「失礼します。モニカ様、ヴィオーラ様」
しばらして、アールグレイティーの様な香りのする紅茶にヴィオーラが口をつけたところで、ニコラを抱いたアマンテがやって来た。
「アマンテ! 息災のようでなによりです」
「ご無沙汰しております。ヴィオーラ様」
ヴィオーラとアマンテは顔を合わせると微笑んだのだった。
(そういえば、マキウス様が子供の頃はよく四人で遊んでいたって言っていたっけ)
仲睦まじい様子から、二人が知己の仲だったことを思い出して、会話に耳をすませる。
「ペルラから聞いています。マキウスの屋敷でしっかりやっていると」
「ありがとうございます!」
「たまには我が家にも来て下さいね。アガタとセルボーンも会いたがっていました」
モニカの為に説明してくれたヴィオーラによると、ペルラと、ペルラの夫のセルボーン、アマンテとアガタの一家は、代々ブーゲンビリア侯爵家に仕えている使用人一族らしい。
マキウスが王都に戻り、更にモニカが妊娠したのを機に、育児経験があり、姉弟の乳母だったペルラと、乳母として適任であったアマンテを、ヴィオーラが屋敷に寄越してくれたとのことだった。
それ以外でも、ティカやエクレアなどの使用人は、ヴィオーラが選んでくれたらしい。
「お気遣いありがとうございます。ヴィオーラ様。近々、妹と父に会いに行きたく思います」
「ええ。お待ちしています。その、腕に抱いている子が、ニコラさんですか?」
ヴィオーラがモニカに視線を移すと、モニカは頷いた。
「はい! ヴィオーラ様。この子がニコラです」
「モニカさんに似て、とても可愛い赤子ですね。確か、四か月になるんでしたね」
「そうです!」
アマンテからニコラを受け取り、モニカ似と言われた小さな顔を覗き込む。
ニコラは父親や伯母と同じ色の瞳で、ヴィオーラを興味深そうにじっと見つめていたのだった。
「ヴィオーラ様、ニコラを抱いてみませんか?」
「よろしいのですか?」
「はい! 勿論です!」
モニカがニコラを差し出すと、初めてニコラを抱いたマキウスと同じく、剣を受け取るかのように、ヴィオーラは両手で大切そうにニコラを受け取った。
けれども、抱き方がわからないのか、なかなかニコラの首が安定しなかった。
アマンテに教えてもらいながら、なんとかヴィオーラはニコラを抱いたのだった。
「可愛いものですね」
「そうですよね!」
やがて、ヴィオーラは余裕が出てきたのか、腕の中のニコラに笑いかけ、ニコラもそれを真似して笑みを浮かべたのだった。
どうも、ニコラは人見知りをあまりしないようで、モニカやアマンテ以外の人が抱いても泣くことが滅多になかった。
暴れないのはいいのだが、人見知りしないのは、それはそれで不安になる。
ニコラを微笑ましく思いながら、お茶菓子のクッキーを食べていたモニカは、そっとアマンテに目配せをした。
すると、アマンテは心得たという様に頷くと、部屋を出たのだった。
「赤子はこんなに温かいのですね。私は赤子を抱いたことが無いのです」
「そうなんですか?」
「ええ。身近にいた子供といえば、乳母だったペルラの娘のアマンテとアガタですが、私とアマンテは同い歳で、アガタはヴィオーラより一つ歳下。マキウスは更にその下になります。
マキウスが産まれた時は、私はまだ二歳でほとんど記憶にないのです。
お母様もマキウスのお母様を嫌っていたので、なかなか会いに行けなかったので……」
「ペルラさんが乳母だったってことは、もしかして、アマンテさんたちとヴィオーラ様たちって、乳兄弟だったりしますか?」
「そうです。私とマキウスのお母様のお乳の出が良くなかったので、私たち姉弟はペルラのお乳を飲んで育ちました。
丁度、私が産まれた時も、マキウスが産まれた時も、ペルラのお乳が出ていたので」
四人が子供の頃はよく遊んでおり、実の姉弟のように仲良しだったという話は、マキウスからも聞いていた。
それも、四人が乳兄弟だったのなら、ますます納得がいったのだった。
「私たち四人はいつも一緒にいました。
私がマキウスを連れて来て、アガタがアマンテを呼んで来て」
「そうだったんですね」
ヴィオーラからニコラを受け取ったモニカは、膝の上にニコラを座らせた。
最近は首がしっかりしてきたのか、後ろから支えると、ニコラも座れるようになってきた。
ヴィオーラは紅茶に大量のミルクを入れると、優雅にカップを持ち上げて口をつけた。
「マキウスから見たら、姉が三人いたように思えたでしょう。
特にマキウスはアガタに振り回されていましたから」
「私を一番振り回していたのは、貴女でしょう」
部屋に入って来ながら答えたのは、マキウスだった。
「マキウス様」
「マキウス」
マキウスは呆れた顔をしながら、モニカたちの元にやって来る。
「全く……。モニカに呼ばれたから来てみれば、人の話で盛り上がっていたんですね」
マキウスはモニカの隣に座ると、不機嫌そうな顔でヴィオーラを見つめる。
アマンテが淹れてくれた紅茶を澄ました顔で一口飲み、大量の角砂糖を入れていた。
相変わらずのマキウスの態度に、ヴィオーラは「全く」とため息を吐いたのだった。
険悪な雰囲気になりかけたのを察したモニカは、「それにしても」と二人を眺めながら口を開く。
「こうして並ぶと、おふたり共、とてもそっくりです。さすが姉弟ですね!」
たまたま、マキウスもヴィオーラと似たような服装だったからモニカは言ったのだが、その言葉に二人は衝撃を受けたようだった。
「なっ!?」
「それは……」
驚愕する姉弟に構わず、モニカは他にも気づいたことを話す。
「そうですよ。見た目だけじゃなくて、話し方や歩き方、好みまでそっくりです!」
マキウスの自信に満ちた威風堂々たる話し方やしっかり背筋を伸ばして歩く姿は、姉のヴィオーラとそっくりであった。
今も二人揃って、紅茶を飲む時は最初の一口だけストレートで飲み、それから、ヴィオーラはミルク、マキウスは砂糖を大量に入れて飲んでいたのだった。
「そう見えますか? モニカ」
「そうですよ! ねぇ、ニコラ?」
膝の上で静かにしているニコラを見下ろすと、モニカはギョッとしたのだった。
「ニコラ!?」
いつの間にか、ニコラの口の周りは濡れてベタベタしていたのだった。
「あらあら」
「やれやれ」
ヴィオーラがクスリと笑う中、父親のマキウスに口の周りを拭いてもらうと、ニコラは喜んだのだった。
「もう……。そろそろ離乳食を始めてもいい時期なのかな」
「そうなのですか?」
不思議そうな顔をしたマキウスに、モニカは頷く。
「はい。赤ちゃんが離乳食を始める時期の見極め方の一つに、食べている人をじっと見て、ヨダレを垂らすというものがありました。
食べ物に興味を持っているという証らしいです」
「そうなんですね。私も初めて知りました」
ヴィオーラにも感心されて、何故だか照れ臭い気持ちになった。
「ええ、そうなんです。それになんだか、ニコラが妙に温かいような……?」
「モニカ様、失礼しますね」
アマンテがそっとニコラに近づいてニコラに触れた。
抱き上げて、身体をよく確認して、そして、お尻を触ると「ああ」と得心したようだった。
「一度、ニコラ様を連れて退出しますね。お召し物を替えてきます」
「じゃあ、私も」
「モニカ!?」
モニカが席を立つと、マキウスも席を立とうとしたのだった。
「ヴィオーラ様、マキウス様とゆっくり話して下さい」
「お気遣いありがとうございます」
「モ、モニカ……! どうして貴女まで退出するんですか……!?」
そうして、モニカは狼狽するマキウスに近づくと、ヴィオーラに聞かれないようにそっと呟いた。
「ちゃんと話して下さいね。あと、お姉さんって呼んで下さいね」
「そ、それは……」
「大丈夫です。マキウス様なら出来るって信じています。では、失礼します」
言葉に詰まったマキウスから離れると、モニカは改めてヴィオーラに挨拶をして、アマンテとアマンテが抱くニコラに続いて部屋を出る。
(頑張れ! マキウス様!)
心の中でマキウスを応援しながら、モニカはそっと応接間の扉を閉めたのだった。
無常にもモニカによって閉ざされた扉を見つめながら、マキウスは内心で大きくため息をついた。
(まさか、これを狙って、モニカは私と隊長を……)
はめられたと気づいても、もう遅い。
モニカたちが出て行くと、二人はしばらく無言で紅茶を飲んでいた。
やがて、ヴィオーラは深いため息をついたのだった。
「変わりはありませんか? マキウス」
「ええ。見ての通りです」
「不自由はしていませんか?」
「はい」
そこで、二人の会話は終わってしまった。
気まずい雰囲気の中、モニカを呼びに行こうと立ちかけると、ヴィオーラに呼び止められたのだった。
「たまには、姉弟水入らず、話しをしませんか?」
「と、いいましても……」
「モニカさんやアマンテだけではなく、外では他の騎士や貴族の目もあります。なかなかゆっくり話せないでしょう」
暗にお互いの立場を指しているのだと気づいたマキウスは、座り直すとため息をついたのだった。
「そうですね。ですが、私と貴女は、部下と上司であり、男爵と侯爵です。対等に話せる関係ではありません」
マキウスの言葉に、ヴィオーラは悲しげに首を振った。
「けれども、それ以前に、私と貴女は姉弟です。両親が亡くなった今となっては、唯一の家族です。……そうでしょう?」
ヴィオーラはテーブルの上で自らの手を強く握りしめていた。
そんなヴィオーラの様子に気づきつつも、マキウスは「そうですね」と、端的に小さく頷いたのだった。
「そもそも身分や階級が何です? 私たちは家族です。姉である私が、弟の貴方を見舞って何か問題がありますか?」
「それは……」
「母親が違っても、母親同士が険悪な仲でも、私にとって貴方は大切な弟です。
実の姉弟のように、大切に想っています」
「姉上……」
口から無意識のうちに溢れた言葉に、マキウス自身が一番驚いていた。
(わ、私は、何を……!? いや、間違っていないが、昔とは違い、私と隊長は立場が違っていて……!?)
内心で慌てているマキウスの様子に気づくことなく、悲しげな様子のまま、ヴィオーラは話を続けた。
「それに、貴方を地方の騎士団から呼んだのだって、弟だからというだけではありません。
貴方には実力があるのに、地方の騎士団で下級騎士をやっているのがもったいないと思ったからです」
自分と瓜二つの同じ紫色の瞳を隊長はーー姉は伏せた。
「私は騎士団で初の女性士官になりました。女性騎士は士官になる前に結婚して騎士を辞めるのが通例でしたからね。
そんな私を、他の騎士や士官はなかなか認めてくれませんでした」
マキウスはヴィオーラの話に目を見開いた。
「ちょうど、同時期にお母様が亡くなったこともあって、心に余裕が無くなっていたようです。
不意に寂しくなって、貴方と遊んだ日々が恋しくなりました」
「私と遊んだ日々ですか……?」
「お母様が亡くなり、他の騎士には認められず、私は子供の頃の楽しかった記憶ーーマキウスと過ごした日々を追想していました」
ヴィオーラは紅茶を一口飲むと、話を続けた。
「貴方について調べさせたら、地方の騎士団で末端に近い下級騎士をしている事を知りました。
けれども、騎士としての成績は優秀、入団時の試験も、叙任時も、並み居る貴族や騎士の中で上位に入っていた。
それなのに、身分が低いというだけで、ただの下級騎士。……もったいないと思いました。それで、私は貴方に声を掛けたのです」
王都の騎士団では身分よりも実力を優先するようになってきたが、地方ではまだまだ実力よりも身分を優先していた。
マキウスに限らず、身分が低いというだけで実力に見合った仕事をしていない騎士は、多く存在している。
「私が率いる小隊は、そうやって実力はあるのに身分や生まれに問題があるというだけで、仕事に恵まれない者たちを集めています。勿論、女性騎士も」
これは副官になってから知ったことだが、地方から引き抜いてきた実力ある下級騎士以外にも、ヴィオーラは騎士を続けたいという女性騎士を多く集めていた。
女性騎士の大半は、騎士になっても、士官になる前に、すぐに生家の命令で結婚して、嫁ぎ先の家庭に入り、跡継ぎを出産して、子育てをするというのが、当たり前の考えであった。
女性騎士たちは結婚する際に、家庭と騎士の両立は出来ないからと、嫁ぎ先に騎士を辞めさせられることがほとんどだった。
そこでヴィオーラは、実力はあるのに、家の事情で結婚を選ばざるを得ない女性騎士に、少しでも騎士として実力を認めさせる機会を設けようとしていた。
そうすれば、結婚後も騎士を続けられる可能性が高くなる。
そんなヴィオーラが集めた女性騎士の中には、実際に結婚と騎士の両立を許され、現在、出産や育児で休暇を取り、その後、騎士団に復帰する女性騎士も増えてきたらしい。
「丁度、私の副官を務めていた女性騎士が、出産と育児の為に長期間休むことになり、代わりの騎士を探していました。
私のことを理解してくれて、私の右腕となる騎士を。それで、貴方を推薦しました」
「そこまで、私の実力を……」
「そうです。私は推薦しただけで、それを許されたのは、貴方自身の実力が騎士団に認められたからです。
『花嫁』と結婚するという、条件付きをつけてしまいましたが……。
ですから、私は貴方が弟だからという理由だけで、優遇しているわけではないのです。
貴方が私や立場に気兼ねする必要はありません」
顔を伏せて、知らずマキウスの肩は震えていた。
ーー知らなかった。姉が自分をそう思っていたことを。
ヴィオーラはそんな弟に向かって、愛おしそうに微笑んだ。
「私のせいで、貴方は苦労をしているのでしょう。弟だから私に優遇されている。分不相応な仕事をしていると」
目の前で慈しみ深くマキウスを見つめているのは、マキウスの上司で小隊の隊長を務める女性士官ではなかった。
そこにいたのは、子供の頃からマキウスが逆らえない気の強い姉であった。
「そんな者がいたら、胸を張ってこう言ってしまいなさい。『自分は弟だから優遇されているわけではない。実力があるから、ここにいるのだ』と」
「姉上、私は……」
語気を強めて話すヴィオーラの言う通りだった。
副官に指名されてから、陰ではずっと「マキウスはヴィオーラの弟だから優遇されている」と、言われていた。
自宅に戻れば、モニカーー「前」のモニカ、の問題に頭を抱えていて、心が休まる時が無かった。
(やはり、姉上には敵いませんね)
これ以上、意地を張るのは大人気ない。
全てを知られていた以上、マキウスの負けであった。
(降参です。私も自分の気持ちに素直になりましょう)
いくつ歳を重ねても、姉のヴィオーラには逆らえない。
そう、マキウスは悟ったのだった。
「私は貴方と昔の様な関係を取り戻したい。子供の頃のような。身分や立場の関係なく。……ただの姉弟でいたいのです」
「私もです」
間髪入れずに続けたマキウスに、話しを続けていたヴィオーラは虚をつかれたようだった。
「マキウス?」
顔を上げたマキウスは、自分とそっくりな姉を見つめて言ったのだった。
「私は母が亡くなり、祖父母の元に戻ってからも、地方の騎士団に所属してからも、姉上やアマンテたちと過ごした日々を懐かしく思っていました。
けれども、姉上からは一向に便りがありませんでした。……もう、私のことは嫌いになったのだと、男爵の身である私には関わりたくないのだと思っていました」
「それは、母に監視されていたからで……!」
「ええ。存じております。時折届いていたペルラやアマンテたちの便りに書かれていました」
「そうだったんですか……?」
キラキラと輝く紫色の目を見開くヴィオーラに、マキウスは頷いた。
「ですが、姉上から王都の騎士団に推薦された時は嬉しかったです。
ただ、実際に会えたものの、何を話せばいいのか、そもそも身分や階級が違う身でありながら、声をかけていいのか、わかりませんでした」
マキウスが親しげに話すことで、大切な姉であるヴィオーラに不利益が生じるかもしれない。
それが、一番怖かった。
「そんな私に出来ることといえば、少しでも姉上の負担を減らすことでした。仕事であれ、私生活であれ。
姉上が忙しい身であることは知っていました。……心配もしていました」
マキウスが所属する小隊の隊長として、女性士官として、ブーゲンビリア侯爵家の当主として、ヴィオーラは常に忙しそうであった。
声こそは掛けられなかったが、マキウスは陰ながら心配していたのだった。
「許されるならば、私も姉上と昔の様な関係を取り戻したいです。ただの姉弟としての」
「マキウス……!」
ヴィオーラは立ち上がると、マキウスの頭をワシャワシャと撫でたのだった。
「あ、姉上! 止めて下さい!」
「マキウス、お前という子は……!」
言葉では嫌がりつつも、マキウスはヴィオーラに撫でられるままになっていた。
ヴィオーラはひとしきりマキウスを撫でると、ほっと息をついて座ったのだった。
「それにしても、マキウスが素直になるなんて珍しいこともあるものです。
打ち解けるには、もっと時間が掛かるかと思っていました」
「それは、モニカのおかげです」
マキウスは乱れた髪を整えながら、姉の疑問に答える。
「モニカさんの?」
「ええ。モニカに言われたんです。きちんと話すように、と」
ヴィオーラは何に驚いたのか、瞬きを繰り返す。
そうして、意味ありげに微笑んだのだった。
「マキウス、モニカさんのことは好きですか?」
最近、どこかで似たような質問をされたと思いながらも、マキウスは強く頷いた。
「……ええ。好きです。愛しています」
前のモニカも、今のモニカも、マキウスは好きであった。
前者は一目惚れ、後者は性格も全てひっくるめて。
ただ、どちらがより好きかと聞かれたらーー答えに窮してしまう。
「モニカさんに、ちゃんと伝えましたか?」
「姉上?」
マキウスが首を傾げた。
どうも、今のモニカも、前のモニカも、愛されることに慣れていないのか、マキウスが少し甘い言葉を囁いただけで、すぐに照れてしまうようだった。
それで、時期を見極めて、マキウスは自分の気持ちを伝えようと思っていたのだがーー。
「女という生き物はですね。大丈夫とわかっていても、時折不安になるのです。
自分は愛されていないんじゃないか。自分はここにいてもいいのか……と」
姉にもそんな経験があるのだろうか。
指先でカップの淵をなぞるヴィオーラを、マキウスは心配そうに見つめてしまう。
「女から聞く者もいますが、私と話した限りモニカさんはそのような人には見えません。
ニコラさんがいるからかもしれませんが、モニカさんは見た目に反して、ずっと大人な気がします。……私たちより若いのに」
「そうですね」
ヴィオーラに言われてから気づいたが、マキウスはモニカの年齢は知っているが、今のモニカの本当の年齢は知らなかった。
たまにモニカと話していると、姉のヴィオーラやアマンテ、ペルラと話している時の様に、どこか諭されるような気持ちになる。
女性に年齢を聞くのは失礼に当たるが、機会があれば聞いてみようか。
もしかしたら、実際の「モニカ」より歳下かもしれないしーーその逆かもしれない。
「貴方に結婚するように命じたのは、一番は貴方の行き遅れを心配してのことでしたが……。
それよりも、もっと重要だったのが、地方騎士から王都の小隊の副官という急な昇進で起こるであろう、他の貴族達からの反発を抑える為。
特に母の生家であるロードデンドロン家からの反発を抑えるのが目的でした」
地方の騎士団から王都の騎士団に行くには、功績の積み重ねが必要になる。
マキウスのように、騎士団に所属して、騎士に叙任されてから、数年で引き抜かれるのは珍しい。
爵位が上がるか、王都に関係する大きな功績を挙げたのなら別だが。
だが、それがただの昇進ではなく、「条件」付きの昇進なら話は別である。
その「条件の内容」は、その都度、人によって変わるが、共通しているのが、「国にとって功績となる内容」であった。
マキウスにとっての「条件」が、国の為に政略結婚をすることーーガランツスの「花嫁」を妻として迎え入れることであった。
ヴィオーラは、マキウスが「花嫁」を迎え入れることを条件に、どうにか王都の騎士団に引き抜けないかと、騎士団と国に嘆願したらしい。
「貴方にとっては意に染まぬ結婚。きっと私のことを恨んでいるだろうと思っていましたが……。上手くやれているのならば安心しました」
ヴィオーラはそっと胸を撫で下ろしたようだった。
「お父様の様に、モニカさんを娶った後に、本当に好きな女性を娶るのかと思いましたが……」
「そこまでの余裕が、我が家にあるとお思いで?」
姉弟の父親のように、複数人を養えるならば一夫多妻をしている貴族も多い。
だが、男爵家であり、かろうじて貴族としての生活を維持しているマキウスには、そこまでの余裕は無かった。
「余裕が無くても、本当に相手が好きならばやるものです。
ただ、お父様の様に家庭を蔑ろにしたら、弟とであれ、姉の私が許しません」
「それは恐ろしい。姉上の平手打ちほど怖いものはありません」
以前、とあることがきっかけで、マキウスはヴィオーラから平手打ちを食らった。
あの時は数日間、顔が腫れてしまい、使用人や騎士たちから変に勘繰られて大変であった。
「全く、お前は……」
そうして、二人は笑い合った。そこには先程までの険悪な雰囲気はなく、ただの姉弟の親しげな雰囲気が、そこにあったのだった。
「マキウス」
不意にヴィオーラは真面目な顔をすると、マキウスに向き直った。
「貴方たち、ブーゲンビリア家に戻る気はありませんか?」
「それは、どういう意味ですか?」
マキウスはヴィオーラの真意を確かようとするが、ヴィオーラはそっと微笑んだだけであった。
「本来なら女である私よりも、男である貴方が、ブーゲンビリア家の家督を継ぐのに相応しいのです」
基本、女性は家督を継げないが、しかし大きく分けて二つの時だけ家督を継ぐことが許される。
一つは、当主が亡くなり、その妻が継ぐ時。
もう一つは、先代の子供に男子がいない時。
ブーゲンビリア家にはマキウスがいるが、先代のブーゲンビリア家当主であるヴィオーラの母親が亡くなる前に、マキウスはハージェント男爵家の家督を継いでいた。
一人が二つの家督を継ぐことは出来ないので、ブーゲンビリア家はヴィオーラが継いでいたのだった。
「貴方が家督を継いでくれるのならば、私は気兼ねなく、結婚して、ブーゲンビリアの家を出ることが出来ます」
「姉上……」
「すぐに答えを出せとは言いません。けれども、考えておいて下さい」
ヴィオーラはそっと目を伏せた。
すっかり冷めてしまった紅茶には、溶けきれなかった砂糖が琥珀色の海に浮いていた。
「いずれの日か、守りたくても『今の貴方』では、守れないモノがあるかもしれませんからね」
マキウスと別れたヴィオーラは、モニカを探して一人で屋敷を出た。
連れてきた使用人は先に帰してしまったので、正真正銘の一人きりであった。
マキウスは使用人を寄越すと言っていたが、ここは元々ヴィオーラが所有していた屋敷であり、ヴィオーラ自身も隅々まで熟知していた。
「モニカさんはこの辺りにいると聞いたのですが……」
先程、モニカの部屋に行ったところ、ニコラをあやしていたアマンテからモニカは庭に出ていると聞いた。
そこで、ヴィオーラは庭に出て、モニカを探していたのだった。
「いけません! モニカ様!」
「やっぱり、私が木に登ります!」
「今、庭師にハシゴを持って来させます。
奥様であるモニカ様に木登りをさせたなんて知られたら、私の首が……」
屋敷の影から、モニカと若い女性の話し声が聞こえてきた。
(一体、モニカさんは何を……?)
ヴィオーラは声が聞こえてくる方に向かって、駆け出したのだった。
「モニカさん? どうしましたか?」
「ヴィオーラ様!?」
ヴィオーラが行くと、屋敷の影の木の前にモニカと、赤茶色の髪を三つ編みにした歳若いメイドがいたのだった。
「どうしてここに!?」
「私は暇《いとま》を告げに来たのですよ。モニカさんこそ、どうしてここに?」
「それが、風に飛ばされた洗濯物が木に引っかかってしまったようでして……」
ヴィオーラが木を見上げると、屋敷の二階とほぼ同じ高さの枝に、タオルらしき白色の布が引っかかっていたのだった。
「二階の窓から取ろうとしたのですが、私では高さが合わず手が届かなくて……。そこにモニカ様が通りかかったんです」
メイドの言葉に、モニカも深く頷いた。
「私でも手が届かなくて、それで下から木に登ったらいいんじゃないかって言ったんですが、ティカさんが駄目って……」
「モニカ様に怪我をさせたら、それこそ私が怒られるどころか、奥様に怪我を負わせた罪で、仕事を辞めさせられます……」
どうやら、モニカと一緒にいる赤茶色の髪のメイドはティカという名前らしい。
ヴィオーラは木に触れ、次いで枝に触れると、しっかりとした木であった。
(これなら、人一人乗っても、折れずに済みそうですね)
そうしてヴィオーラは、「それなら」と提案したのだった。
「私が取りますか?」
「えっ……!? でも、ヴィオーラ様にそんなことをさせられません!」
「大丈夫ですよ。この木は枝がしっかりしているので、少しくらい乗っても」
モニカが驚いている間にも、ヴィオーラは枝に手をかけると地を蹴って枝に登った。
スルスルと木を登って行くと、洗濯物が引っかかっている枝に辿り着いたのだった。
「ヴィオーラ様!?」
「危ないです!!」
枝がしなり、葉が落ちた。
下から二人が騒ぐ声が聞こえてくるが、それを気にすることなく、ヴィオーラはそのまま木から飛び降りたのだった。
地面に降り立ち、体勢を整えると、驚愕した顔のまま固まっている二人に向かって、手に持っていた物を渡したのだった。
「はい。どうぞ」
「あ、ありがとうございます……!」
ヴィオーラが差し出した洗濯物を、ティカは恐る恐る受け取ると、一礼して去って行ったのだった。