「わかったでしょう、向坂逸人の脅威が」

「えっ」

「振り向かないでください」

 言われてぱ、と顔を横に向けるだけに留める。

「あの人、どこで誰に目を光らせているか分かりません。こと私に関しては、その独占欲から異常なほど」

 冷静な口ぶりで言ってるが、背中合わせで目を合わせられない現状はまるでスパイの取引みたいだ。逢引っちゃ逢引らしいが、え、これ逢引に入るのか。
 全然関係ないことを考えてぶんぶんと顔を左右に振り、皮肉で軽く笑ってみせる。

「…大事にされてるってことじゃん」

「私のいない所で他の女性と関係を持っていてもですか」

「え」

「己のステータスの為だけに人を人とも思わない横暴を、私は愛情だなんて呼びたくない」

「…」

 それでも間違えたのは私だ、と言う。

 強い口調で告げる彼女も、藍沢さんもかつて逸人先輩を本当に想った時があったのだ。だから今があって。それなのに、心を壊された。信じていたのに、裏切られた。それがどれほど辛いことか。

 どれほど張り裂けそうな思いだったか。


「…どんな人かなって、気になったんです。ほんの出来心だった。
 あなたがあんまり真っ直ぐに、光の中で笑うから」

「…え?」

「でももういい。私一人の行動であの人が“人”に還るなら、私は心を殺します。もう誰にも傷ついてほしくない」

「藍、」

「私は、波多野先輩のことなんか好きじゃない」


 違うだろ。

「藍沢さん!」

 思わず立ち上がって歩き出す華奢な手首を鷲掴む。そして思いっきり振り向かせたら、全然笑えてない涙でぐしゃぐしゃになった顔が、優しく俺を突き放した。




「さようなら」