「桐生さん、どうやってここに来たの?」
蒼井くんが口を開いて、私はゆっくりと瞬きをする。まさかこの男の子が、私の名前を認識してくれていたとは。
私と彼は面と向かって話したことが多分ないはず。今は五月初め、私たちが高校二年生になって同じクラスになって、一か月あまり。私はといえば、クラスの女子はあらかた把握したものの、男子とはまだあまり絡みがない。
「にゃあ」
蒼井くんの質問に答えようとしている私の横で、何かが鳴き声を上げ、とてとてと駆け寄ってくる。
「わ、かわいい!」
曇りのない深いブルーの色の瞳でこちらをまっすぐ見つめながら、毛並みの良い黒猫がじっとこちらを見上げている。私は思わずしゃがみ込んで、その猫を見つめた。
「蒼井くんの猫?」
「そう。ティレニアって名前」
ゆっくりこちらに向かって歩きながら、蒼井くんが教えてくれる。
ティレニアって確か、イタリアの海の名前だっけ。猫は大人しく、まん丸な目でこちらを見返してくる。
「綺麗な名前。それに、目も宝石みたいに綺麗……」
黒猫の深いブルーの目は、つやつやと輝く宝石みたいに透き通っている。その言葉に、蒼井くんが「……ふむ」と呟き、黒猫は前足をきちんとそろえてしっぽをゆらゆらさせながらそんな彼を見上げた。
「ありがとう。そう言ってもらえると、ティレニアも喜ぶ」
よっ、と言いながら蒼井君はティレニアを抱き上げた。黒猫は私の顔に焦点を当てたまま、じっとその腕にうずくまった。
「ところで、まださっきの質問に答えてもらってないんだけど。どうやってここに来たの?」
蒼井くんと猫、二対の目がじっとこちらを窺っている。そうだった、と私は慌てて道順を思い返しながら、口を開いた。
「えっと、小町通りぶらぶらして鶴岡八幡宮の前通り抜けてきた」
「……なるほど?」
蒼井くんの首が横に三十度ほど傾いた。そしてティレニアがもぞもぞと体勢を変え、彼が着ているネイビーのワイシャツの左胸のあたりについている『あるもの』が私の目に映る。
「なに? 僕に何かついてる?」
私の視線に気づいたのか、蒼井くんが不思議そうに聞いてくる。
「その左胸のブローチの石、綺麗だなって思って」