僕の運動神経では咄嗟に受け身を取れるわけはなく、体が地面に叩きつけられる前に目をつむった。
「っぶねー、セーフ」
しかし、僕の体が地面と水平になる前に武が支えてくれた。
「あ、ありがとう。もう大丈夫だよ」
地面と垂直に戻った僕は、なぜか手を離そうとしない武に後ろから抱きしめられる姿勢になっていた。
目立つ武と抱き合っているところを見られたら注目されてしまう。
武の顔を見るとなぜか転んでもないのに放心していた。
「武?」
武の名前を呼ぶと我に返ったように手を離した。
「お、おう。お前……なんか女みたいな匂いすんのな」
「女みたいな匂い?ああ、シャンプーじゃないの」
シャンプーは母さんが買ってきたものをテキトーに使っているだけど確かに匂いはついている。
僕が香水やヘアワックスを使っているわけもないので、それぐらいしか匂いを発するものは思い当たらなかった。
「そういう武は……」
武の首元に顔を寄せて匂いを嗅ぐ。
運動部の男子特有の汗と制汗剤の混じった匂いがした。
「俺はいいって。てか近づかれるとあちぃよ」
「そっか、ごめん」
それから武が昨日のワールドカップの話を始めたので、僕の好きな人の話はどこかへ行った。
クラスへ戻ると、一般の生徒達の係決めが始まった。
僕は宣言通りペンキ塗るやつを選び、武も結局同じ係になった。
やっぱり武がこんな地味な役回りをするのは勿体ない気がしたが、
「俺ペンキ塗りの頂点極めるから」と笑いを取っている武に水を差すようなことを言うのは野暮な気がしてやめた。
放課後の美術室に青組のペンキ係の人が集まることになった。
「てか、奏太衣装係したら良かったじゃん」
「なんで」
本当は、なんで、と聞かずとも武の言いたいことが分かっていた。
さっきの続きを話そうとしているのだ。
女子は衣装係に行く人が多いから美香と同じ係になれるだろ、と。
ていうか、武は僕が美香のことが好きだということに、なんでこんなに確信を持っているんだろう。
僕は美香とあれきり話したことがなければ、目もあったこともない。
僕が美香のことを眺めるときも顔自体は動かさずに目線だけ動かす手法を徹底していたはずだ。
僕は気恥ずかしくて、武と目線を合わさないように真っ直ぐ前を向いて、少し廊下をや歩きすると、武が突然僕の腕をつかんで振り向かせた。
「だから、美香さん。好きなんでしょ」
小さい頃、神社でかくれんぼをしたことを思い出した。
ここなら絶対に見つからない、と余裕をこいてぼーっとしていたら、突然後ろから肩を捕まれて見つけられたときと同じ感覚。
なぜか武はいつもの様子からは信じられないほど真剣で、図星を指されて僕の気は動転していて、意味も無く乾いた笑いがこぼれた。
「は、はは」
これで誤魔化せるとはもちろん思っていなかったが、少しは和むと思っていた僕の想像と違い、武はより険しい顔になった。