「奏太くんを迎えに来たの。集合場所、変わったんだよ」
どうりで集まる時間を10分過ぎているのに誰も来ていない。
その部屋を出て、美香は僕の隣を歩く。
「ありがとう」
美香の目を見れない。
覚えていてくれたら、なんてまた期待しそうな自分を戒める。
そうして傷つくのは僕だ。
「いえいえ。1年ぶりくらいだよね、こうやって話すの」
思わず僕は美香の顔を見る。
美香は真っ直ぐ僕の方を見つめていた。
全てを見透かしそうな澄んだ瞳だった。
「覚えてたんだ」
僕は嬉しくて有頂天になる。
それでも、どうにか自制しようと平生を装う。
「当たり前だよ。話してみたかったもん」
美香はなんでもないことのように普通に答える。
僕はその言葉に異常事態かのように、心拍数が急上昇するというのに。
「どうして、僕なんか」
言ってから、卑屈になってしまった事に少し後悔した。
けれど、美香はあくまで自然に返してくれる。
「えー、なんでだろう。でも、奏太くんって、庇護欲くすぐるよね」
「庇護欲?」
「そう、話したこと無かったのにね」
変だよね、と言って僕に笑いかける。
僕は、庇護欲、という言葉の意味を考える。
そうしているうちに、天国のような時間は終わってみんなのいる教室に着く。
僕と美香は入り口付近に、静かに並んで座った。
教室ではみんなで色長の話を聞いていた。
美香が座る瞬間にふわっと美香から良い香りがした。
その香りは魔法みたいに僕の思考を奪って、前で誰かが何かを話していても、何も聞き取ることが出来なかった。
話が終わって周囲を見回したが、クラスには武も莉子もいなかった。
もう少し2人で話せるかと思ったが、美香はやはり衣装係で、買い出しがあるために、ここでお別れだった。
「じゃあね、また話そうね」
美香が手を振るのにつられて、思わず僕も手を振った。
多分僕の顔はにやけていて、相当キモかったと思う。
水曜日からは1日中体育会の準備だった。
午前中はそれぞれの係の持ち場で働いていた。
僕と武は、色んなニュアンスの青色を作って紙皿に広げていた。
真っ青だったり、空色だったり、灰色の青、紫っぽい青、緑っぽい青。
リーダーが僕らの作った青を褒めてくれるのが嬉しかった。
放課後、1度2,8組の全員で集まることになった。
武に先に行くよう言われたので僕は1人で指定されていた場所に向かった。
なんだか、心が惹かれて久しぶりに図書室によった。
受験生になってから、1秒でも惜しく、本を読む暇がなくなったため、立ち寄らなくなっていた。
図書室に入った瞬間に、書店とは違う図書室特有の本の匂いが僕の鼻腔を満たした。
久しぶりに背表紙の羅列を撫でる。
ラミネートされてツルツルな肌触りと本の大きさの違いによるでこぼこがなぜか気持ちを落ち着かせた。
あまり時間に余裕が無かったため、近くにあった本棚の1列を1往復して図書室を出た。
教室に入ると、先生がみんなに向かって何か話していた。
武はすでに戻っていて、その横には莉子がいた。
武は僕に気がつくと軽く手を上げた。
莉子は僕と目が合うと、気まずそうに目をそらした。
僕は、音を立てないようにこっそりと武と莉子の方へ向かった。
先生の話が終わった後、武は僕を裏庭に誘った。
なぜか莉子もついてきていた。
裏庭に着くと、僕と莉子が対面する形になって、その横に審判みたいに武が立っていた。
武が莉子に何かを促す。
不機嫌にも見え、気まずそうにも見える莉子が口を開いた。
「昨日はごめん。ちょっと感情的になった」
莉子からの謝罪は予想外のものだった。
「いいんだ。事実だし」
莉子の言葉は確かに感情的だったかもしれない。
それでも、的を得ているとも思った。
しかし、その肯定が莉子の気持ちを刺激してしまったらしかった。
「違う!お前はなんで、そんなに、卑屈なの。私には出来ないことが出来て、私が持っていないもの持ってるくせに」
どういう意味か分からなかった。
莉子は僕に何を伝えようとしているのだろう。
「僕は何も持ってない。莉子さんみたいに綺麗な容姿や自分の気持ちをはっきり伝える勇気も無ければ、武みたいな運動能力やコミュニケーション能力も持っていない。僕は持たざる者だから人を羨んでばかりなんだ」
僕はできる限り淡々と喋った。
感情の吐露ではなく、ただ事実を言うだけだったから、あまり心を乱されなかった。
莉子はただ目を見開いて僕を見ていた。
そして、耐えきれなくなったようにその場を去った。