指に挟んだ煙草の灰が地面にポトリと落ちた。
 粉々に砕け、タイルが黒ずみ、そこから煙が立つことはもうなかった。
 彼女の部屋を訪れ、ゴミ箱の中にあった彼女のメモを見た時から気づいていた事だった。
 自分が近い内死ぬことを分かっていて、彼女は僕と別れたのだから。
 それでも、分かっていたとしても、信じたくなかった。
 本当に死んでしまうなんて、もしかしたら間違いだったのかもしれないって、心のどこかでわずかな希望を宿していた。
 でも、ダメだったんだ。
 目の前の彼が全てを物語っている。
 彼女を救えなかった、自己への怒りと後悔の念がひしひしと伝わってくるようだった。
「彼女がこの世を去ってから、もう八年になる。
 二十四歳、僕が別れて二年後に彼女はいなくなったんだ。
 その事を知ったのは、つい最近の事だった」
「二十四・・・そんな。あなたは、いや僕は、その時何をしていたんですか?」
 彼は指に挟んだ煙草を地面に落とし、それを靴底で踏みゆっくりと鎮火した。
 悔しそうに眉間に皺を寄せ、両手を握り締めていた。
「既に街から去っていた。
 僕を捨てた彼女を憎んで、忘れたくて、遠い場所へ引っ越したんだ。新しい土地で再就職して、生活習慣を見直して、彼女の事を一日でも早く忘れてしまおうと躍起になっていた。
 その時の僕は彼女がとっくに他の誰かと幸せになっていて、僕の事なんて忘れてしまったに違いないって酷い被害妄想を考えずにはいられなかった。
 本当は彼女がどんなに苦しんでいたのか、もうこの世からいなくなってしまったなんて、夢にも思わなかった」
「そんな・・・」
「大馬鹿野郎だよ・・・彼女が一番助けを必要としているときに、僕はとんだ勘違いをして自分を追い込み、彼女を憎んでいたんだ。
 あれだけ傍にいて、彼女の事を一つも分かっていなかった」
 最後に彼と、会わせてください。
 彼女の最期のノートに書かれた言葉を思い出す。
 自分を忘れて他の誰かと幸せになって欲しいなんて嘘だ。
 本当は最後の瞬間まで一緒にいたかった、自分の事を永遠に忘れてほしくなかったはずなのに。
「でも、彼女は優しいからさ。
 こんな俺の幸せを願って自分が目の前から消えることを選んだんだ。
 どれだけ悩んで出した答えなのかも知らず、俺は・・・」
 彼は目頭を手で覆う。
 涙を流さないよう、必死に堪えていた。
 落ち着いて次の言葉を言うまで、僕は黙っていた。
「ごめん、感情的になって」と彼は手の甲で防ぎきれなかった涙を拭う。