下さい」
「え……。でも、それだとアマンテさんが……」
「旦那様からも、たまにはモニカ様をゆっくり休ませるように言われています。きっと、ニコラ様の相手をされていてお疲れだろうと。旦那様が帰宅されるまでゆっくりお過ごし下さい」
「あ……じゃ、じゃあ、お言葉に甘えます……」
「はい」
アマンテは手早く倉庫部屋におもちゃを片付けると、ニコラを連れて退室したのだった。
「ふうっ……」
一人になると、モニカはベッドに倒れた。
倒れた拍子にティカにまとめてもらった金髪がほどけて、ベッドに広がった。
「最近、夢見が悪いな……」
モニカは仰向けになると、ため息をついた。
ここ最近、毎晩、同じ夢を見ていた。
おそらく、御國の頃の記憶なのだろう。全て見覚えがあった。
アーケードの入り口にあった立ち食い蕎麦屋から漂ってくる出汁の匂いも。
街中の賑やかな喧騒も、お店の場所も。
モニカがぶつかったカップルさえも。
実際にカップルとぶつかった時を思い出して、モニカの胸は痛んだ。
周囲のお店に気をとられていたとはいえ、当時、心が痛むような罵声を浴びせられたのだった。
先にぶつかったことを謝れば良かったのかもしれない。
ただ、あの時は反応が遅れて、謝るタイミングを逃してしまった。
その結果、舌打ちと罵声を浴びせられたのだった。
いつもなら「アレ」を使っているから、そんな舌打ちと罵声は聞こえないのに。
それから、もう一つ。
モニカが彼等を、覚えていた理由はーー。
(悔しかったんだよね……恋人がいて羨ましかったんだよね……。私にはいないから……自分は一人だから)
女性とぶつかった時、女性は男性に気遣われていた。
けれども、モニカには気遣ってくれる相手が居なかった。
相手のように、友人など複数人と歩いていたのならば気遣われただろう。
もしくは、恋人がいれば、また違っていたのかもしれない。
今でこそマキウスと結婚したが、御國だった時は、恋人どころか男の友人さえいなかった。
欲しいと思ったし、探そうとも思った、男性と知り合うイベントにも参加しようと申し込みもしようと思ったこともある。
でも、出来なかった。
いつもその直前に、子供の頃の「あの夜」が思い出された。
子供の頃の嫌な思い出。男に恐怖を感じたあの夜。
今でも思い出しそうになると、身体の内側が苦しくなって、息苦しくなる。
今も「あの夜」を思い出しそうになって、めまいがした。
胃が苦しくなって、吐き気さえしてきた。
「はぁ……!」
シーツを掴んで、何度も息継ぎを繰り返すと、ようやくめまいと吐き気は収まったのだった。
(違う。あれは……悪いのは私で……)
自分は決してそんなつもりじゃなかった。ただ、いつもの様に、みんなと同じ様に接していただけ。
そのつもりだったのに、周りが「悪いのはお前だ」と、「お前が色目を使って誘惑した」と言ってきた。
自分でも気づかない内に、色目を使ってしまったのだろうか。
それなら、悪いのは自分で……。
(悪いのは自分。悪いのは自分! それで終わったじゃない!)
また「あの夜」を思い出しそうになって、モニカは首を振った。
きっと疲れているだけだ。
マキウスの言う通り、育児で疲れているんだろう。
この世界に来て、モニカになってから、ずっとニコラの世話をしていた。
疲れているからこそ、御國だった頃の嫌な記憶を思い出すのだろう。
「マキウス様が帰ってくるまでには、元に戻っていないと……」
今のモニカを見たら、きっとマキウスは何かあったのかと血相を変えて聞いてくるだろう。
モニカやヴィオーラの問題が片付き、ようやく肩の荷が降りつつあるマキウスに、これ以上の負担を増やしたくなかった。
これはモニカ自身のーーモニカ自身の問題なのだから、自分で乗り越えなければならない。
(また、今夜も見るのかな……)
もう考えるのは止めて、今はゆっくり休もう。
いつもの自分に戻る為にも。
そう自分に言い聞かせると、モニカはそっと目を閉じたのだった。
「モニカ、どうしましたか? 食が進んでいないようですが……?」
その日の夜、約束通りにマキウスと晩餐を過ごしていたモニカだったが、全く食べていなかったので怪しまれたのだろう。
先に食べ終わっていたマキウスは、しかめ面をしていたのだった。
「料理が口に合いませんか? 料理人に頼んで、何か別のものを作らせますが……」
「えっ……!? す、すみません。どうも、昼間にニコラの離乳食の余りを食べたら、あまりお腹が空いていないみたいで……」
モニカが誤魔化すと、グラスを持ち上げたマキウスは、「そうなんですか?」と尋ねてきたのだった。
「ニコラの余りなら無理して召し上らなくとも、使用人で食べます。ですから……」
そもそも、屋敷の主人の妻が余り物を食べるなどあり得ないだろう。
ーーあまりにもニコラが物足りなさそうので、つい美味しいのかと食べてしまうが。
この屋敷の料理はどれも美味しく、フルコースのような料理が毎日出てくる。
マキウスの話によると、屋敷に住んでいる専属の料理人も、ヴィオーラが選んだ自慢の料理人らしい。
ヴィオーラの屋敷で料理人として働いていた中から、特に腕の良い者を選んでくれたとのことだった。
実際にニコラが食べている離乳食も、味付けは一切されていないながらも、舌触りの良いペースト状になっており、素材の味もしっかり出ていた。
それ以外のモニカやマキウスが普段食べている料理も、素材の味を生かして味付けされており、物足りなさを全く感じさせなかった。
飲み物やお菓子も同じで、いつもなら舌鼓を打っていただろう。
「そ、そうですよね! じゃ、じゃあ、最近コルセットを身につけ始めたから、きっとお腹がキツイだけなのかもしれません!」
最近、体調が快調したからと、モニカは今まで着けていなかったコルセットを身につけ始めた。
貴族の女性の中でも、特に出産後の女性は身体の骨格が崩れやすいからと、コルセットを身につけるのが通例らしい。
ただ、モニカは階段から落ちて、ずっと寝ていたということもあって、身体に負担をかけないように、今まで身につけていなかった。
先日、定期的にモニカ親娘を診察してくれる医師から、「母親はもう大丈夫」とお墨付きをもらったので、ペルラたちの勧めもあって、コルセットを身につけ始めたのだった。
御國だった頃に噂で聞いていたが、やはりコルセットは腹部が痛くなるくらい、かなりきつく締められた。
これなら、昔の女性がコルセットをきつく締められたせいで、気を失い、酷い時には命を落としたという話もわかるような気がした。
「そうでしたか。それだけなら良いのですが……」
まだ疑うマキウスに、モニカは何度も「大丈夫です」と頷いたのだった。
「コルセットも嫌なら無理して着ける必要はありません。現に、姉上は着けていなかったはずです」
「お姉様が?」
「ええ。子供の頃からこう言っていましたよ。『コルセットに身体を守られるくらいなら、自分で守った方がマシです』と」
「お姉様らしいですね」
そんなヴィオーラの様子を思い浮かべた二人は、顔を見合わせるとクスクスと笑ったのだった。
しばらくして、マキウスと談笑しながらデザートのシャーベットらしき甘い氷菓子を食べ終わると、モニカは席を立った。
「マキウス様。少し早いですが、私は先に部屋に戻ります」
「モニカ」
部屋の隅に控えていたティカに扉を開けてもらったところで、後ろから声を掛けられた。
「後ほど、部屋に伺っても良いでしょうか?」
「はい。構いませんが……?」
モニカは首を傾げながら返すと、マキウスは意味深に頷いたのだった。
(魔力の補給だけなら、改めて聞かなくてもいつも部屋に来るのに……?)
そんなことを考えながら、モニカは自室に戻ったのだった。
モニカは湯浴みを済ませると、髪を梳かしながら部屋で待っていた。
どうもモニカの髪質はサラサラした軽い髪質のようで、手で触れると絹のようにサラリと手から落ちるくらいであった。
それが連日ティカたちメイドの手で丁寧に手入れされているからか、ますますサラリとした髪質になっていた。
御國だった頃は髪質をキープするのが大変で、定期的に美容室に通わなければならなかった。モニカの髪質が羨ましいくらいであった。
そんなモニカの髪質が羨ましくて、ついつい手持ち無沙汰になると髪を触ってしまう。
本来の貴族なら自分でやらず、メイドにしてもらう様な髪を梳かすことさえ、自分でやる様になっていた。
(でも、髪が長いと手入れが大変だよね……。マキウス様かペルラさんに聞いて、少し切れないか聞いてみようかな)
御國だった頃は、腰近くまで髪を伸ばしたことはなかった。
仕事中に邪魔になるからという理由で、ある程度伸びたらすぐに切るようにしていた。
それは今も同じで、ニコラの相手をしている時はどうしても髪が邪魔になるのだった。
どうもこの世界では、既婚の女性は髪を後ろで一つにまとめるのが当たり前のようで、モニカも毎朝髪をまとめてもらっていた。
ただ、軽い髪質だからかすぐにほどけてしまうようで、日に何度もまとめ直す必要があった。
それが面倒でうんざりしていたのだった。
長めの金髪を梳かしていると、控えめなノックの音が聞こえてきた。
最近は扉を叩く音だけでなんとなく誰が部屋に来たのかわかるようになってきたので、この時も櫛を置くとすぐに答えたのだった。
「お待ちしていました。どうぞ、マキウス様」
「モニカ、入りますよ」
部屋に入って来たのはやはりマキウスだった。
モニカと同じように湯浴みをしてきたのか、灰色の髪はサラリと背中に流れていたのだった。
「すみません。私から約束を取り付けながら遅くなりました」
「いえ。私も湯浴みを済ませたばかりでしたので」
「それで、髪を梳かしていたのですか?」
鏡台に置いていた櫛を見つけたのだろう。
モニカが頷くと、鏡台に近いてきたマキウスは櫛を手に取ったのだった。
「マキウス様?」
「私も梳かしていいですか?」
「は、はい。それは構いませんが……」
すると、マキウスは鏡台の方を向くように言うと、後ろに立ってモニカの金の髪を梳かしだしたのだった。
「梳かすって、自分の髪ではなく、私の髪を梳かすんですか?」
「ええ。姉上から話を聞いて、貴女の髪をじっくり触れてみたかったんです。
触り心地の良い髪だったと聞いたので」
ヴィオーラから聞いたというのは、おそらく庭の木に引っかかった洗濯物を取ってもらった時の話だろう。
ヴィオーラが髪に触れてきたのは、その時だけであった。
「でも、髪に触りたいだけなら、何も櫛で梳かす必要もないと思います。普通に触ればいいだけで……」
「せっかく貴女の髪に触らせてもらうんです。ただ触るだけにはいきません。
それに、こう見えて子供の頃は、姉上に髪を梳かすように強要されたこともあるんです。無論、姉上の髪をですが」
「そ、そうですか……」
髪を梳かされながら、きっとマキウスはいつものように魔力の補給に来たのだろうと、この時のモニカは思っていた。
そのついでに髪を梳かしてくれるのだと。
だから、油断していた。
鏡越しにマキウスの手が止まったのが見えたかと思うと、不意に背中から抱きしめられたのだった。
「マキウス様……?」
「そのまま、前を向いていて下さい」
モニカが振り向こうとすると、マキウスはそれを制して、ますます強く抱きしめてきた。
「何を我慢しているのですか?」
「が、我慢だなんて、そんな……!」
赤面しながら、マキウスの力強い腕を解こうする。
けれども腕は解けるどころか、マキウスはモニカの肩に顔を埋めてきたのだった。
「アマンテから聞きました。ここのところ、ずっとぼうっとしていて様子がおかしいと。何か悩みごとでも?」
「悩みごとなんて、そんな……」
「私に話してくれませんか?」
「それは……」
マキウスの身体が温かく、つい甘えてしまいそうになる。
ほのかに身体から漂ってくる香りも、モニカを包み込む大きな身体も、弱っていた心に深く沁み入った。
(夢の話をしちゃおうかな……。でもマキウス様に心配を掛ける訳にもいかないし……)
モニカが迷っていると、肩から顔を離したマキウスはそっと息をついた。
「……私では頼りになりませんか?」
「そんなことはありません!」
マキウスの言葉に、モニカは即答した。
項垂れているようなマキウスに対して、モニカは膝の上で握りしめた手に視線を落とすと口を開く。
「これは、こればかりは私が乗り越えなければならないんです。マキウス様のことは頼りにしていないわけではないんです。でも、こればかりは……」
「……そうですか」
先程からマキウスの吐息が耳にかかってくすぐったかった。
俯いていると、ようやくマキウスは腕を緩めてくれた。
「何かあれば、いつでも相談して下さい。これはそれを忘れない為の印です」
そうして、マキウスはモニカのうなじに軽く口づけてきたのだった。
「あっ……」
マキウスは顔を離すと、モニカからそっと離れた。
「約束ですよ。わかりましたね」
「はい……」
それ以上は何も聞かず、ただ黙って椅子を片付ける灰色の背中を見ていると、その優しさにモニカの涙腺は緩みそうになる。
マキウスは戻ってくると、鏡台に座るモニカの前に片膝をついたのだった。
「さあ、魔力を補給します。指輪を貸して下さい」
モニカが指輪を身につけた手を差し出すと、マキウスは自分の手を重ねてくる。
すると、マキウスの魔力に反応して、魔法石が鈍く青い光を放ったのだった。
魔法石の魔力は、持ち主が指輪に触れて、持ち主が念じるだけで魔力を補給できるらしい。
持ち主が指輪に触れている時間が長ければ長い程、魔力を多く補給出来る。
魔法石は魔力が溜まる程、魔法石の輝きが増し、反対に魔法石の魔力が少ないと輝きが鈍くなるとのことだった。
実際に、モニカの魔法石は屋敷内で使っただけでも、かなり魔力を消費しているようで、魔法石の青色の輝きは鈍っていた。
毎晩、マキウスに補給をしてもらうことで、海を思い浮かべるような青色の輝きが魔法石に戻っていたのだった。
「終わりました。私は部屋に戻ります」
マキウスはモニカの手を離した。
いつもマキウスの手が離れる度に、名残惜しい気持ちになってしまう。
行かないで欲しいと、モニカは手を掴んでしまいそうになるのだった。
「ありがとうございました。マキウス様」
「モニカ」
そんな気持ちを制して、いつもの様に笑みを浮かべる。
すると、いつもとは違い、マキウスは柔らかな口調で話し出したのだった。
「いつでも私のことを頼って下さい。
貴女が私の力になってくれるように、私も貴女の力になりたいです」
そうして、マキウスは「おやすみなさい」と言って部屋を出て行った。
「マキウス様……」
モニカの胸はジーンと温かくなったのだった。
その日の夜遅く。
ベッドサイドの明かりだけを点した暗い部屋で、マキウスは本を読んでいた。
「ん? これは……」
ページを捲ったところで、近くから魔力の波動を感じた。
マキウスは顔を上げると、辺りを見渡したのだった。
「随分と大きな……。でも、一体誰が、何の為に……」
マキウスたちカーネ族は、自分が魔力を使った時、または魔法石に宿った自分の魔力が使われた時に、その余波を波動となって身体中で感じることが出来た。
それを、「魔力の波動」と呼んでいた。
屋敷内の扉を開けるくらいの少量の魔力なら、魔力の波動を感じることはない。
だが、何かを生み出し、何かを消し去ってしまう様な大きな魔力なら、魔力の波動を感じるのだった。
(この屋敷で、私以外に私の魔力を持つ者は一人しかいません……まさか!)
マキウスは本を置いて明かりを消すと、部屋を出た。
屋敷内の暗い廊下を歩き、魔力の波動を辿ると、そこはモニカの部屋であった。
(やはり、この部屋でしたか)
マキウスは扉に近くと、他の使用人を起こさないように、小声で呼びかける。
「モニカ……?」
しばらく耳をすますが、部屋の中からは物音一つ聞こえてこなかった。
そっと部屋の扉を開けると、扉の隙間からは部屋中を満たす様な青白い光が漏れてきて、マキウスは目を瞑ったのだった。
「これは……!?」
マキウスの顔が強張った。慌てて扉を開けて、押し入る様に中に入る。
魔法石と同じ青色の光が、ベッドを中心に部屋の中を青色に染めていた。
まるで海の中にいるような、どこか幻想的な光景に魅了されそうになるが、すぐに我に返ると、光源となるベッドにそっと近く。
足音を立てないように、忍び足でそっと近づいたベッドを覗き込むと、そこにはモニカが眠っていた。
嫌な夢をみているのか、顔を歪めて魘されていたのだった。
「モニカ。起きて下さい!」
小声で呼びかけながら、モニカの身体を揺さぶるが、 起きる気配はなかった。
「モニカ……」
モニカの様子も気になるが、まずは魔力を抑える方が先であった。
モニカを観察していると、どうやら左手の辺りが光源のようだった。
そっと掛布を捲ると、モニカの指先から放たれていた青色の光が、一際強く部屋を照らしたのだった。
「やはり、そうでしたか……」
マキウスは眉を寄せた。
青色の光は、モニカが身につけている青色の石がはまった指輪ーー魔法石の指輪から出ていたのだった。
モニカは全く気づいていないようだったが、魔法石に宿っている魔力の消耗が日に日に激しくなっていた。
扉を開閉するだけなら、ここまで消耗しない。
一体、どこでどんな使い方をすれば、ここまで消耗するのか。
マキウスは補給をする度に、その消費量を不思議に思っていたが、どうやら夜間にモニカが使っていたらしい。
本人の意思が関係しているのか、関係していないのかはわからないが。
モニカ自身が望んで使用しているのか、魔法石から漏れ出た魔力が、モニカに影響を与えているのかはわからない。
ただ、モニカが魔力の影響を受けているこの状況は非常に厄介であった。
「なんとか、しなければ……」
マキウスはモニカの傍らに跪くと、魔法石の指輪をつけた手を取った。
「貴女は……今、どんな夢を、どんな気持ちで見ているのでしょうか?」
マキウスは指輪に口づけると、その手を強く握った。
反対の手で指輪に触れると、部屋中を青く染める光がひと際大きくなった。
そのまま、マキウスはそっと目を閉じたのだった。
「まただ……」
夢の中で、モニカはため息をついた。
いつもと違い、何故か今夜は夢から目覚めることなく最初に戻ってしまった。
いつもなら夢から覚めるはずが、気づけばアーケードの同じ場所に立っていた。
モニカの後ろをいつもと同じ人々が、同じ順番に通り過ぎて行ったのだった。
この悪夢から脱出しようと試みる中で、いくつか気づいたことがあった。
アーケード内のお店に入ろうとすると、まるで透明な壁に阻まれているかの様に中に入ることが出来なかった。
ただし、実際に御國だった頃のモニカが入ったことのあるお店だけは、店内に入ることが可能だった。
並んでいる商品や内装も、最後にモニカが入った時と同じであった。
最後に店内に入った時期がバラバラだからか、春の内装の店があれば、その隣の店は夏物を売り出しており、さらに隣の店は秋の内装となっていた。
季節感も統一されておらず、チグハグな空間がアーケードの中に広がっていたのだった。
また、試しにアーケードの中を反対方向に歩いてみた。
本来なら反対側に歩けば、御國が亡くなる前に通った大きな駅に辿り着くはずだった。
それなのに、何故か駅に辿り着くことはなく、カップルとぶつかるアーケードの中に戻ってきてしまった。
ここからどの道を歩き、途中で道を変えても、必ず同じ場所に辿り着き、同じカップルにぶつかるのだ。
この夢に意味があるのならば、カップルとぶつかる時に何か行動を起こす必要があるのだろう。
一体、何をーー?
信号が変わって人の流れに混ざって歩き出す前に、モニカはふと思い立って、鞄の中を開けてみた。
(もしかしたら、今回こそは「アレ」があるかもしれない)
モニカが鞄の中を漁ると、鞄の側面のポケットから「アレ」が出てきた。
紫色のイヤフォンと青色の掌サイズの電子機器ーー音楽再生プレーヤーの電源をモニカは入れた。
中に入っている曲は、モニカが最後に見た時と同じだった。
(良かった。今回はあった……)
モニカは安心して口元を緩めると、いつものように耳にイヤフォンを入れようとした。
その時だった。
「モニカ……?」
聞き覚えのある綺麗なテノールボイスが、モニカの耳に入ってきたのだった。
(この声……まさか……)
この姿のモニカの名前を呼ぶ人間など、そういないはず。
声が聞こえてきた方を振り向くと、そこには見覚えのある男性が立っていたのだった。
「マキウス……様……?」
モニカは瞬きを繰り返した。
これまでにはない展開であった。
今まで、この夢の中に「モニカ」の知り合いが出てくることなど無かった。
ここに出てくるのは、全て御國の頃に出会った者たちだった。
「やはり、モニカなのですね」
男性はーーマキウスは、安心した様にほっと胸を撫で下ろしたようだった。
「いつもと容姿が違うので、人違いかと思いましたが……。良かったです。安心しました」
「それは、マキウス様も同じです。一瞬、誰かと思いましたよ」
モニカが返すと、マキウスは不思議そうに首を傾げた。
鞄に入っているスマートフォンを取り出すと、カメラを起動させて自撮りモードに切り替えた。
そうして、スマートフォンの画面をマキウスに向けたのだった。
「この小さな板は何ですか?」
「そうですね……。説明すると長くなるので、今は鏡代わりだと思って下さい」
「鏡ですか……」
恐る恐るといった様子でモニカが持つスマートフォンの画面を覗き込んだマキウスだったが、大きく目を見開いたのだった。
「なっ……! この姿は!?」
そこに映っていたのは、一人のカーネ族ではなく、一人の人間であった。
顔形や声、体型はマキウスのままであった。
けれども、白色に近い灰色の髪も、アメシストの様な紫色の瞳も、カラスの様な濡羽色であった。
髪の長さもいつもよりも短く、首筋の辺りで切られ、前髪も心なしか短くなっているようであった。
服装もいつも見ている騎士団の制服やスーツを着崩した様な部屋着ではなく、膝まである黒のコート、黒地に白色のチェックのシャツ、紺色のスキニージーンズ、白色のスニーカーだった。
「これが、私だということですか……」
「そうですね。でも、この姿のマキウス様も新鮮です……」
「変ではありませんか?」
「へ、変なんてことありません! どちらかと言えば、その……かっこいいです……」
「そうですか……」
恐らく、モニカだけでなくマキウスも、この夢に合う様に姿が変わったのだろう。
この夢には、金髪のモニカだけでなく、カーネ族のマキウスも不釣り合いだから。
含羞を帯びた笑みを浮かべたマキウスだったが、そんなマキウスのいつもとは違った姿に、モニカもまた胸が高鳴ったのだった。
「そういえば、マキウス様のモフモフのお耳が、無くなっていますね」
マキウスの頭からはモフモフの毛が生えた黒色の犬の様な耳は無くなっていた。
その代わりに、モニカと同じ位置に、同じ形の人間と同じ耳がついていたのだった。
「そうですね……。道理で、音が聞こえ辛いと思いました。視界も狭くて……」
マキウスは不思議そうに、黒色に染まった瞳でスマートフォンを鏡代わりにしながら、何度も自分の両耳を引っ張っていた。
マキウスによると、身体能力に優れたカーネ族の耳は、一キロ以上離れた遠くの音まで聞くことが出来るらしい。
目も人間よりも遥かに遠くまで見えるとのことだった。
カーネ族の特徴である耳がなくなって、心なしかマキウスが項垂れているようにも見えたので、慌てて「で、でも」と続けたのだった。
「この姿のマキウス様も、かっこよくて、素敵です!」
「いつもの私とどちらが良いですか?」
「そ、それは……どっちも同じくらい良いです!」
真剣な顔で詰め寄られて、頬を染めながら答えると、マキウスは納得したのかあっさりと離してくれたのだった。
「それを言うのなら、貴女もです。……その姿が、以前の貴女なのですか?」
マキウスは頭からは爪先まで、モニカを眺めながら訊ねてきた。
モニカは苦笑しながら、首を振る。
「まさか。生前の私はここまで可愛く無いですよ」
苦笑しながらスマートフォンを降ろすと、鞄の中にしまったのだった。
「ところで、マキウス様はどうして夢の中に……? と言っても、これは私が見ている夢だから聞くのも可笑しいですよね」
モニカが笑うと「夢じゃありませんよ」と、しずかに返される。
「貴方の部屋から、私の魔力の波動を感じました。部屋に行くと、貴方が魔力を使って眠っていました。それも悪夢を見ているのか魘されていて……。
私の魔力を使ってまで、どんな夢を見ているのか気になったから夢に入ったんです」
寝ているモニカの指輪に、マキウスは手を重ねると、自分の魔力と同調させたらしい。
自分の魔力をモニカの魔力に合わせ、そのまま意識をモニカに合わせた。
すると、マキウスはこの夢の中に入ってこられたとのことだった。
「私が魔法石を使って、この夢を見ていたんですか?」
「そうです。覚えはありませんか?」
モニカが首を振ると、マキウスは顎に手を当てて、何やら考えていたようだった。
しばらくそうしていたが、やがて考えることを止めたようだった。
「今は考えるのを止めましょう。ところで、ここはモニカが知っている場所ですか?」
「はい。そうです! 私が生まれ育った場所です!」
モニカの笑みに、マキウスも口元を緩めた。
「貴女が育った場所に興味があります。……案内をして頂けますか?」
「はい! 勿論です!」
そうして、マキウスは手を差し出してきた。
どうしたらいいかわからず、差し出した手を見つめていると、苦笑されたのだった。
「前にも言ったでしょう。こういう時は男性にエスコートしてもらうものです」
「そ、そうでしたね! すみません……」
以前、初めて出掛けた時に言われたことを思い出して、自分の手をマキウスの大きな手に重ねる。
手を握られると、二人はアーケードを歩き出したのだった。