――一ヶ月後。
 気紛れに立ち寄った三橋神社は、変わりなく寂れ果てていた。
 蜘蛛の巣を避けつつ鳥居をくぐる。朽ちかけた祠のすすけた赤色が懐かしい。周囲を竹藪が囲っているからか、昼間でもここは別世界のように静かだ。
 敷地の奥から冷たい風が吹く。上着の胸元を手繰り寄せながら、僕は特に意味もなくいつもの大岩へと近付いていった。
 彼方から聞いた話だが、この世界には生まれ変わりというものがあるらしい。
 死者の魂はあの世で新たな生を受け、そしてまた現世へと蘇る。輪廻転生を繰り返していく中で、時たま前世の記憶を持って産まれる赤ちゃんもいるのだとか。
 眉唾物だと一笑に付していた僕だが、今年の夏を越えて考えが変わった。いないと思っていた幽霊や妖怪に、僕は出会った。同じように、もしかしたら僕が知らないだけで、実際にそういうことは起こり得るのかもしれない。
 ……あの娘の場合はどうなんだろう。
 彼女の魂も今ごろ、世界のどこかで新しい人生を始めているんだろうか。
 もしそうなら会えるだろうか。
 運命のイタズラか巡り合わせかが作用して、僕と彼女をもう一度引き合わせてくれたりしないだろうか。
 姿形は違ってもいい。僕のことを忘れていても。遠くから見るだけでも構わない。だから、どうかもう一度……。
「……くそ」
 彼女の姿が脳裏によぎる。閉じ込めて、忘れようとしていた感情が封印を破って噴き出した。
 こんな所に来るんじゃなかったと、今になって後悔する。砕け散りそうな痛みに息が詰まって、いつのまにか拳を握り締めていた。
 会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。
 傷は少しも癒えてなかった。
 涙が際限なく溢れてくる。残っている筈も無い僕たちの痕跡を求めて、二人で座った大岩の上にそっと手を当てた。
 ……あぁ、ここってこんな手触りだったのか。
「……ねぇ、君はどこにいるの」
「ここにいますよ」
 鈴の鳴るような声。
 はっとなって振り返れば、一人の少女が鳥居の下に立って、僕に向かって手を振っていた。
「ごめんなさい。リハビリが長引いちゃって」
 照れ臭げな微笑み。透けてない身体。目の前の光景が信じられなくて、僕は己の目を擦る。……何も起きない。どれだけやっても、消えも変わりもしなかった。
「嘘」
「本当です」
「……生きてるの?」
「はい。この通り」
「でも、だって君は――」
 間違いなく消えたのに。言いかけたその時、電流が走った。
 僕の脳内で、ジグソーパズルが組み上がるように次々と情報が結びついていく。
 幽体離脱が起こるのは、大怪我や事故で昏睡状態に陥ったときが最も多いという記述。
 死んでいるみたい。状況証拠だけで決め付けていた、彼女の死。
 交通事故、死者二名。だけどそれが学生であるとは、考えてみればどこにも書いてなく。
 幽体離脱をした魂にはそもそも未練が無い。ルリだってそう言っていた。
 そして何より。彼女が消え始める直前に発した言葉は、満足ではなく生きていたいという切実な希望で……。
「……っ!!」
 気付けば、抱き締めていた。
 突然のことに彼女は目に見えて戸惑う。それでも僕は我慢が出来なかった。
 僕たちがしていたのは、世界で一番幸せな勘違い。
 僕と彼女はよく似ていた。ただほんの少し、そうなるまでの過程が違っただけで。
 腕の中。彼女の身体は温かい。甘い香りが世界を満たして、僕は何も考えることが出来なくなった。
「ゆ、優くん。ちょっと苦しいです」
 ついでに何も聞こえなくなった。
「ねぇあの。聞こえてますか優くん。ねぇ!」
 背中をバシバシと叩いてくる。流石に可哀想だったので、僕はしぶしぶ力を緩めた。
 すると直後に一瞬だけ、甘くて柔らかな感触が僕の頬に落とされて。
「ふぇっ!?」
 ドキリとなった。
 魔法のような高揚感に僕が目を白黒させれば、彼女は僕からゆっくりと身体を離す。顔を真っ赤に染めながら、しなやかな指先をそっと唇の上に置いた。
 天使のような小悪魔の微笑みが、僕の心を正面から貫いていく。
 愛しすぎて死にそうだ。
「……君ってそういうことするんだ?」
「嫌、でしたか?」
「全然、新たな発見だなと思ってね」
 今度の抱擁は双方向だった。
 互いに背中へ手を回し、相手の存在を全身で堪能する。
 吐息と体温、あと鼓動。最初はズレていたそれも、やがて隣り合わせのメトロノームみたくテンポが合っていく。そして僕らは一つになった。

 ――――蕩ける意識の中で、ふと考える。
 命がいつしか尽きるなら、記憶だけでも永遠に残そう。
 彼女と過ごした一秒一秒を。
 彼女と交わした一言一言を。
 そしてこれから彼女と歩む、道なき道の一歩一歩を。
 全てまとめて頭へと刻み込み、死んだ後でも忘れずにいよう。

 密かに、そんな誓いを立てた。