第三者の登場によって、ルリとはひとまず休戦と相成った。
 僕たちが事情を簡単に説明すれば、彼方は眉間に手を当てて唸り声を上げ始める。まあ、真夜中の神社で半透明の友人と少女、そして裸の女に遭遇すれば誰だって理解が追いつくまい。……そう言えば、他の人たちと違って彼方に僕たちが見えているのは何故だろうか?
「幽体離脱……好きな女の子……化け猫……ああそうか、そういうことか。なるほどな」
 そうしてひとしきりブツブツと呟いたところで、彼方は大きく息を吐いて言った。
「……よし、取り敢えずお前らの言いたいことは分かった」
「理解が早くて助かるよ」
「納得は出来てねえけどな。正直まだ半信半疑だ」
 彼方が僕に手を伸ばしてくるが、触ることまでは出来ないようだ。何度か同じ事を試しても、指先はただ僕の身体をすり抜けるばかり。その事実に目を見開いた後、彼方は次にルリの方を向いた。
「……特にこの人とか」
「その痴女を見るような目つきは何かな?」
「いや、だってそうだろ。おかしいだろ。少しは恥ずかしがれよ」
「あら、人間以外の生き物はみんな裸で生きてるんだよ? 服なんて纏ってる方が異常、違う?」
「……ホントに人じゃないらしいな」
 警戒して距離を保つ彼方。その全身をじっと観察しながら、ルリが口元に手を当てる。
「青年の友人、アナタはどうしてここに来たの?」
「取材だ。夜の三橋神社では死者に会える、その噂を検証しにきた」
彼の答えに僕は昨日の会話を思い出す。僕は誘いを断ったけれど、たしかにそんなことを言っていた。しかしよりにもよって今夜とは。僕らも彼方も運が良いのか悪いのか。
「……つまり物好きの類か」
「趣味だ」
「同じじゃない」
 雰囲気のせいか、二人の会話はどこか刺々しい。かく言う僕も、数分前までルリに痛めつけられていた名残で微妙に声が固くなっていた。捻られた肩はまだ痛い。
「……僕からも訊きたいんだけどさ」
 皆の視線が僕に向いた。
「彼方が僕たちを見れるのは何故?」
「それはおそらく環境のせいだろうね」
 即答したのはルリだった。中指と人差し指を合わせるという奇妙なやり方で彼方を指差す。
「真夜中という時間。神社というあちら側に近い土地。感性の高い人なら、限定的に霊魂が見えるようになっても変じゃない……アナタが言うその噂とやらも、あながち眉唾じゃないのかも。わぁ良かったね、検証が出来たよ?」
「……それは皮肉か?」
「嫌味だよ。あたし、今ちょっとイライラしててね。こっちの事情はさっき伝えた通り。アナタとっても邪魔だなって、もの凄く思ってるんだ」
 その一言で険悪さが一気に膨れ上がる。二人の間で火花が散った。警戒はいつのまにか威嚇になって、ルリと彼方は互いに互いを睨み付ける。
「お前、優に何する気だ?」
「何でも。アタシに従うまで何だってするつもり。もう決めたから」
「……そうか」
 長く、息を吸い込む音がする。背負っていたリュックをその場に落とし、少女に向けて問い掛けた。
「こいつのことは好きか?」
「はい」
 大好きです。迷いも躊躇いもなく彼女はハッキリとそう口にしてくれた。少しでもその想いに報いたくて僕が彼女の手を握れば、直後に握り返されてまた愛しさが募る。
 僕たちの声なきやり取りを見た彼方は、唐突に「優」と僕の名前を呼んだ。
「ランニングは得意だったか?」
「……彼方?」
「話をする時間くらいは作ってやる。またいつか飯奢れよ」
「ねぇ、何を……」
 彼方がルリに跳びかかった。完全な不意打ちに虚を突かれたのか、対応しようとしたルリはバランスを崩し、彼方と一緒になって地面へと転がる。彼はそのまま押し倒すようにして相手の動きを封じると、横目で僕を見て叫んだ。
「ここは任せろ、お前はその娘を連れて行け!」
「なっ、でも――!」
「行けっつってんだろ! 聞こえないのか、早く!!」
 声に込められた彼方の覚悟が、僕の足を突き動かした。
 ――ありがとう。
「行こう!」
「はい!」
 言葉では表わしきれない程の感謝を胸に、僕は少女の手を引いて走り出す。背後から、揉み合う男と女の怒声が響いてきた。
 どうか無事でいてくれ。
 親友の無事を祈る。そんな願いを神様が聞き入れてくれるかどうかは、僕たちの行く末のように不透明だった。



 一番安全な場所。誰にも邪魔されない二人だけの場所。それを考えると、逃走の行き先は一つしか思い浮かばなかった。
 県道から脇道へ。慣れ親しんだルートをひた走れば、見えてくるのは僕が住む学生アパート。事情を説明するのは後回しにして、僕と彼女はエントランスから階段を駆け上がる。自室の玄関に辿り着いた頃には、二人とも息が切れていた。
 肩を上下させて呼吸を整える。壁面にもたれかかった僕を、彼女は無言でジッと見つめてきていた。
 ……きっと、僕の言葉を待っているのだろう。
 声を荒げて詰め寄りなどせず、ただ信じるのみ。視線から伝わってくるのはそんな感情。その信頼がとてつもなく嬉しかったが、今ばかりは同時にとてつもなく苦しくもあった。
 嘘は吐くより懺悔する方が辛いと、僕は身を以て実感していた。
「……ここはね、僕の家なんだ」
「……優くんの」
「そう。ここに住んでるの。今もね」
 多分、どうあがいても今夜が最後になる。
 朝になれば僕の魂は肉体に戻るだろう。そしておそらくルリもやって来る。手段を選ばず僕を止めようとする筈だ。
 今夜こそ彼女は神社で待ち伏せていたけれど、わざわざ回りくどい策を弄せずとも部屋の入り口を固めるだけで僕は詰む。ルリとかち合った時点でどちらにしろ負けだったのだ。
 ここで僕に残された選択肢は二つ……全てを話すか、話さないか。
 恋人に隠し事をしていたのは不誠実だが、何も伝えずお別れを告げるのはもっと不誠実だ。そんなことを考えた結果、僕は彼女に秘密を打ち明けようと決めた。
 文字通り、何もかもを。
「驚いてるよね。訳分かんないよね。ごめん。でも、今からそれを……全て説明するからさ。君に聞いて欲しい」
 動悸が激しくなる。気が付けば、声が震えていた。彼女の反応を幾通りも予想しながら、僕は必死に言葉を紡いでいく。
「実は……僕って死んでないんだ」
 しかし驚かされたのは僕の方だった。
 こちらの想定に反して彼女は怒りも哀しみもせず。それどころか柔らかな微笑みまで浮かべてこう返したのである。
「やっぱりそうだったんですね」