しばらくその背中を見送っていたが、僕はベンチから立ち上がって彼の元へ駆けていた。
「香山リョウ!」
 僕は彼の名前を叫ぶ。
 彼は足を止め、後ろに振り返り驚いた様子でこちらを見ていた。
 目の前まで来るとスピードを落として立ち止まり、呼吸が落ち着くまで息を荒げた。
「彼女と、会ってみませんか?」
「え?」
 そこから数秒の沈黙があった。
 思いもよらない発言だったのだろう、逡巡としているのが表情や挙動から見て取れた。
「・・・そうだね。最後に一度だけ、会ってみたいな」
 そう言って彼は微笑んだ。
 懐かしそうに、思いを馳せるように、まだ彼の中にいる彼女との決着をつけるためにそれは必要な事の様に思えた。
「じゃあ、行きましょう。
 部屋に置いてけぼりにされて、きっと彼女はまた拗ねているだろうけど」
「ははっ、彼女らしい」
 僕達はそんな彼女の姿を想像して可笑しそうに笑いあった。
 
 病院の坂を二人並んで下っているとき、以前とは世界の色が違うことに気付かされた。
 オレンジ色の光が続く道路の先を照らし、並んで植えられた植栽の影が長く伸びていた。
 後ろを振り向くと、滲むような夕日の光芒とした光が僕の視界を埋め尽くす。
 この世界で初めて、太陽が動き始めたのだ。
「もう、長くはないのかもしれないな」
 それが夢の終わりの事を指すのか、彼女の生命について意味しているのか。
 どちらにしても彼の言う通り、もう長くはないのだ。